【第22話 本能】
あたたかな日差しの中、時々思い出したように風が、竜騎士基地の裏手にある草地を渡っていく。
ミレイは、細い木片を組み合わせた鳥の模型を両手で掲げた。
翼は薄い布で張られ、尾には薄い板が取り付けられている。
尾の板は、真後ろから見ると円錐を二つに割ったような形をしており、鳥の尾羽を模していた。
「いくよ」
軽く助走をつけ、風上に向けて放る。
模型はふわりと浮き上がり、弧を描いて静かに滑空した。
羽ばたきもせず、風を掴んだまま、ゆっくりと高度を保っている。
「おお……!」
思わず声を上げたのはカイルだ。
滑らかに進むその姿に、目を輝かせる。
「すごいな、綺麗に飛ぶ。俺にもやらせてくれ」
ミレイは振り返り、少しだけ眉を上げた。
「遊びじゃないのよ、これ。揚力の研究」
「研究?」
「翼は上と下で空気の流れに差ができると、上に持ち上げる力が生まれるの。翼の形を変えると、滞空時間も速度も変わる」
彼女は、もう一つの模型を差し出した。こちらは翼の先端がわずかに反り上がっている。
「さっきのは、緩やかな弧を描く形。これは少し尖らせてある。速度は出るけど、失速しやすい」
カイルは半信半疑で受け取り、言われた通りに投げた。模型は鋭く前に伸びたが、途中で翼が震え、すとんと落ちる。
「本当だ……全然違う」
「尾羽の向きも重要よ」
ミレイは落ちた模型を拾いに行きながら続ける。
「尾を上げれば首は上がる。でも抗力が増える。下げれば速くなるけど、地面に突っ込みやすい。空を飛ぶって、単純じゃないの」
回収して戻ってきたミレイは、ふと表情を変えた。
「……この前の戦闘、どうだったの?」
カイルの視線が遠くなる。
「走竜隊は、飛竜に一方的にやられた。上からの急降下、火炎壺、投石、空を取られてどうにもならなかった」
草を踏む足音と、遠くで聞こえる厩舎の鳴き声が響く。
「敵の飛竜は、高度を保ったまま旋回していた。風に乗って、ほとんど羽ばたいていない。あれが、本物の“飛ぶ”ってやつだ」
ミレイは黙って聞いている。
「俺は囮になった。走竜隊を逃がすために、マックスで森から引き離したんだ」
「敵は攻撃してこなかったの?」
「走竜隊の所にいた時に襲ってきたけど、跳躍でかわした」
「俺が囮になって走っているときは、攻撃せずにずっと追いかけてきたよ」
「なんで?」
カイルは拳を握る。
「地上にいる飛竜に対する攻撃の定石なんだ。平地から飛び立つ飛竜は高度を上げるのに時間がかかるんだ。その時が一番無防備になるから上空の飛竜からしてみれば絶好の好機になるんだ」
「走り続けたのは、よい判断だったわね」
「でも、走って逃げるのも限界がくるから、飛ばすべきかどうか最後まで迷ったよ」
ミレイは小さく頷く。
「マックスについて、検証してあることを説明するわね」
「マックスの翼は小さい。体躯の割に、面積が足りない。揚力が弱いの」
彼女は模型を持ち上げる。
「翼面積が足りないと、上昇率が落ちる」
「飛竜対飛竜の空戦でも、高度を上げる早さで負けるの。だから空中戦では致命的」
「……やっぱりか」
「それに、他の飛竜みたいに風に乗れない。滑空が苦手。あの子は常に羽ばたかないといけないの。だから、長距離移動も無理。持久飛行ができない。飛竜としての飛行能力はある。でも、兵器としての運用は難しいわけ」
その言葉は、静かに重い。
「飛べるのに、飛竜として使えない」
「違うわ」
ミレイは即座に否定する。
「飛竜よ。ただ、“戦場の空”に向いていないだけ」
カイルは思い返す。
以前から疑問だった。
放牧の時も、マックスはほとんど飛ばない。
「……もしかして」
言葉が、ゆっくりと形になる。
「マックスは、本能で分かってるんじゃないか。飛ぶことのリスクを」
ミレイは目を細める。
「本能的な選択、ってこと?」
「たぶんな。飛べないんじゃない。飛ばない」
遠くで、マックスの低い鳴き声が響いた。
兵器としての飛竜は、空を制する存在だ。
だがマックスは違う。
上を取るために飛ぶのではない。
生き残るために走る。
カイルは空を見上げる。
頭では、マックスが飛ばない理由は理解できた。
でも、死に直面した時にまた迷うのではないだろうかとも思った。
その日の午後、カイルはマックスを訓練場へ連れ出した。
竜騎士基地の外れにある広い土の平地。
午前中と打って変わり、時々突風が吹いていた。
背後にはテクスア山脈がそびえ、山肌に沿って吹き下ろす風が、唸るように地面を撫でていく。
「珍しく風が読みにくいわね」
後ろから歩いてきたミレイが、空を見上げながら言った。
カイルは手綱を握ったまま頷く。
「分かってる。でも、だからこそだ」
マックスは土の上を軽やかに駆け回っていた。
ふいに翼を大きく広げる。
そのまま身体を突風に向けるようにして、翼で風を掴む。
ふわり。
ほとんど羽ばたかず、地面から数メートル浮き上がる。
そしてすぐに着地する。
まるで遊んでいるようだった。
「見ただろ」
カイルは目を細める。
「浮けるんだ。あの風を使えば」
「遊びで浮くのと、飛ぶのは違う」
ミレイの声は冷静だ。
「今日の風は山から落ちてくる乱流よ。上昇気流と下降気流が混ざってる。危険だわ」
カイルは振り返る。
「分かってる。ミレイの説明も、理屈もな」
一歩、彼女に近づく。
「でも、俺は自分で体験しておきたいんだ。聞くのと、やるのは違う」
先日の戦闘が脳裏をよぎる。
あの時、飛ばすか、走らせるか。
迷いがあった。
「次に戦う時、迷わないために」
静かな言葉だった。
ミレイは少し黙り、やがて息を吐いた。
「……無茶はしないで」
カイルは頷き、マックスの側に歩み寄り空を指さす。
「今日は飛んでみよう」
マックスは目を伏せ、喉を低く鳴らした。
嫌がるように首を振る。
「分かってる。怖いよな」
その額に手を置く。
ミレイが近づき、マックスの目を覗き込む。
「怖かったら戻っておいで。無理しなくていい」
その声に、マックスは小さく瞬きをした。
カイルは鞍に跨る。
「行くぞ」
手綱を軽く引き、合図を出す。
次の瞬間、マックスが助走を始める。
ドン、ドン、ドン、ドッドドドドドド!
