【第30話 違和感の正体】
王都中央軍議室。
その重厚な楢の扉が閉じられると、外界の喧騒は遮断され、石壁に囲まれた空間には凍てつくような緊張感が満ちた。
長い卓の最奥、上座には皇太子ジーゼルが泰然と構え、その隣には王女ティーナが、嵐の前の静けさを耐えるように小さく拳を握って座している。
上座の横には、軍の重鎮たる将軍レオニス。
彼を筆頭に、左右には各部門の長が並ぶ。
飛竜部隊旗隊長セルジュ、走竜部隊旗隊長グラウス、軍務官エルネスト、整備官ヘルガ、伝令官リオ、そして軍医官ドロテア。
卓上に置かれたのは、第六峰峡谷における戦闘報告書。
そこには、軍の常識を根底から揺るがすような一文が記されていた。
**「走竜による飛竜への有効打。低空滑空中に接触、敵騎士戦闘不能」**
簡潔極まるその記述が、かえって室内の重苦しさを助長させていた。
「“能力が高いバカは、余計な仕事を増やす”・・・古今東西、変わらぬ真理ですな」
沈黙を切り裂いたのは、軍務官エルネストの冷徹な声だった。
彼は眼鏡の奥の目を細め、指先で地図の一点を執拗に叩く。
「もともと、あの峡谷は互いに決定打を欠いたまま“睨み合い”を続ける予定の戦線だった。膠着状態こそが、我々にとって最も安上がりな管理コストだ。それを・・・あろうことか走竜が敵の飛竜を撃墜するなど。これは勝利ではなく『挑発』ですよ」
エルネストの声が一段と低くなる。
「敵は必ず報復に出る。前線は激化し、我々は予定外の飛竜常駐を強いられる。補給線は伸び、警戒線の引き直し、予算の再編・・・。この騎士カイルとやらは、我が軍の戦略的平穏をぶち壊してくれたわけだ」
戦略を担う者にとって、均衡は資産だ。
計算不可能な戦果は、時として敗北よりも恐ろしい。
「しかし・・・解せない」
低く、押し殺したような声。
飛竜部隊の誇り高き長、セルジュだった。
彼の胸中は、疑問と困惑が複雑に渦巻いている。
「あのマックスと呼ばれている竜は、かつて我が部隊で“飛べない飛竜”として廃棄・・・もとい、走竜隊へ払い下げた個体だ。それが、現役の戦闘飛竜を落としたというのか。報告には『翼を広げず、足も引っ込めた状態で飛来した』とあるが、グラウス、何かの間違いではないのか?」
「報告の通りだ」
走竜部隊のグラウスが重々しく頷く。
「うむ・・・翼どころか足もひっこめた丸まった状態で飛んでいって、飛竜を撃破したそうです」
「んん?・・・なんの冗談だ、意味が分からん。新種の飛び方か魔法でも使っているのか?」
エルネストが困惑した様に軽く頭を振る。
「目撃した兵士たちは、投石機で飛ばした岩のような飛び方と言っています」
「ふん、新種の飛び方とでもいうのか?なんだそのデタラメは、あり得ん」
エルネストが鼻で笑う。
その議論に、軍医官ドロテアが静かに、しかし断固とした口調で割って入った。
「皆さま、論点がずれています。騎士カイルは過去、飛竜からの墜落により甚大な精神的外傷を負っています。もし彼が再び『空』を飛んでいるのだとすれば、それは極めて危険な兆候です。彼は一刻も早く走竜、つまり地に足のついた純粋な走竜に乗せるべきです」
「そもそもだ!」
エルネストが苛立ちを隠さずに声を上げる。
「あの"飛べない飛竜"は飛べないからこそ、走竜隊の枠で入隊させたはずだ。なぜそいつが戦場を飛び回っているんだ?飛べるなら飛竜隊に戻せばよかろう」
整備官のヘルガが、淡々と書類をめくりながら補足する。
「マックスという個体については、走竜隊編入後も翼の機能不全に変化はありません。解剖学的にも『飛竜としての運用』は不可能です」
「ならば話は早い。その特別班とやらを前線から下げろ。これ以上の混乱は不要だ」
エルネストの吐き捨てた言葉に、ドォン! と凄まじい衝撃音が響いた。
グラウスの拳が、楢の机を打ったのだ。
王女ティーナが驚きに肩を震わせる。将軍レオニスが鋭い視線を向けたが、グラウスの怒りは収まらなかった。
「エルネスト殿、あんたは、何をいっとるんだ」
グラウスの声は地を這うように低い。
「カイルは、敵の飛竜に一方的に蹂躙されていた味方の走竜隊を助けたんだ。戦友が殺されるのを黙って見ていろと言うのか? 規則を守って死ぬのが、あんたの言う『正しい仕事』なのか!」
「感情論を言っているのではない、私は――」
「冷静になれ。殿下の御前だぞ」
レオニス将軍の重厚な制止が入り、ようやくグラウスは荒い呼吸を整えた。
彼は皇太子ジーゼルに向き直り、深く頭を下げた。
ジーゼルは、ここまで一言も発していない。
ただ、冷徹な青い瞳で、卓上の報告書と将軍たちの顔を見比べていた。
「……レオニス」
皇太子が静かに口を開く。
「はっ」
「まずは、その“カイルとマックス”を確認しよう。走竜隊特別班が、どの様な戦い方をしているのか。目で確かめる必要がある」
その言葉に、反対を唱えられる者は一人もいなかった。
