【第32話 協議】
霧の戦いから数日。
王都を包んでいた高揚感は、詳細な戦後報告が上層部に届くと同時に、冷ややかな衝撃へと塗り替えられた。
------飛竜三頭、喪失。----------
その報告書の一行が持つ意味は重い。
しかも、それを成し遂げたのは敵の飛竜部隊ですらなかった。
地上を這いずる「走竜」が、空の覇者である飛竜を屠ったという事実は、これまでの軍事常識を根底から覆すものだった。
王城の一角にある軍議室。
重厚な石造りの壁に囲まれたその部屋では、分厚いカーテンが引き絞られ、ランプの灯りが地図の上に落ちていた。
長机を囲むのは、王国軍の屋台骨を支える将官や参謀たちだ。
しかし、そこに活気はない。広げられた戦闘報告書を前に、誰もが言葉を失っていた。
やがて、軍務官エルネストが軋むような声で沈黙を破った。
「……霧による視界不良。地形を利用した敵の待ち伏せ。状況そのものは理解できる」
彼は報告書を睨みつけ、拳を震わせた。
「しかし、それでもだ。我が国の誇る飛竜が、たかが地上戦力に、それも3頭も同時に撃ち落とされるなど……あってはならんことだ」
その言葉に反論する者はいない。
王国において、戦争の定義は数十年前から固定されていた。
かつては泥にまみれた兵士たちが槍と剣を交え、血を流して数メートルの地面を奪い合う泥沼の戦いだった。
だが、竜という種が戦場に導入されてから、主役は完全に空へと移ったのである。
「空を制する者が、大陸を制する」
それは揺るぎない真理だった。飛竜は王国軍の象徴であり、圧倒的な機動力と火力を備えた最強の兵器だ。
だが、最強であるがゆえの弱点もある。
飛竜は数が極めて少ない。
1頭を戦力化するまでに、血統の管理、数年にわたる育成、そして莫大な維持費が必要となる。
王国は国家予算の無視できない割合を、この飛竜騎士団の整備に投じてきた。
専用の広大な飼育場、高価な飼料、熟練の整備士、そして選りすぐりの騎士。
飛竜は「至宝」なのだ。
対して、走竜はどうか。
彼らは頑強で、繁殖も容易だ。数ヶ月の訓練で兵を乗せて走ることができ、餌も選ばない。
極論を言えば、代わりはいくらでもいる「消耗品」に近い扱いを受けてきた。
その「消耗品」が、国の「至宝」を3頭も一度に葬り去った。
この事実は、軍の予算体系から戦略思想まで、すべてを見直さなければならないほどの激震だった。
「飛竜は、無敵ではないのだな」
グラウス走竜部隊長が、自嘲気味に呟いた。
「飛竜は空では無双を誇る。だが、彼らは魚ではない。永遠に泳ぎ続けることはできん。必ず地上に降りる必要がある。休息、補給、そして騎士の睡眠。その瞬間、翼はただの巨大な肉の塊と化す。離陸には滑走と時間が必要だ。そこを狙われれば、飛竜といえど脆い」
「霧が視界を奪い、森が走竜を隠した」
飛竜部隊長のセルジュが、静かに、だが重みのある声で断じた。
「今回の敗因は、敵が天候と地形を完璧に利用し、飛竜の弱点を突いたことにある。戦術次第で、兵器の性能差は覆る。それを証明されてしまったのだ」
レオニスは卓上の駒を一つ動かした。飛竜を示す金色の駒の隣に、走竜を示す銅色の駒を置く。
「飛竜の単独運用は、今日限りで禁止する」
会議室の空気が張り詰めた。
「飛竜は空の王だが、地上では赤子も同然だ。今後は、飛竜が活動する際、必ずその足元を走竜部隊が固める。**『飛竜が走竜を守る』のではない。『走竜が、飛竜を守る』のだ。**」
それは、これまでの騎士道精神や軍の序列を無視した、極めて現実的な変革だった。地上制圧を前提とし、飛竜の安全を確保するために走竜が盾となる。
「走竜の価値を再評価し、歩兵・走竜・飛竜の三位一体の戦術を構築せよ」
会議は新たな運用指針の決定をもって締めくくられた。
だが、誰一人として、あの「走竜隊特別班」の名を出さなかった。
カイルとマックス。
軍の論理から逸脱した彼らは、今の組織図には収まりきらない「異物」だった。
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王城の最上階に近い、皇太子ジーゼルの執務室。
窓の外には、王国の境界線とも言える峻険なテクスア山脈が夕日に染まっていた。
室内には、ジーゼルと、黒い軍服に身を包んだ一人の男が立っていた。
男の名はアルバート。
五十歳前後、カミソリのような鋭さを感じさせる細身の将官だ。
その黒い瞳は、常に冷徹な計算を繰り返しているように見える。
「そうか。無理をさせてしまったな。すまない、アルバート」
