【第43話 決戦前夜】
旧市街は、かつて人が暮らしていた痕跡を、静かに飲み込んでいた。
直径およそ5キロ。
森林の中を無理やり切り開いたようなその土地は、今や草木に侵食され、崩れた石壁や朽ちた柱が、ところどころに墓標のように残っている。
北側――尾根に沿って、深い峡谷が口を開けていた。
その縁に張り付くように、アクリオン聖国の本陣が展開している。
対するテルミ王国は、南端。
国境砦へと続く街道を背に、陣を構えていた。
ここから砦までは約9キロ。
退路としては決して余裕のある距離ではない。
旧市街の中央。
かつて田畑だった広大な土地は、今では草がまばらに生えるだけの平地となっていた。
およそ1キロ四方。
そこには、明日の協議のための場が整えられている。
簡素な机と椅子、そして双方の旗。
だが、誰もそれを“話し合いの場”とは思っていなかった。
(・・・ここが、戦場になる)
俺は中央広場を見下ろす丘の上から、その光景を見つめていた。
視線を下げると、南側――王国の本陣。
そこには、異様な光景が広がっていた。
走竜が、群れている。
ざっと見ただけでも、百を超える。
さらに奥にも続いている。総数は百五十を下らないだろう。
その間を、兵士たちが忙しなく動き回っていた。
餌を運び、水を配り、装備を整え、体調を確認する。
(……これだけの数を、二日で揃えたのか)
わずか二日。
それだけの時間で、この規模の兵站を成立させるというのは、常識外れだった。
そして、その異常性は、さらに別の形で現れていた。
空。
暗くなり始めた空に、いくつもの影が横切る。
飛竜だ。
だが、戦うためではない。
本陣の後方へ、運んできた荷を次々に下ろしては戻っていく。
(飛竜が・・・兵站を・・・)
本来、物資の輸送は走竜の仕事だ。
それが逆転している。
つまり
(それだけ、余裕がないってことか)
俺はゆっくりと息を吐いた。
視線を上げる。
夜が、降りてきていた。
随所に焚かれた篝火が、空を赤く照らす。
その光は、5キロ先――聖国の空にも、同じように揺らめいていた。
互いの存在を、嫌でも意識させる光。
そして、慌ただしく走り回る一団が居た。
それは、見張りの部隊だ。
馬車に太鼓を積み、散開していくのが見える。
奇襲を警戒しているのだろう。
音で異変を伝えるための配置。
(斥候も・・・かなり出てるはずだな)
敵の新兵器――“空刺し”。
その位置を探るため、今この瞬間も、命を賭けた情報戦が続いている。
(・・・もう、始まってるんだ)
戦いは。
俺は踵を返した。
マックスとミレイの元へ戻るために。
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「カイル、お帰り。班長会議はどうなったの?」
ミレイの声。
焚き火の光に照らされた顔が、こちらを見る。
「あぁ、明日の作戦について申し合わせをしたよ」
そう答えながら、マックスの傍に腰を下ろす。
「マックスは走竜隊と一緒に戦うの?」
「いや・・・」
俺は少しだけ間を置いた。
「グラウス隊長に呼ばれて、特殊任務を頼まれたよ」
ミレイの眉がわずかに動く。
「ずいぶんと厚遇されたのね」
「あぁ。マックスの機動力を生かす役目だ」
「あなたたちの“跳躍”を初めて見る聖国の人たちは、相当に驚くでしょうね」
焚き火の火が、ぱちりと弾けた。
「聖国の“空刺し”があるからな・・・飛竜は当てにできない。かなり厳しい戦闘になると思うよ」
「あなたたちの速度なら、飛竜も簡単には狙えないでしょ?」
「跳躍と方向転換を繰り返せば、簡単には捕まらないけど・・・それじゃ勝てない」
短い沈黙。
ミレイが、ふと口を開く。
「もし、人を乗せるのなら、タンデム用の鞍を付けるけど?」
「いや、それは必要ない・・・」
言葉が、そこで途切れた。
静かな時間が流れる。
