【第29話 地形を使う】
第六峰峡谷での戦闘報告は、その日のうちに軍へ上がった。
「走竜による飛竜への有効打。低空滑空中に接触、敵騎士戦闘不能」
簡潔な文面だったが、砦の中では静かに波紋を広げていた。
だが当のカイルは、厩舎で藁を踏みしめながら、いつも通りマックスの手入れをしていた。
「時間が止まっている様に感じたんだ」
背後から桶を抱えてきたミレイに、ぽつりとこぼす。
「音が無くなって、右を見ても左を見ても、止まっている様にゆっくりと動いているんだ」
ミレイは目を丸くした。
「凄いわね。それって剣豪の人だけが入れる“剣聖の刻”でしょ」
「たぶんそうだと思う。でも、俺は騎乗でその状態になっているから、“竜の刻”になるのかな、ははははは」
半分冗談のように笑う。
「マックスが跳躍している間の出来事だから、実際には二秒くらいの間の事だけどね」
「速度によるけど、二秒間の跳躍と言えば、結構な距離じゃないかしら。50メートルくらい?」
「距離は分からないけど、マックスが岩を利用して跳躍したんだ」
「訓練場でも再現できる?」
カイルはマックスの首筋を撫でる。
「地形とか、条件が合う場所を探さないといけないけど、やってみるよ。第三者視点で、どうなっているのかも教えてほしいからね」
訓練場は広いが、均された場所ばかりではない。端には斜面や段差、倒木も残されている。
カイルは歩き回りながら考える。
あの跳躍は突然出来た技ではない。
これまでに、数えきれないほど転倒して、失敗して、怪我をしてきた。その積み重ねの上にあった。
まず、「走る」。
走りは速度が高くなるほど、リスクが高くなる。
転倒時のダメージは指数的に増える。
むやみに速度を上げることは危険だ。
しかし速度が上がるにしたがって、振動は減り、状態は安定する。
安定するほど、さらに速度を上げやすくなる。
この矛盾をどう扱うか。
走りを安定させるために、路面を「読む」作業は欠かせない。
路面は一定ではない。左右に曲がり、上下にうねる。
特に上下のうねりは、速度が高くなると「うねり」ではなく「山と谷」になる。
硬さは滑りやすさに変わる。湿り気は、判断を誤れば前転するほど危険だ。
この路面を読むことについては、マックスは判断が甘い。
だからカイルが痛い思いをしながら経験を積んできた。
昨日の戦闘後の後頭部の痛み。
あれは訓練生の時に経験したものと同じだった。
飛竜の急降下訓練で、十分に速度を乗せて降下し、そのまま一気に急上昇させた時に起きる現象。
過度の加速が起きると、血流が後方に集まる。
視界から色が消え、白黒の世界に入る。
その先は気絶だ。
教官はそれを「速度限界」と教えてくれた。
限界の先に待つのは、死。
マックスは地上走行で、その直前まで達していた。
次に跳躍。
経験で分かったことがある。
跳躍後、着地で停止しようとすると衝撃が大きくなる。
逆に、着地後に走り抜けるようにすると衝撃は小さい。
つまり、跳躍中に加速することが正解だ。
斜面を使う場合、斜面で加速すれば跳躍は高くなる。減速すれば低くなる。
距離を伸ばすには、侵入前の速度を上げればいい。
組み合わせれば、高く短くも、低く長くも、自分で選択できる。
昨日使ったのは「より低く長く」。
助走は最大。岩に足を掛けた瞬間、上向きの力を打ち消すように減速。
その結果、低く長く伸びた。
訓練場の端に、二メートルほどの斜面を見つけた。
先は台地になっている。安全だ。
危険な地形を嗅ぎ分ける感覚は、いつの間にか身についていた。
最近怪我をしなくなったのは、そのおかげだ。
走りでも、むやみに速度を上げない。
視線は次の次のポイントへ。
周囲を予測する。
危険な状態になることは、ほとんどなくなっていた。
「見つけたよ」
ミレイに声をかけ、三人は移動する。
ミレイは斜面の少し先に立ち、全体が見える位置を取った。
「じゃあ、三本走るから、気付いたことがあったら教えてくれ」
小さく手を振る。
カイルとマックスはスタート地点へ。
ゆっくり走り出す。
ドスドスドス、ダッダッダッダッ、ダ!
最初の跳躍は小さい。地形と挙動の確認。
止まらずに走り続け、今度は逆方向から段差を飛び降りるように通過。
ダダダダダダ、ダッ、タタン。
二本目は速い。距離も伸びる。
三本目は全開。
タタタタタタタ、ダッ!
跳躍。
やはり時間がゆっくり進む。
周囲がよく見える。なぜか視界が180度を超え、真横まで見える。
斜め下に、口を大きく開けて見上げているミレイが見えた。
楽しくなり、手綱から右手を離して突き上げる。
タッ、タタタタタタ。
結局、五本ほど跳び続けてから戻った。
「あははははは、楽しかったもんで、たくさん走ってしまった」
「すごかった……すごかったよ!!」
ミレイが叫ぶ。
「なにか、気付いたことがあったら教えて」
「えっとね、カイルは丸くなって跳躍したって言っていたけど、私からはマックスが一本の矢のように見えたわ」
「矢?」
「跳躍中、足を後ろに伸ばしていて、着地の寸前に前に送り出しているの」
カイルは目を瞬かせる。
「なにか直したほうがいい所は?」
「なにもないわ! 見ていて危なさを感じないの。跳躍の前も後も、流れる様に滑らかだった」
しばらく考え、ミレイが言う。
「着地した時に、もう一度跳躍するような、連続跳躍をしたらどうなるの?」
「人間の三段跳びと同じだよ。やるから見ていて」
再び全力。
タタタタタタタ、ダッ!
着地直前、鐙で合図。
ターーーン、ターーーーン。
三連続跳躍。
「どうだった?」
「高速移動の連続跳躍になると、着地というより爪先で次の蹴りを加えている状態ね。すごく安定しているわ」
ミレイは倒木を指差す。
「連続跳躍で方向を変えることってできそう? 例えばあれを使って」
カイルは考え、頷く。
「問題ないと思うよ」
今度はゆっくり。
斜面で跳躍、着地後すぐ倒木に足を掛け、向きを変えて跳躍。
速度を上げると着地点は倒木寸前。だがどの速度でどこに落ちるか、カイルには分かる。
跳躍前に微妙に減速し、位置を合わせた。
地形に合わせて自在に跳ぶ。
遠くで訓練していた走竜隊が立ち止まっていた。
「すごい、すごいぞ……本当にうつくしい!」
三班の古参兵バルドが赤面して叫ぶ。
一班の班長も黙って見つめていた。
「あれはもう……走竜でも飛竜でもない、別のものだな」
カイルは最後の跳躍を終え、静かにマックスの首を叩く。
再現できる。
地形を読む。
速度を制御する。
跳躍を選ぶ。
それは技になりつつあった。
まだ名はない。
だが確かに――
戦場を変える動きだった。
【あとがき】
カイルとマックスが続けてきた訓練が実り始めました
次回では、軍の会議が紛糾します。
第30話:違和感の正体