ジーゼルが窓を背にしたまま、静かに声をかけた。
「いえ……私の見積もりが甘かった結果です」
アルバートの声には、わずかな悔恨が混じっていた。
「あの娘の姉妹たちと共に、丁重に弔うようにいたします」
ジーゼルは深く息をつき、視線を再び山脈へと向けた。
「教皇と私はな、二十歳の頃からの親友なのだよ」
唐突な昔話に、アルバートは微かに眉を動かした。
「彼は本来、争いを好まない。聖国の教え……『空は神の領域である』という言葉を、彼は誰よりも重んじている。彼らにとって、飛竜を兵器として駆る我々は、神の庭を汚す不遜な存在に映るのだろう」
「神の力、ですか」
アルバートが冷ややかに言った。
「神の奇跡を喧伝する割に、彼らが地下で進めている研究は、極めて現実的で……おぞましい化学技術だ。神を否定しなければ辿り着けない領域に、彼らは足を踏み入れている」
「皮肉なものだな」
ジーゼルは力なく笑った。
「神を追い求めるあまり、神を否定する現実を見てしまい、その矛盾を埋めるためにさらに力を欲する。聖国の技術隠蔽は強固だが、そこで『何か』が起きているのは確かだ」
「私が直接、彼に会うことができれば……」
ジーゼルの呟きは、風にかき消された。親友であったはずの二人は、今や山脈を挟んで銃を向け合う国の頂点にいる。
「無用な血は流したくない。だが、時間は我々の味方ではないようだ」
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同じ頃、王城の開放的なテラスでは、全く異なる空気が流れていた。
白い石造りのテーブル。
そこには、王女ティーナが座っていた。
彼女の前に立つのは、王国軍の若き英雄、グレンである。
「姫殿下、私のような前線の者に、このようなお時間をいただき恐縮です」
グレンが深々と頭を下げると、ティーナは悪戯っぽく、それでいて気品のある微笑みを浮かべた。
「ティーナ、とお呼びくださいな。堅苦しいのは苦手なのです」
「では、ティーナ殿下。私にどのようなご質問を?」
「わが軍の英雄に、飛竜と走竜について……そしてこの戦いの本質について、教えていただきたいのです」
グレンは戸惑った。そのような話は、レオニス将軍や他の隊長職の者が説明すべきことだ。
「それならば、私よりも適任な者がおりますが……」
「ふふっ。あなたは、私の立場をあまりご存じないのですね」
ティーナはティーカップに指を添え、遠くの庭園を見つめた。
「私は将来、他国へ嫁ぐ身です。ただの政治の駒。本来、機密に触れることなど許されないバカな女でいなければならないのですよ。・・・ですが、私は、何も知らないまま売られていくのは嫌なのです」
その言葉に含まれた覚悟と寂しさに、グレンは背筋を伸ばした。
「・・・承知いたしました。私に話せることなら、すべて」
「では、最初の質問です」
ティーナの瞳が、射抜くような鋭さを持った。
「聖国は、人を殺してまで、一体何を成したいのですか?」
グレンは一瞬絶句したが、すぐに自嘲気味に笑った。
「力ある者が弱き者を平定する。それは王家が平民を従えるのと同じ、残酷な摂理です。彼らは、自らが王国より『上』であることを証明しようとしている」
「では、なぜ『今』なのですか?」
グレンはテーブルの上のナプキンを、飛竜の翼に見立てて広げた。
「聖国の技術は、我々の想像を超えて進んでいます。今回の飛竜3頭の喪失……あれは、軍事的な均衡が崩れた合図です。王国は飛竜という『過去の遺物』に頼りすぎた」
「遺物……?」
「例えばです、殿下」
グレンは身を乗り出した。
「もし、兵士が手で投げられるほど軽くて強力な、新型の火炎壺が開発されたらどうなりますか? 休息中の飛竜に、名もなき兵士がそれを投げつけるだけで、希少価値がある飛竜が燃え上がる。……技術とは、神の奇跡ではなく、いずれ誰もが手にできる『暴力の効率化』です」
ティーナは息を呑んだ。
「技術を手に入れた『今』しか、王国に勝てるチャンスはない。聖国はそう踏んでいるのでしょう。だから彼らは戦争を急いでいる」
午後の穏やかな陽光が、ティーナの青白い肌を照らしていた。平和なテラスでの会話とは思えないほど、その内容は血生臭く、そして冷徹な真実を孕んでいた。
「……飛竜と走竜の違い。それは単なる生物の差ではなく、これからの時代の『勝ち方』の差になるでしょう。殿下、次は走竜の運用についてお話ししましょうか」
風が吹き抜け、花びらがテーブルの上を舞った。
二人の静かな対話は、変わりゆく世界の予兆を孕みながら、どこまでも続いていくようだった。




