第24話 消される記録
TAIDA本部の記録管理区画では、朝から端末が止まらず動いていた。
南米第七施設に関する記録が、次々と整理されていく。
大型モニターには、簡潔な文面が並んでいた。
南米第七施設、内部暴走により機能停止。
異常個体群、現地対応部隊により制圧。
深部区画、施設保全困難のため爆破処理。
BR-01、現地作戦中に生体反応喪失。
RC-01、任務中の離反行為を確認。
CT-01、護送機事故により消息不明。
関連記録、一部損傷により照合不能。
そこには、あの施設にいた子どもたちのことは書かれていなかった。
小さな靴も。
管理タグも。
助けを求める声も。
記録管理担当の一人が、画面を見ながら問う。
「異常個体群の発生経緯はどう処理しますか」
その隣に立つ上席職員は、迷わず答えた。
「作戦概要には不要だ。暴走確認後の対応記録へ統合しろ」
「児童適合群の表記は」
「削除。施設内部の試験記録は別保管へ移す」
「了解」
指先が動く。
画面から、いくつかの文字列が消えた。
児童適合群。
TAIDA-V改変試験。
暴走傾向観察。
隔離継続。
それらは、最初から存在しなかったように一覧から消えていった。
「護送機の件は」
「機体損傷による空中事故で統一する」
「爆発反応の詳細解析は」
「優先度を落とせ。今は送信記録の遮断が先だ」
「了解」
端末に新しい分類が走る。
護送機爆発。
原因、機体損傷。
詳細調査、後日再検討。
実際には、後日調査する事などない。
その場にいる者の誰もが、それを分かっていた。
分かっていながら、事務的に作業を進める。
◇
精密検査区画の隣室で、啓介は待機を命じられていた。
拘束はされていない。
だが、扉の外には監視員がいる。
検査後の経過観察。
そう説明された。
扉の向こうから、複数の声が聞こえる。
隣の検査室で、医療主任と別部署の職員が話していた。
「黒血反応の再現条件は」
「精神負荷、致死域接近、外的攻撃の複合条件が濃厚です」
「再現性は取れるのか」
「現段階では不明です。ただし、第七施設での制圧効果は極めて高い」
啓介の視線が止まった。
制圧効果。
その言葉だけが、はっきり耳に残る。
「異常個体群を単独で押し返した。通常血装ではまず不可能だ」
「自我喪失の問題は」
「運用上の課題ですが、攻撃対象の設定次第では――」
啓介はゆっくり立ち上がった。
扉へ近づく。
監視員が反応して視線を向けたが、啓介は無視した。
中の会話は続く。
「AS-01の黒血反応は、治療観察より運用検証へ回すべきでは」
「上層部も同様の判断です。分類変更の申請が通れば――」
啓介は拳を握った。
子どもだった異形を壊したあの時間を。
自分の意思を失ったあの感覚を。
組織は、使える結果として記録している。
扉が開き、医療主任が出てきた。
啓介と目が合う。
一瞬だけ、男の顔が固まった。
「……AS-01、待機命令は」
「あれを成功と呼ぶのか」
啓介の声は静かだった。
医療主任はすぐには答えなかった。
「何の話でしょう」
「第七施設での黒血反応だ」
啓介は一歩近づく。
「俺が何を壊したか、お前らは見てたはずだ」
医療主任は表情を戻した。
「記録上、異常個体群の進行を停止させたことは事実です」
「異常個体群」
啓介はその言葉を繰り返した。
子どもたちの声が蘇る。
『たすけて』
目の前の男は、それを知らないわけではない。
記録として見ている。
だが、見方が違う。
「あれは処理結果じゃない」
啓介は低く言った。
「あれは、俺が止められなかった時間だ」
医療主任の目がわずかに動く。
「感情評価は任務記録に反映されません」
その返答で、啓介の中の何かが冷えた。
怒りより先に、遠さを感じた。
ここでは、人の痛みは数値に変わる。
迷いは誤差にされる。
叫びは音声記録にしかならない。
医療主任は端末を操作しながら告げた。
「AS-01黒血反応は、運用検証対象への移行審査に入ります」
啓介は黙って男を見た。
「俺を治す気はないんだな」
男は答えなかった。
答えられなかったのではない。
答える必要がないと思っている顔だった。
◇
再照合区画を出されたユリは、自分の持つ補助端末へすぐにアクセスした。
休息命令が出ている。
長時間の照合後は、処置室で経過観察を受けることになっていた。
だが、じっとしていられなかった。
昨日、確かに見た。
SP-07。
A-Prime。
母胎適合候補。
保持理由。
次世代適合計画に必要。
あの文字は、見間違いではない。
ユリは検索欄へ順に入力した。
SP-07関連記録。
A-Prime照合。
母胎適合候補。
結果が表示される。
該当記録なし。
ユリの指が止まった。
もう一度入力する。