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訓練場の端では、マックスが軽快なステップを踏んで遊んでいた。
タッ、タッ、タッ――。
リズミカルな音と共に、マックスは小さな岩場を飛び越え、器用に身を翻す。
マックスの様子を眺めながら、カイルとミレイは休憩をしていた。
「前に医務官に言われた"硬直"や"怖さ"はないの?」
ミレイが腕を組み、心配そうに尋ねる。
カイルは、汗を拭いながら屈託のない笑顔を見せた。
「全く。というか、ドロテア先生たちが心配しているような『飛行』じゃないからね、これは。空に浮いているっていう感覚すら、ほとんどないんだ」
「でも、あんな距離を跳躍して……」
「あははははは・・・・ミレイも雲の上まで上がれば俺の言っている意味がわかるよ。あそこは、上下も左右も、自分の命の保証も全部風に持っていかれる世界だ。でもマックスとのこれは、いつだって足の裏に地面の感触があるし」
カイルの少し意地悪な言い回しに、ミレイは珍しく頬を膨らませた。
「特別班のカイルは、君かな?」
背後から掛けられた威圧感のある声に、二人は即座に弾かれたように起立し、敬礼を捧げた。
「特別班のカイルであります!」
そこには、軍務官エルネスト、飛竜部隊旗隊長セルジュ、そして走竜部隊旗隊長グラウスの三人が立っていた。
「私は軍務官のエルネストだ。先日の峡谷での一件、報告書だけではにわかに信じがたい内容でね。君たちの『特殊な戦い方』とやらを見せてもらいたい」
エルネストの横に立つ、白と青を基調にした飛竜隊正装に身を包んだ男が射抜くような視線をカイルに向けていた。
「気になるか? 私はセルジュだ」
カイルはわずかに息を呑んだ。かつて自分を、そしてマックスを「不要」と断じた、飛竜部隊の最高責任者。
短く刈り込まれた焦げ茶の髪に分厚い筋肉の男、グラウスがカイルの肩にどっしりと手を置く。
「助けられた兵士たちからは、感謝の報告が届いている。気楽にやれ、カイル」
その手の温かさに、カイルの緊張が少しだけ解けた。
ミレイがマックスの方へ走って行って、鞍の調整を始めた
「では、走らせますので、こちらに移動してください」とカイルは、ミレイに跳躍を見せた場所に移動した。
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三人は驚いていた。
タタタタタタ、ダッ!
マックスが斜面をきっかけに跳躍する。
タタ、ダン・・・バンッ!
岩壁を蹴り、反動を利用してさらに跳躍する。
空中でマックスは翼と四肢を折り畳み、可能な限り空気抵抗を殺した「塊」となる。
重力に逆らう跳躍ではなく、重力を利用した弾道。
「これは・・・」
エルネストが言葉を失う。
マックスは訓練場の障害物を次々と捉え、あたかもそれが当たり前のように移動していく。
跳躍。方向転換。連続跳躍。
着地のたびに土煙が舞うが、カイルの姿勢は微動だにしない。
彼は常に次の着地点、その先の重力加速度を計算し尽くしているようだった。
「驚いたな。だが、なるほど」
セルジュが腕を組んだまま、冷淡に口を開いた。
「おかしいと思ったんだ、つまり障害物を使って跳躍したところに、たまたま飛竜が居たと言う事だろ?特定の条件がそろわなければ使えない技は、飛竜にとって脅威にはならない」
エルネストは自分を納得させるように咳払いをした。
「あ、あぁ・・・。そうだな。軍事的な汎用性には欠ける」
セルジュはさらに追撃するように続ける。
「重い資材を運ぶ力も、純粋な走竜には及ばぬ。持久力も飛竜に劣る。・・・結局のところ、これは飛竜にも走竜にもなれなかった者の、悪あがきの産物だ。所詮は飛竜の劣化版。そう言うことだな」
「・・・」
グラウスは反論の言葉を飲み込んだ。
確かに、数値上の能力だけを見れば、セルジュの言う通りだ。
走竜のような牽引力は無く、飛竜のような制空力もない。
議論は再び、カイルたちを切り捨てる方向へ流れていく。
「第六峰峡谷には、やはり予備の飛竜を置くしかないでしょう」
「飛竜を便利に使われては困る。希少な戦略資源だ」
「ならば、前線を森の境界まで下げるべきだ。走竜を守るために飛竜を浪費するのは本末転倒ですから」
エルネストとセルジュの会話は、すでにカイルをその場にいないものとして進んでいく。
セルジュたちの評価は変わらないだろう。
報告書には再び「運用上の問題あり」の一行が付け加えられるだけかもしれない。
彼らにとって、カイルとマックスは「異物」という名の期待ハズレなのだ。
だが。
グラウスは、カイルを見つめていた。
(本当に特殊なのは、竜じゃない。・・・あいつだ)
【あとがき】
軍の上層部がカイルとマックスに気付きました。
次回は、飛竜と走竜の戦いを描きます
第31話:霧




