死ぬよりマシ?地中海最強のスープ 〜うちの姉ちゃんは古代文明を実践したい〜
これは俺が古代ローマに似た異世界へと転生するよりずっと前、姉と過ごした思い出の一幕―――――
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「……無理だよ姉ちゃん。俺にはリレーのアンカーなんて、絶対無理だって」
玄関を開けるなり、俺はランドセルを背負ったまま深いため息をついた。
来週の運動会、クラス投票でリレーの最後を走ることに決まってしまったのだ。
運動神経は人並みだけど、プレッシャーに弱い俺には荷が重すぎる。
しかし、キッチンから返ってきたのは慰めではなく不敵な笑い声だった。
「アンカー? 殿の名誉から逃げ出すなんて許さないわよ、匠。今日からあなたを、我が家のレオニダス王にしてあげるわ!」
俺には『真綾』という四つ年上の姉ちゃんがいる。歴史オタクで、なにかと面倒なうんちくを語り出す厄介な性質を持っているが、意外と面倒見の良い頼れる中学生だ。
真綾がキッチンで鍋をかき混ぜながら、ポニーテールを揺らして挑発的にこちらを振り返った。
その背後からはなんとも形容しがたい、鉄っぽいような酸っぱいような……なんとも食欲をそそらない不穏な匂いが漂ってきている。
「ワンッ!」
元気な鳴き声とともに足元に駆け寄ってきたのは、ミニチュアダックスの『きなこ』
見れば、きなこの首には真っ赤なバンダナが巻かれていた。
「なんだよこれ、きなこまで……それに姉ちゃん、その匂い何? 焦げてるの?」
「失礼ね。これは最強の戦士になるための栄光の香りよ。ほら、きなこもやる気満々でしょ。そのバンダナはスパルタ軍のマントとお揃いなのよ」
真綾は腰に手を当て、空いた手でおたまを高く掲げてドヤ顔を決めた。
「紀元前、ギリシャ最強を誇った軍事国家スパルタ! そこで戦士たちが主食にしていた伝説の食事を再現してあげたわ。その名も『メラス・ゾーモス』(Melas Zomos)よ!」
「めらな……なんだって?」
「『黒いスープ』よ! 豚の手足と血、そして塩と酢で煮込んだ、不屈の魂を作る滋養強壮食。あまりに不味くて他国の人々からは『これを食べるくらいなら死んだほうがマシだ。だからスパルタ人は死を恐れないのだ』とまで言われた、恐怖のメニューよ!」
「不味いのかよ! そんなの食べたくないよ!」
俺の悲鳴を無視して姉ちゃんはニコニコとテーブルにそのどす黒いスープを並べた。
本当にドロリとしていて色が暗い。
きなこは興味津々で身を乗り出すと、クンクンと鼻を鳴らしている。
「さあ、飲み干して最強になりなさい!」
姉のプレッシャーに負け、俺は覚悟を決めた。目をつむって一気にスープを口に運ぶ。
……あれ?
「――――美味い」
「ほら、そうでしょう?」
姉ちゃんがニヤリと口角を上げる。
鉄臭いどころかコクがあって、お酢の酸味が後味をさっぱりとさせている。
豚肉の旨味が凝縮されていて、ご飯が欲しくなる味だ。
「これならいけるよ姉ちゃん! なんだか全身にスパルタの血が巡るっていうか、リレーのバトンが槍に見えてきた!」
「いい心意気ね、タクミ・レオニダス。その『戦士のスープ』を飲み干した瞬間に、あなたの筋肉はテルモピュライの岩壁並みの強度に再構築されたわ。市販のゼリー飲料でドーピングする現代っ子には到底たどり着けない境地よ」
姉ちゃんの言葉に、俺はすっかりその気になった。
「そっか、俺はもう普通の小学生じゃないんだな……」と、胸を張って最後の一滴まで飲み干す。
―――スープを飲んだだけで気分はムキムキだ!
「ふふん、当然でしょ。当時の味を現代風にブラッシュアップしたんだから。ネギ抜き薄味のきなこ用も用意しておいたわ」
真綾がきなこの器に専用のスープを入れてやると、きなこは猛烈な勢いでシッポを振り、あっという間に完食してしまった。
「ワンワン!」
まるで「もっと走れるぞ!」と言わんばかりの元気の良さだ。
「よし、やる気も湧いてきたし、宿題でも―――」
「何言ってるの、匠。食事の後は当然、トレーニングよ?」
◇
真綾が自転車の鍵を指先で回しながら、冷酷な宣告を下した。
「スパルタでは七歳から厳しい集団訓練が始まるのよ。スープで得たエネルギーを、今すぐ筋肉に変えるの!