保持理由。
次世代適合計画。
結果は同じだった。
該当記録なし。
「……ない?」
思わず声が漏れた。
昨日はあった。
ほんの一瞬でも、確かに出ていた。
権限で弾かれたのとは違う。
閲覧を拒まれたのでもない。
検索結果そのものが返ってこない。
ユリは関連照合履歴へ切り替える。
直接の記録が出なくても、触れた痕跡までは消し切れないことがある。
画面が何度か切り替わったあと、一瞬だけ履歴が引っかかった。
SP-07関連照合履歴。
参照先変更。
一部項目、非表示化。
関連記録、上位保管へ移管。
ユリは息を呑んだ。
「隠したんじゃない……」
画面を見つめる。
「跡ごと、遠ざけてる」
自分の過去が、手の届かない場所へ動かされている。
知る直前で。
掴む直前で。
誰かが見せまいとしている。
その事実だけが、はっきりした。
ユリは履歴を保存しようとした。
だが、画面が切り替わる。
接続拒否。
照合履歴、保全対象。
閲覧を終了します。
表示が閉じた。
「待って……」
指が追いつかない。
もう一度戻ろうとしても、同じ画面には辿り着けなかった。
端末には、何事もなかったように基本情報だけが残っている。
御崎ユリ。
SP-07。
堕闇内勤区画。
そこから先は、何もない。
ユリは端末を握る手に力を込めた。
「昨日は、確かにあった」
誰に言うでもなく呟く。
「私は見た」
◇
一真は聴取を終えた直後、保管区画へ向かった。
預けたケースを確認するためだった。
中には、GRAVEの外殻片が入っている。
鬼塚豪が残した、唯一と言っていい痕跡。
受付端末に識別番号を通すと、保管状況が表示された。
BR-01外殻片。
一次分析完了。
保存優先度、低。
危険残留物として廃棄予定。
一真の顔から表情が消えた。
「……廃棄?」
端末を睨む。
見間違いではない。
廃棄予定。
一真はそのまま受付カウンターへ向かった。
「BR-01のケースを出せ」
職員が端末を確認する。
「外殻片ですね。現在は分析終了後の処理待ちです」
「処理って何だ」
「残留反応の危険性があるため、廃棄工程に回されます」
一真の拳が震える。
「廃棄って言ったな」
「規定上は――」
「鬼塚の残したもんだぞ」
職員は一瞬だけ言葉に詰まった。
「記録採取は完了しています」
「だから捨てるって事か」
「物品としての保存理由が確認できないため――」
一真の目が鋭くなる。
「保存理由?」
声が低くなった。
「それが、あいつが最後に残したもんだってだけじゃ足りねえのかよ」
職員は答えられなかった。
だが、端末上の処理は止まらない。
廃棄工程移行まで、残り十五分。
一真はカウンターへ手をついた。
「出せ」
「剣城さん、それは――」
「出せって言ってんだよ」
周囲の警備員が動いた。
その時、背後から南條の声がした。
「BR-01外殻片、廃棄処理を保留」
一真が振り返る。
南條が歩いてくる。
職員は困惑したように端末を見る。
「南條管理官……あ、いえ、WD-00。現在その権限は一部制限されています」
「完全停止ではない」
南條は淡々と返した。
「再照合対象へ移せ。私の承認で処理しろ」
「ですが――」
「責任は私が取る」
短い沈黙。
職員は最終的に頷いた。
「……了解しました」
端末の表示が変わる。
BR-01外殻片。
廃棄予定、保留。
再照合対象へ移管。
一真は画面を見つめたまま、しばらく何も言わなかった。
やがて、南條へ視線を向ける。
「あんた……」
南條は一真を見ない。
「感情で動くなと言っただろ」
「そういう話じゃねえだろ」
「今それを守りたいなら、ここで暴れるな」
一真は言葉を止めた。
分かっている。
怒りのまま手を出せば、この欠片も、その場で没収される。
それでも、納得できない。
「鬼塚は物じゃない」
低い声だった。
「残したもんまで物扱いすんな」
南條はわずかに目を伏せた。
「分かっている」
一真はその一言を聞き逃さなかった。
本当に分かっているのか。
それとも、ただ場を収めるための言葉なのか。
まだ判断できなかった。
◇
南條は保管区画を出たあと、制限のかかった端末を開いた。
第七施設関連記録へのアクセスは、すでに一部遮断されている。
昨日まで確認できた項目が、今日は階層ごと変わっていた。
RC-01送信ログ。
中継点情報、追跡不能として再分類。
受信先、記録なし。
発信断片、破損扱い。
護送機爆発。
機体損傷による事故へ統合。
詳細解析、保留。
BR-01最終生体反応。
再解析不要。
現地損耗処理へ移行。
南米第七施設、異形個体記録。
施設損傷により照合不能。
南條の視線が止まる。
あまりに早い。
帰還からまだ時間は経っていない。
それなのに、すでに形が変えられている。
