もし僕が人を殺すとしたら
「もし」は、仮定を示す言葉です。
人をなぜ殺してはいけないのか。僕にはわからないのです。
僕には納得がいかないのです。身内が死んだら困るのでしょうか。
もし母が死ねば。
僕は料理ができません。洗濯なんてもっとわかりません。ボタンまみれの四角の箱の扱い方なんて。僕はご飯もたべないで汚くなるのでしょうか。
ありがたいのか僕は片親ではありません。母が死んでも父は生きています。ご飯には困りません。ただ父も僕と似ています。汚いのかもしれません。それか僕が母の様になればいいだけです。
もし父が死ねば。
僕は働けません。働きたくても僕は中学生です。お勉強しかできません。僕は貧乏だといじめられるのでしょうか。
ありがたいのか僕は父が好きではありません。父が死んでも母は生きています。衛生面では困りません。ただ母は僕と正反対です。父がいなくなれば廃人になるかもしれません。僕が父の様になればいいだけです。
もし両親が死ねば。
僕は家がなくなります。帰る場所がなくなります。帰る場所がなくなると行く場所もなくなります。僕はなくなるのでしょうか。
ありがたいのか僕には親族がいます。両親が死んでも叔父叔母がいます。僕は邪魔になります。ただ僕は皆と違います。邪魔になれば図々しく生きるかもしれません。僕が図々しければいいだけです。
「自分が嫌なことは人にしてはいけません」とあります。あるのですが、この結論に至ってしまえば僕は人を殺していいとなります。死んだとしても嫌かは別です。困ると嫌がイコールとは限らないのです。
ガキのおもり、お疲れさまでした。