空を見上げる。
星が、よく見えた。
(・・・こんなに、静かなのに)
薪が弾ける音。
遠くで、竜の低い鳴き声。
「・・・ちょっと、つまらないことを言うけど、聞いてくれるかな」
「大丈夫よ」
俺はゆっくりと息を吸った。
「明日には戦になるっていうのに・・・いまだに、戦う気持ちが出来ていないんだ」
言葉が、夜に溶けていく。
「グレンさんが殺されたのに・・・怒りよりも、“死”が怖いんだ」
ミレイは、すぐに答えた。
「誰でも、死ぬのは怖いし、死にたくないって思うのは正しいわ」
「いや・・・」
俺は首を振った。
「どっちかっていうと・・・死ぬことよりも、“殺すこと”に覚悟が出来ていないんだ」
ミレイの視線が、まっすぐに向けられる。
「俺は・・・いままで、“殺してしまった”敵兵の顔を、覚えてるんだ」
焚き火の炎が揺れる。
「飯を食ってる時に、急に思い出したり・・・夜、眠れなくなったり・・・」
喉が、少しだけ詰まる。
「たぶん、俺はまだ・・・“兵士”になりきれていないんだ」
その時。
ふっ、と。
マックスが頭を上げた。
大きな瞳が、俺を見つめる。
「こいつって・・・どこまで言葉を理解してるんだろうな」
「飛竜は、飛ぶための複雑な動作を理解できるし、感情も豊かよ。走竜よりずっと知能は高いわ」
「俺の指示も分かってるしな・・・」
「人間で言えば、八歳くらいって言われてるわね」
「八歳か・・・」
苦笑する。
「その頃の俺は、遊んでばっかりだったな」
「マックスも、カイルと走ってる時は楽しそうよ。きっと同じよ」
・・・そうか。
「遊び好きの八歳児に、殺し合いはさせたくないなぁ・・・」
ミレイが、静かに息を吐いた。
「カイルは、やさしいわね・・・」
そして。
目を閉じた。
ゆっくりと、深く呼吸をする。
「カイル・・・私は、あなたに謝らなければいけないことがあるの」
「俺に?」
ミレイの眉間に、深い皺が寄る。
「カイルが飛竜隊の試験で墜落した責任は・・・私にあるの」
思考が止まる。
「あの日、あなたが乗った飛竜の準備をしたのは・・・私なの」
――落ちる。
あの感覚。
内臓が浮き上がるような、あの瞬間。
「手綱の損傷・・・普段の私なら、絶対に見逃さなかった・・・」
声が震えていた。
「見逃してはいけなかったの・・・」
(・・・そうか)
俺は、ゆっくりと理解する。
(あの事故で傷ついたのは・・・俺だけじゃなかったんだな)
「私は・・・罪滅ぼしのつもりで・・・」
ミレイの声が、かすれる。
「軍の叔父に頼んで、あなたをマックスに引き合わせたの・・・」
顔が、下を向く。
「でも・・・それがなければ・・・あなたは戦場に出ることもなかった」
肩が、震える。
「あなたを、ここに連れてきたのは・・・私なの」
そして。
深く、頭を下げた。
「ほんとうに・・・ごめんなさい」
沈黙。
俺は、ゆっくりと息を吸った。
(・・・違う)
言葉を、探す。
「ミレイ」
声を出す。
「戦場に来たのは・・・俺が決めたことだ」
自分でも、はっきり分かる。
「軍に入った時点で・・・覚悟はしてた」
あの日から、ずっと。
「マックスに会えたことも・・・後悔してない」
焚き火の炎が、揺れる。
「だから、謝ることじゃない」
ミレイは、顔を上げなかった。
それでも、俺は続ける。
「戦うのは、俺が決めたことなんだよ」
静かな夜が、流れていく。
兵士たちは、黙々と武器を整えていた。
誰も、大声を出さない。
ただ、来るべき時に備えている。
マックスは、再び静かに伏せた。
その呼吸は、変わらない。
(・・・大丈夫だ)
俺は、目を閉じた。
(俺は・・・逃げない)
守るために、戦う。
それだけだ。
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夜が明ける。
空が、白んでいく。
そして、決戦の朝が来た。




