4 胃世界結婚詐欺
まどろみの中、頬をくすぐるミケ子のふわふわの尾っぽ毛の感触と、頭部からゴロゴロゴロと喉を鳴らす音と振動が伝わる。しゃーわせ。
それから、トントントンとまな板と包丁の音がする。
わたしも奈々美さんも、料理は「レンジで簡単時短レシピ」とか、適当に材料切って火を通してから、市販のなんちゃらの素とか、なんちゃらのタレを和えるレベル。
食材の美味しい組み合わせも、調理道具のうまい扱い方もよくわかってない。
結局外のお店で出来合いを買ってくる方が多くて「食費高くなっちゃうねー、どうしよう……」と頭を悩ませていたのだが……。
そういえば、昨日わたしが寝込んでしまったから、今朝の分を買う暇がなかったのかもしれない。
わたしは慌てて起き上がる。
着替えてミケ子の朝のお世話を手早くしてから、お手伝いしようと調理場へ向かった。
なんだかすごく美味しそうな匂いがしてるのよ。焼きたてのパンや、チキンのスープのような……。
な……。
リビングのテーブルで、ぐったりしている奈々美さんが目に入る。
な……?
誰?!
「おはようございます。昨日助けていただいた神官です」
長い金髪をポニーテールにした、キラッキラの神々しいイケメン……いやまじライ様よりこっちの方が神っぽい……よ? な、超絶イッケメェェェンが、パンを山盛りにした籠を持って微笑んでいた。
色々問題があるはずだが、そんなことを忘れさせる、暴力的なまでの美男子ぶりだ。
「あ……え、昨日ぶりです。お元気そうでなによりです。お身体は……大丈夫そうですね。良かったです」
「はい、お陰様で。ところで『エルカリシャ』と唱えていただけますか?」
イケボである。顔の良い人は声も良いのか。
寝起きでぼんやりした頭のまま、わたしは素直に繰り返した。
「エルカリシャ〈私はあなたを求めます〉」
わたしがそう言うと、神官さんは続けて唱えた。
「アシュタリア〈私は永遠にあなたのものです〉」
わたしと神官さんからぽわっとした光が灯り、お互いの身体に吸い込まれてゆく。
じわーっと身体の芯が温かくなった。
「なんか健康に良い的な? 魔法とかですか?」
「はい、そうです。お互い末長く元気でいましょうね」
神官さんはその役職に合った楚々とした笑顔を浮かべ、パン籠をテーブルに置くと、続けてスープとベーコンエッグに蒸し野菜の乗った皿を次々と運んでくる。
「ところで奈々美さんは、なんでそんなテンション低いの? ミケ子撫でる?」
「みゅ」
「……撫でさせて下さい」
ミケ子を奈々美さんの膝に乗せる。奈々美さんはそのまま恭しくミケ子を持ち上げると、吸った。
「簡単なものばかりですが、どうぞ召し上がって下さい」
奈々美さんは、はっとして顔を上げた。そしてそっとミケ子を膝に乗せる。
「やなぎさん、この男、昨日の夜から押しかけて来てるんです」
わたしはようやく頭がはっきりしてきた。水を一杯飲んでから、思いっきり神官さんを睨んだ。
「昨日の夜?! まさかあんた、奈々美さんに不埒なまねしてないでしょうね……」
人は素材にできるのか……。たとえば一部分だけでも。
わたしは神官さんの股間を見た。こんだけ顔がいいなら、素材収集後に海に投げ入れたら、その泡から美の女神が生まれるかもしれん。試してみる覚悟が必要かもしれない……。
「心外です。私は殺しはしても犯しはしない、清く正しい神の僕です」
「そもそも殺しは犯罪だし、清く正しい概念が、わたし達と違う……!」
「いいえ、生きるということは、他の命を屠ることの上に成り立ちます。たとえばこのワイルドボアの肉のように」
「言い方! 言い方に容赦がない……っ」
神官さんは真顔になった。
「とにかく、あなたが心配されたようなことは何もありません。ところで我が妻よ、そろそろ名前を伺ってもよろしいでしょうか。私はアシャールと申します。どうぞ親しみを込めてアシャと呼んで下さい」
