【第2話 事故処理】
空は、淡々と青かった。
だが、カイルにとって、その青さは何も意味を持たなかった。
目の前の世界が止まってしまったのは、自分だけのようだった。
「……手綱の破断、確認済みか」
低い声が、事務的に訓練所の廊下に響く。
カイルは訓練所の個室にいた。
黒ずんだ簡素な机に、椅子四つが取り囲んでいる。
その一つに一人で座割りながら、青い螺旋模様の入った白い壁に、ポッカリと空いている窓の外を眺めていた。
廊下の向こうの部屋で整備士たちが淡々と報告書をまとめている。
教官同士が小声で打ち合わせをしているのが、微かに聞こえてきた。
「確認した。摩耗の跡はあったが、破断直前の兆候はなし」
「整備記録と照合したが、不備は見当たらないな」
「経年劣化の可能性か」
誰も、原因を深く掘り下げようとはしなかった。
誰も悪くない。
だから、誰も責任を取らない。
世界は、淡々と進んでいる。
カイルが眺めていた窓から、外を飛ぶ訓練竜の影が見える。
軽やかに羽ばたくその影は、まるで自分の足取りとは無関係に進む時間の象徴のようだった。
「竜は……軽い打撲だったので、既に訓練に戻っている」
医官の淡々とした声が耳に入る。
カイルの視線は窓の外の空を彷徨ったままだ。
――竜は無事だった、よかった。
それだけが、かろうじて自分を少しだけ安堵させる。
しかし同時に、胸の奥に罪悪感が芽生える。
自分のミスによって、竜は空から落とされたのだ。
「……飛翔前点検は、確かに行った。でも、手綱の損傷は気付けなかった……」
言葉にならない独り言が、部屋の静寂に吸い込まれる。
外の世界は、何も変わらず動いている。
訓練は続き、他の生徒たちは次々と空を駆ける。
しかし自分だけは、宙ぶらりんのまま、見守る側に置かれている。
窓の外で、飛竜が軽快に旋回する。
その動きは、かつて自分が乗っていた飛竜の姿と重なる。
不意に、士官がカイルのいる部屋に入ってきた。
士官は紺色の軍服で、肩に金糸の肩章が付いている。
胸に赤い軍章があり白の二本線が横に走っているので、二等士官だと分かる。
向かい側に座ると、紙一枚の書類を目の前に置いた。
「飛竜騎士訓練資格、剥奪」
既に、口頭では聞いていた。
改めて、指示書を突き付けられて、その文字が頭の中で繰り返される。
士官は淡々とした言葉で語った。
「今回は、君にも特段のミスは認められなかったため、賠償は無しとなった。以上だ」
カイルは、静かに立ち上がった。
分かっていたことだが、ショックだった。
昔からの夢に、あと一歩のところまでたどり着いていたのだ。
訓練で飛んだ空。
風を切る感覚が、爽快だった。
訓練生仲間のアインが隣を飛び、彼の金髪が風になびく姿が思い出された。
どこを歩き回ったのか分からないまま、いつもの訓練場に戻っていた。
もう、飛べない。
夢は、もう叶わない。
日中はそれを意識しないように努め、訓練場での動きを観察する。
これからは、地上勤務になるのだろう。
地上から指示を出すこともある。
戦術の意見を求められることもある。
しかし、どこか自分は空を飛ぶことから切り離されている。
目を閉じれば、空が迫り、手綱が切れ、視界が回転する。
地面が近づき、胸が凍りつく感覚。
墜落の瞬間が何度も脳裏にフラッシュバックする。
訓練場から、草原の中の一本道を歩いて宿舎の自室に戻った。
何をすればよいのかわからない。
着ていた革製のベストを脱ぎ、部屋の隅にあるデスクに指示書と一緒に置いた。
窓の外の穏やかな青空にさえ、突然あの感覚が忍び込む。
ベッドに横になり、目を閉じても、空は逃げ場なく迫ってくる。
呼吸が浅くなり、身体が硬直する。
そのまま、何度も落ちる感覚を味わい続ける。
いつのまにか、寝ていた様だ。
目覚めた瞬間、右脚が痙攣していた。
着地の衝撃で損傷した脚が、夢と現実の境界で悲鳴を上げる。
手足の感覚が戻らず、寝返りを打つことすらためらわれる。
「……大丈夫だ、動ける……」
そう自分に言い聞かせる。
しかし、脳裏には何度も繰り返される映像が焼き付いている。
デスクの上から、今日もらった指示書を手にして、ベッドに腰かけた。
指示書には、今回の件に関する調査報告の内容も記載されていた。
手綱の摩耗、破断の兆候なし。
経年劣化の可能性。
「なんだよそれ、だれも気付けない内容なら、なんで俺だけが罰を受けるんだよ」
世界は淡々と進む。
だが、当事者である自分だけが止まっている。
それでも、次の日はやってくる。
窓の外で飛ぶ訓練竜は変わらず軽やかに羽ばたき、仲間たちは次々と飛び立つ。
それを見つめるだけの自分は、地に足をつけながらも、宙に浮いたままの感覚で日々を送る。
――教官に、今後の事を相談しに行かなきゃ
そう思う自分と、動きたくない自分が同居する。
窓の外の青空は、変わらず淡々としている。
何も変わらず、世界は進み続ける。
だが、当事者の胸の奥だけは止まったまま、空の恐怖を抱え続ける。
カイルは深く息をつき、ゆっくりと手足を伸ばした。
右脚の痙攣が少しずつ治まり、痛みを確かめながらも、今日もまた、訓練場の影を窓越しに見つめるしかない。
世界は、進む。
淡々と。
当事者だけが、止まっている。
――これが、墜落後の「日常」となった。
【あとがき】
世界は淡々と進むみ、当事者だけが止まっている状況になりました。
次回は、憧れの場所が苦痛の場になります。
第3話「見る側」
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この小説の生い立ちというか、活動報告みたいな文書をこちらに書いてみました。
よかったら、合わせてお楽しみくださいませ。
https://ncode.syosetu.com/n0208lr/11/




