【第42話 理解】
アクリオン聖国、教皇執務室。
窓外から差し込む午後の光は、重厚な石壁に吸い込まれ、部屋の隅々には深い影が沈殿している。
琥珀色の液体の入ったグラスが机に置かれた。
「王国からの返信です」
若き司祭が差し出した書状。
教皇はその指先で封蝋の感触を確かめ、ゆっくりとそれを割った。
羊皮紙が擦れる乾いた音が、静まり返った部屋に不気味なほど響く。
教皇の瞳が、綴られた文字を追う。
「・・・なるほど」
その唇から漏れたのは、感嘆とも呆れともつかない溜息だった。
傍らで控えていたバルカ将軍が、獲物を追い詰めた猟犬のような、粘りつく笑みを浮かべる。
「“提案の内容について協議をしたい”と、書かれている。場所は国境砦と尾根の中間・・・放棄された旧市街。日時は二日後の昼」
バルカは皮肉を込めて鼻で笑った。
「御丁寧なことです。王国は、我々が新兵器を量産し、前線を固める時間を与えないつもりでしょう。対等な交渉のテーブルに着くふりをして、一気に勝負を決めに来た。くっくっく・・・実に愚かだ」
教皇は書状を閉じ、眉間を揉んだ。
その表情には、信仰の指導者としての慈愛も、政治家としての狡猾さも見当たらない。
ただ、底の知れない空虚だけがある。
「形だけになっても・・・わたしとテルミ王の協議は開く。それが礼儀というものだ」
「テルミ王本人がノコノコと現れるとは思えませんな。精々、血気盛んな皇太子か、身代わりの貴族が関の山でしょう」
「相手が誰であれ、わたしは行く」
教皇の視線が、鋭い針のようにバルカを射抜いた。
「いいか、将軍。王族には手出し無用だ。これは神聖な協議の場。血で汚すことは許さぬ」
バルカは一瞬だけ、その爬虫類を思わせる瞳を細めた。
だがすぐに大仰に肩をすくめ、恭しく、しかしどこか慇懃無礼な態度で頭を下げた。
「心得ております。それに、こちらとしても・・・我が教皇閣下には、無事に戻っていただかねば困りますからな」
その言葉の裏にある「生かして利用し尽くす」という毒を、教皇は見逃さなかった。
バルカにとって教皇は、聖国の民を束ねるための象徴であり、自分たちの暴挙を正当化するための神輿に過ぎない。
(・・・わしを逃がさぬ、ということか。小賢しい)
教皇は心中で吐き捨てたが、顔には微塵も出さなかった。
「準備を進めよ」
短く告げ、再び視線を書類へと戻す。
窓の外、遠くの尾根には暗雲が垂れ込めていた。
戦の火蓋は、もはや誰の手にも止められない速さで、音もなく落ちようとしていた。
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場所は変わり、テルミ王国――竜騎士基地。
前線の高揚感とは無縁の、冷徹な思考が支配する場所。
急造された大型天幕の中には、招集された工兵、鍛冶師、そして技術者たちがひしめき合っていた。
「ほら、カイル。こっちよ」
ミレイに手首を引かれ、おれは天幕の奥へと潜り込む。
充満しているのは、油と皮、そして研ぎ澄まされた知性の匂いだ。
中央で腕を組んで立っていたのは、王国最精鋭の整備官、ヘルガだった。
「聖国から届いた書類に、“竜撃砲を開発した”と記されていたそうだ」
ヘルガの声は低く、そして重い。
その一言で、ざわついていた技術者たちが一斉に沈黙した。
「飛竜を落とした兵器だ、我々は最悪を想定しなければならない。情報を整理した上で、皆の意見を聞きたい」
ヘルガが顎で合図を送ると、数人の作業員が、中央の作業台にかけられた厚手の布を一気に剥ぎ取った。
現れたのは、あまりにも巨大な、殺意の塊だった。
「・・・なんだ、これは」
思わず言葉が漏れた。
それは長さ五メートルにも及ぶ、巨大な“杭”だった。
中央部で折れてはいたが、先端は鈍く黒光りする金属だった。
残りの胴体部分は硬質の竹で、後に向かって徐々に細くなっている、後端には姿勢制御用と思しき木製の羽が、まるで猛禽の尾羽のように付いていた。
「これが・・・タープの飛竜を貫いていたものか」
工兵の一人が、震える手でその表面をなぞる。
「巨人の矢だな」
「これをどうやって飛ばす? 巨大な弓を組んだとでもいうのか?」
騒然とする天幕の中、ヘルガが厳かに一人の男を前へと促した。
「実際に、その発射現場を目撃した斥候だ。話せ」
前に出た男は、まだ恐怖を拭いきれない様子だった。顔は土気色で、唇は小刻みに震えている。
「私は・・・尾根近い場所に潜んでいました。聖国の、あの兵器が見える位置に」
男は乾いた唾を飲み込み、絞り出すように言った。
「敵の新兵器は・・・弓じゃありません」
天幕の空気が、一度停止した。
「巨大な“筒”です。そこから、これがあの速度で吐き出された」
「構造は? 機械式の弩か?」
技術者の一人が食いつく。だが斥候は力なく首を振った。
「ただの弩じゃない。そもそも“弓身”がないんです。代わりに……」
彼は記憶を必死に手繰り寄せる。
「筒は人ほどの太さで、長さは五メートル以上。その左右に、真っ黒な縄の束が二つ。捻り束のようでしたが、その太さが・・・丸太のように異常でした」
「捻り束か?」
ヘルガが唸る。男は続ける。
「筒の後部に巨大な巻き上げ機があって、四人がかりで必死に回していました。その時、聞こえてきたんです。木が軋む音じゃない。金属を何度も、叩きつけるような凄まじい音が」
「発射の瞬間は?」