公園まで十周、きなこと一緒にダッシュしてきなさい。姉ちゃんが自転車で追いかけてあげるから!」
「ええっ!? スープ飲むだけじゃないのかよ!」
「当たり前でしょう。戦士にとって休息は死と同じ。ほら、行きなさい!」
真綾は俺の背中を強引に押し、玄関へと放り出した。いつの間にか自転車に跨った姉ちゃんは、チャリンとベルを鳴らして高らかに笑った。
「さあ、私のペダルから逃げ切ってみせなさい!」
「……くっ、やるしかないのか!」
スープのおかげか、不思議と足が軽い。
公園へ続く道を俺はきなこと一緒に駆け抜けた。背後から姉ちゃんの理不尽な激が飛んでくる。
「遅いわよ! ペルシア軍に追いつかれてもいいの!?」
「ペ、ペルシア軍……! 怖い、はぁっ……っ」
夕暮れの公園で、最後の一踏ん張り。
全力疾走する俺の横を、きなこが嬉しそうに軽快なステップで並走する。
走り終えて芝生に倒れ込んだ俺の顔には、真冬の空気すら熱く感じるほどの蒸気が昇っていた。
「……合格よ、匠。今日のあなたは確かにスパルタの戦士だったわ。その熱を忘れないうちに、凱旋といきましょうか」
自転車の上で誇らしげに胸を張る姉ちゃん。その姿は一瞬だけ、戦士を導く女神のように見えた……のだが。
家に帰ると、俺は手洗いのついでにキッチンのゴミ箱の中に吸い寄せられた。そこには見覚えのある『豚汁の具』の袋が捨てられている。
ここまでは予想通り。
だが、その下にあるものを見て、俺は言葉を失った。
真っ黒に焦げ付いて、もはや再起不能に見える鍋。
そして『五年熟成・高級バルサミコ酢』と書かれた、やたらと高そうな空き瓶。
「……姉ちゃん。この鍋、なに?」
その瞬間、自転車の鍵を置いていた真綾の肩がビクリと跳ねた。
「あ、いや、それは……その」
「それにこのお酢、凄く高そうなんだけど⋯⋯もしかして、豚肉がインスタントなのって」
「う、うるさいわね! お酢にお小遣い全額突っ込んだから予算が尽きたのよ! 文句ある!?」
真綾は顔を真っ赤にして、開き直ったように叫んだ。
「最初はちゃんと豚足とか買ってきて煮込んだのよ! でも臭み消しに失敗して、家の中がバイオハザードになったから……泣く泣く処分したの! せめてお酢だけは高級品を使って、栄養価を高めようと……」
「ワンッ!」
きなこが真綾を応援するように吠える。
……なるほど。
俺に『不味い本物』を食べさせないために何度も失敗して、最後にお高い酢と、食べ慣れたインスタントを組み合わせたってことか。
不器用すぎだろ――――うちの姉ちゃん。
そんな風に必死に準備してくれたことが分かってしまうと、騙されたことよりも胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「……そっか。ありがとね、姉ちゃん」
「ふ、ふん! 礼には及ばないわ。スパルタ王として当然の務めよ!」
真綾はプイッと顔を背けたけれど、緩みそうになる口元を拳で必死に隠しているのを俺は見逃さなかった。
◇
そして、一週間後の運動会。
俺はリレーのアンカーとしてバトンを受け取った。
順位は三位。トップとは絶望的な差がある。
いつもなら、ここで諦めていただろう。
足がすくんで、情けなく走って終わりだったはずだ。
―――でも、今の俺は違う。
(行ける……!)
バトンを握りしめた瞬間、全身に力がみなぎった。
あの黒いスープの味が、喉の奥で蘇る。
背後から迫る足音が、まるで自転車で追いかけてくる姉ちゃんの車輪の音(ペルシャ軍)のように聞こえて、恐怖と闘争心が同時に湧き上がった。
「うおおおおおおっ!」
俺は無我夢中で加速した。
前を走る二人を一気に抜き去り、ゴールテープを切る。
一位だ!
歓声に包まれる中、俺は荒い息を吐きながら観客席を見上げた。
そこには誰よりも身を乗り出し、メガホンを振り回している姉ちゃんの姿があった。
「よくやったわレオニダスー! 今日の夕飯は『ペルシア王』の宴よー!」
「……ペルシア王の宴ってなんだよ」
ちょっと恥ずかしいけど、誇らしい。
俺は苦笑いで、姉ちゃんに向かって小さくガッツポーズを返した。
……ありがとう、姉ちゃん。
でも、『ペルシア王の宴』って何が出てくるのか、今から少しだけ不安だ。
こうして俺の運動会は、スパルタ軍の勝利で幕を閉じた。
本作をお読みいただきありがとうございます。
お楽しみ頂けましたら★★★★★評価お願いいたします。
今後も同シリーズにて短編を投稿いたしますので、ご愛読いただけましたら幸いです。
次回は01月24日(土曜)17時30分に投稿いたします。
【匠の「その後」の物語はこちら!】
本作で匠が学んだ「無駄すぎる知識」が、異世界で最強の武器になる――!?
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本編では実在した武器の“武器解説”、絵師様による“挿絵”付きの豪華な長編となっています。
ぜひ合わせてチェックしてみてください!
『転生式異世界武器物語』
https://ncode.syosetu.com/n3948lb/
※こちらのイラストにはAIを使用して製作しております。