原因を確かめる前に。
疑問を持つ者が増える前に。
記録そのものが別の顔を与えられていく。
「急ぎすぎだ」
南條は低く呟いた。
端末に新しい警告が出る。
WD-00。
閲覧範囲を超過しています。
画面が閉じた。
南條はしばらく動かなかった。
守ろうとしていたものに、手が届かなくなり始めている。
◇
啓介とユリが再び顔を合わせたのは、夕刻だった。
医療区画と再照合区画の間にある連絡通路。
監視員は離れた位置に立っているが、会話を止めるほど近くはない。
ユリは啓介の表情を見て、すぐに気づいた。
「何かあったの」
啓介は少しだけ黙ったあと、答えた。
「黒血が、運用検証対象に回される」
ユリの顔が強張る。
「……治療じゃなくて?」
「ああ」
啓介は壁際に視線を向ける。
「第七施設で起きたことを、使える結果として見てる」
ユリは息を詰めた。
啓介は続ける。
「俺が何を壊したかじゃない。どれだけ速く止めたかだけを見てる」
ユリは端末を抱える手に力を込めた。
「私の記録も消されてる」
啓介が振り返る。
「消された?」
「昨日までそこにあったはずの記録が、今は消されてる」
「一部は上位保管へ移された履歴があった。でも、その履歴もすぐ閉じられた」
「母胎適合候補の記録か」
ユリは頷いた。
「私が何者なのかに繋がるものが、消されていく」
啓介は何も言わなかった。
だが、その沈黙の中に怒りがあった。
「何も終わってない」
啓介が呟く……
ユリはゆっくり頷いた。
「むしろ、ここから始める」
その言葉は、二人の間に重く落ちた。
◇
一真が二人のもとへ来たのは、その直後だった。
表情は険しい。
だが、さっきまでの剥き出しの怒りとは少し違う。
「鬼塚の外殻片、捨てられかけてた」
啓介の目が細くなる。
「何だと」
「分析が終わったから廃棄だとよ」
「残しておく理由がないってさ」
ユリが息を呑む。
一真は乾いた笑いを漏らした。
「あいつら、何でも片づけるんだな」
誰も返さない。
「死んだ奴も」
「生きてる奴も」
「見たもんも」
「残ったもんも」
一真の声は低かった。
「都合が悪けりゃ、全て削除だ。」
啓介は静かに言った。
「消される前に、掴む」
一真が啓介を見る。
「何を」
「残ってるもの全部だ」
ユリも視線を上げた。
「黒瀬が残した記録も」
「私の過去も」
「あなたの身体も」
一真は拳を握った。
「鬼塚のこともだ」
三人の間に、短い沈黙が落ちる。
ただ奪われるだけの時間は、ここで終わった。
◇
一真はその後、南條を見つけて問い詰めた。
本部中央へ続く無機質な通路。
周囲に人影は少ない。
「どこまで分かってたんですか」
南條は足を止めた。
「何の話だ」
「事実が捻じ曲げられて、そこにあった物が無かった物にされてる事ですよ」
南條は黙っていた。
一真は一歩近づく。
「あんた、何を見てる」
「分かっていることと、今動けることは違う」
「またそれですか」
一真は苛立ちを隠さなかった。
「何もしなけりゃ、全部消えるんだぞ」
南條は一真を見た。
「怒るなとは言わない」
一真の眉が動く。
「だが、怒りをそのまま差し出すな」
「……何だよ、それ」
「利用される」
短い言葉だった。
一真は黙る。
南條はそれ以上説明しなかった。
説明できないのか。
しないのか。
今の一真には分からない。
「相変わらず、分かりにくい人だな」
一真は吐き捨てた。
南條は何も返さず、歩き出した。
その背中を見送りながら、一真は拳を開いた。
怒りは消えない。
消す気もない。
ただ、そのまま振り回すだけでは駄目なのかもしれない。
それだけは、少しだけ分かった。
◇
上層管理区画では、複数の報告が同時に処理されていた。
AS-01黒血反応、運用検証対象への移行申請。
SP-07再照合、優先度上昇。
AS-02発言傾向、監視強化。
その報告を見ながら、誰かが静かに言った。
「WARDENの判断が目立つ」
「権限は削っている。問題ありません」
「AS-01は」
「不安定化が進んでいます。黒血反応の再発リスクは高い」
「なら、比較対象を前に出す準備を」
端末に新しい表示が開く。
AL-α。
起動準備、第二段階へ移行。
「旧式が制御を外れる前に、完成体を動かす」
誰かがそう言った。
画面の奥には、眠ったままの黒い影が映っていた。
◇
夜。
啓介は端末に映る南米第七施設の記録を見ていた。
あの場所にいた子どもたちのことはない。
啓介は画面から目を離さずに言った。
「消したことにしても、消えたことにはならない」
すぐそばで、ユリが静かに頷いた。
一真は何も言わず、拳を握っている。
南米で見たものは、まだ彼らの中に残っていた。
だからこそ、組織は急いでいた。