わたしは束の間、神官さんと見つめ合う。
「妻?」
彼はうっとりと微笑み、おのれの左手の薬指を見せて、それからわたしの左手の薬指を見つめる。
お互いのそこには、指輪のように蔦模様の光が浮かんでいたりする。
「私の種族、フェイ族に伝わる神を介した聖なる婚姻の証です」
「え? まさかさっきの健康に良いって言ってた……?」
「良き伴侶と結びつき、愛を高めあうことは健康に良いことです」
しれっとなに言うかな、このイッケメェェェン。
因みにこの「イッケメェェェン」は、イケんこと(良くないこと)してしれっとしやがるこの野郎をメーン(うちの地元じゃ、めっじゃなくてメーンやった)したいの略ね。
「新手の結婚詐欺……」
奈々美さんが、ぼそっと呟いた。
「まあまあ、そんな些細なことより、せっかくの朝食が冷めてしまいますよ。まずは召し上がってください」
神官アシャールさんはパン籠からパンを一つ取ると、もふわぁぁぁぁとちぎる。
宣伝で見たことあるような、ふわもちぃ、むっちぃとした裂け方に、わたしも奈々美さんも、目が釘づけになった。
むっわぁと、小麦ではなく、この世界の主食穀物「麦米」の甘く香ばしい匂いが漂う。
「さ、どうぞ」
ちぎったパンを口元に寄せられて、わたしは反射的にぱくりしちゃった。だって、良い匂いなんだもん。
もっもっもっと、黙って咀嚼し、スプーンを持ってスープを口に含む。
そして手で顔を覆って、天を仰いだ。
「やなぎさん……?」
心配げな奈々美さんの気配を感じつつ、私は色んな悔しい思いを絶品スープと共に呑み込んだ。
「結婚……悪くないかも」
「マジですか!?」
奈々美さんも恐る恐る食事を始める。
わたし達はずっと無言だった。
この世界でこんなふわふわのパンが食べられるとは思わなかったし、野菜とキノコのスープには、わたし達にだせなかった旨みがある。ベーコンだと思っていたワイルドボアのお肉は柔らかく臭みもない。上に乗った目玉焼きの黄身がとろりと絡むと、それはまさしく舌で感じる官能美だった。
わたしのどこをお気に召したか知らんが、この男を手放してはならぬと、わたしの本能(特に舌と胃腸らへん)が強力に訴えた。
まさかの果物のソルベまでお出しされて、完食後わたしは神官……いや、嫁。ではなく、夫を見た。
「アシャールさん」
「はい」
「抱きしめても?」
「ええ、喜んで」
アシャールさんは少しはにかみながら、両手を広げた。
食後の食器洗いは、わたしと奈々美さんで行った。アシャールさんは食卓に食事を並べる前に、調理器具や生ごみなど綺麗に片付けてしまっていたのだ。プロの主夫みを感じる。
そんな彼は、何処かで拾った小枝で器用に猫用のオモチャを作り、ミケ子と遊んでいる。遊んでいるくせに、こんなことを言い出した。
「この後さっそく、この国から出ましょう」
「へ?」
「私達指名手配されていますので」
「は?」
清く正しいんじゃなかったがけ!?
「それはアシャールさんだけでしょう。神殿を崩壊させてきたんですから!」
奈々美さんが声を荒げた。
「正当な報復行動です。ですが彼らも国外にまで手配書を出すことはしませんよ。あなた方もライフォート様から国を出るよう言われているのですよね」
「どうしてそれを?」
「昨夜、奈々美さんが色々親切に教えてくださいました」
アシャールさんのその言葉に、奈々美さんは思いっきり顔を顰めている。乱暴なことはされてなくても、質問責めにはされたのかもしれない。朝一にぐったりしていた様子を思い出した。
「わかったわ。その前に、ここら辺で採れる素材は採取しておくので」
パナマ草のお茶は、わたしと奈々美さんの心のオアシスだ。他の国に生えてるかもわからないし、植え替え可能な状態で、沢山採取しておこう。もちろんサボン草も忘れちゃいけない。
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