「一度だけ見ました。とても大きな音がしました。一気に弾けるような乾いた衝撃音。弾体は見えませんでした。速すぎて・・・。ただ、命中した瞬間だけは分かった。空高くにいたタープ殿の飛竜から、巨大な針が突き出ているのが、地上からでも見えたんです」
「高度は?」
「400以上はありました。通常の弓の射程を、遥かに超えています」
「射角は?」
「ほぼ垂直です。真上に打ち上げているようでした」
ヘルガが冷徹なトーンで総括する。
「つまり、飛竜を仕留めるためだけに特化した、対空兵器ということか」
沈黙が天幕を支配した。
それは王国の誇りである飛竜たちの「絶対的な優位」が崩れ去ったことを意味していた。
「装填にはかなりの時間がかかっていたようです。連射は利かない。移動は・・・走竜で引く竜車に固定されていました」
「わかった。下がれ」
ヘルガの言葉を合図に、天幕内は爆発的な議論の渦に飲み込まれた。
「いくら捻り束を使っても、こんなバカげた力を出せるわけがない。捻じる力が足りないし、それを支える台が作れない」
「いや、実際に飛ばしたのだから、そのバカげた物を作ったのだろうよ」
「金属製の台と基幹構造で強度を持たせたのでは?」
「すると、相当な重量になるから移動は簡単ではないな」
「金属を叩く音が聞こえたと言っているので、捻じる構造も金属製だな」
「どんな構造にすれば、そんな強い捻じりが出来るんだ」
「聖国の縄網機を思い出せ・・・あっちには、居るんだよ・・・」
「ああ、いるな・・・構造設計の天才が・・・」
「機械式弓の弩なのだから破損したら・・・特に巨大な力を扱うのだから直せないよな」
「仰角が垂直だったところが気になっているんだが、これは水平には打てないんじゃないか?」
「何故だ?」
「これだけの重さの杭?・・・矢?・・・これを大出力でぶっ放すんだ、水平に打つと台車が横転すると思うんだ」
「横転しない様に台車を大きくすると、走竜でも引けなくなるな・・・なるほど」
「この空刺しの上空にさえ入らなければ、飛竜は安全なんじゃないか?」
「この空刺しは何台あるか分からないし、移動できる。飛竜の安全範囲がそもそも分からないぞ」
熱い議論が延々と続いた。
疑問点が残った、これだけ強力な捻り束が何で出来ているのか。
わかった事は、"空刺し"は移動式だが鈍重だと言う事。
壊れたら、簡単には修理できない事。
技術者たちの怒号に近い議論を聞きながら、俺は隣のミレイに小声で尋ねた。
「なぁ、これって安全な地面を確保して、そこの上なら飛竜も飛べるってことだよな?」
ミレイは伏せていた顔を上げ、確かな意志を宿した瞳で頷いた。
「そうね、そこしか飛べる空は無いわね」
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翌日。作戦会議室。
張り詰めた空気の中、ヘルガの報告が行われた。
「竜撃砲の正体は、強力な捻り束を利用した巨大機械式弩です。飛竜はこれがある限り、敵陣への強襲は不可能です」
セルジュの顔が苦渋に歪む。
「空の安全が保障されない戦いか」
そこへ、伝令が飛び込んできた。
「報告! 聖国軍、侵攻を開始しました! 走竜の大群が聖国側の山を進軍しています!」
レオニス将軍が、地図の上に重い拳を置いた。
「協議の場は、背後に互いの軍を並べて行うことになるか・・・いかにも聖国のバルカ将軍らしいやり方だ」
一拍の沈黙の後、レオニスは決断を下した。
「こちらも走竜隊を全て出すぞ、飛竜隊は走竜隊の後方で待機だ」
グラウスが声をだした。
「"空刺し"への対策は、どの様にしますか?」
「王国は空を失ったのだ・・・」
レオニスは少し考えて、聞いた。
「聖国の飛竜が襲来する前に、走竜対走竜の乱戦に持ち込めると思うか?」
「走竜には走竜の戦い方が有ります、お任せください」
グラウスは軍人として完璧な敬礼を返した。
軍部が慌ただしくなる。
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飛竜の厩舎は、通夜のような静けさに包まれていた。
「高高度は竜撃砲、低高度は弓兵……。出るのは、死にに行くようなものだ」
セルジュが愛竜の首を撫でながら、力なく呟いた。誰もその言葉を否定できない。
無敵を誇った飛竜が、ただの標的に成り下がった現実。
しかし。
一歩外へ出て、走竜たちの厩舎へ向かったセルジュは、自分の耳を疑った。
「来たぜ……! ついに俺たちの番だ!」
「空ばっかり見てる奴らに、土を食わせてやろうぜ!」
「テルミ王は良い場所を選んだぜ、地の利は俺たちにある」
「森の中ならこっちの独壇場だ。走竜の本当の恐ろしさを教えてやる!」
そこには、絶望など微塵もなかった。むしろ、抑え込んできた闘志が爆発していた。
(なぜ、走竜隊はこんなに士気が高いんだ?)
セルジュは困惑した。
鼓膜を揺らすほどの咆哮が厩舎を震わせた。
「「「「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」」」」
「俺たちは負けないぜ!」
「やるぞぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
走竜隊の雄叫びが上がる
走竜隊三班の古参兵バルドが叫ぶ。
「彼が居る。俺たちには、かれが居る!」