他の飛竜とは比べものにならない加速。
地面を叩く後肢の爆発的な推進力。
同時に、翼が激しく羽ばたき始める。
速い。
助走が、異様に早い。
「……そうか」
風を切りながら、カイルは理解する。
揚力が足りない分、足で稼ぐ。
地上での速度をそのまま上昇力に変換する。
だから、走る。
マックスの走力は、飛び立つために必要な力だったのだ。
土煙が舞い上がる。
浮き上がる。
だが――重い。
身体が地面に引き戻される感覚。
上昇率が低い。
「ミレイの言った通りだ……!」
必死に羽ばたく。
翼は止まらない。
通常の飛竜なら、ここで翼を広げ、風を受けて上昇する。
滑空と上昇を織り交ぜながら高度を稼ぐ。
だがマックスは違う。
常に羽ばたき続けている。
休めない。
高度が、じわじわと上がる。
だが遅い。
空戦になれば、確実に上を取られる。
「これが……除外の理由か」
風に乗れないのでは、疲れてしまう。
それは、体力を消耗し、長距離の飛行が苦手という事でもある。
兵器としての飛竜。
どれも足りない。
「よく分かったよ」
高度を保ったまま、カイルは首元を撫でる。
「無理させて、ごめんな」
その瞬間。
山脈からの突風が、轟音とともに叩きつけた。
身体が持ち上がる。
「うわっ――!」
一気に上昇。
地面が遠ざかる。
訓練場が小さくなる。
風に煽られ、意図せず高度を得る。
だが。
次の瞬間、風が消えた。
音が消える。
世界が、静止したように。
息苦しい。
「……っ?」
羽ばたく。
だが、空気がない。
支えが消えた。
真下に落ちる。
内臓が浮く感覚。
重力が身体を引き裂く。
「マックス!」
声が出ない。
指示も出せない。
視界が白む。
---死
その文字が脳裏に浮かぶ。
バフン!
爆ぜるような音。
翼が大きくしなる。
ギャオォン!
悲鳴が上がる。
だが、次の瞬間。
風を掴み前へ滑空した。
落下が前進に変わる。
「……っ!」
高度を削りながら、前方へ滑る。
地面が迫る。
カイルは必死に姿勢を整える。
ドン!
衝撃。
だが転倒しない。
二、三歩よろめき、完全に着地する。
静寂。
心臓の音だけが響く。
ミレイが駆け寄ってくる。
「突然上昇したと思ったら、真下に落ちてきたけど、何をしたの!?」
怒鳴り声だった。
カイルは荒い息のまま答える。
「何も・・・してない。風が・・・急に消えた。空気が、抜けたみたいに」
「か、風無層ね」
ミレイの表情が険しくなる。
「上昇気流の隣に下降気流があると、空気が巻き込まれて密度が薄い空洞みたいな層ができることがあるの。そこに入ると揚力が一気に落ちる」
「授業で聞いたことはある……でも、体験は初めてだ」
カイルはマックスの首に額を押しつける。
まだ震えている。
「翼、痛めてない?」
ミレイが急いで確認する。
マックスは小さく鳴き、首を振った。
「・・・事故にならなくてよかった」
ミレイがぽつりと言う。
カイルはゆっくりと空を見上げた。
青空は、何事もなかったかのように穏やかだ。
だが今日、確信した。
マックスは兵器の飛竜として運用はできない。
戦いの中では、空はマックスの味方ではない。
走ることで生きる竜。
その意味を、身体で知った。
突然、マックスが空に向かって吠えた。
グオォォォォォォォォォォォォォォォォォ
ギャオォォォォォォォォォォ
それは、自分を拒絶した空に対する怒りの咆哮のようだった。
【あとがき】
今回は、マックス回でした。
次回はカイルを描きます。
第23話:失敗




