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幼少期編5

春はスプーンを手にしながら、先輩傭兵の言葉を思い返していた。


**「この仕事が不安なら、一緒にやればどうだ?そういった目的で買ったんじゃないのか?半龍っていったら、強い異形の討伐に使われるくらいのもんだしな。」**


ここ数日で、ルーンの身体能力の高さは痛いほど実感していた。薪割りや家具の移動で見せたその力は、彼の常識を超えており、普通の人間では到底及ばないものだった。それを知っているからこそ、先輩の言葉が心に刺さっていた。


**「でもな、命がかかってるんだ。使えるものは何でも使った方がいい。それが自分のためにもなるんだぞ?」**


警備の仕事は命がけだ。今日も異形と遭遇し、先輩がいなければどうなっていたかわからない状況だった。明日からは自分一人でやらなければならない。それを考えると、不安と恐怖が押し寄せてくる。


(もし……彼女を頼れる存在として使えば、この負担を分かち合えるのだろうか……?)


そんな考えが頭をよぎるが、すぐに首を横に振った。


(いや、僕が彼女を買ったのはそういう目的じゃない。彼女を危険に晒すためじゃないんだ。)


春は心の中で自分を戒めるように思った。しかし、同時に先輩の現実的な言葉が頭から離れない。


ふと、目の前のルーンが控えめにスープを口に運んでいるのが目に入った。彼女は自分のために何かをすることにまだ戸惑いながらも、少しずつ成長している。


(彼女を守るのが僕の責任だ。でも、それが本当に正しい選択なのか……?)


食事をしながら、春は先輩の言葉と自分の信念の間で揺れる心を抱えていた。答えの出ない葛藤が、静かな食卓に影を落としていた――。


春は自分の考えが口をついて出てしまったことに驚きながらも、言葉を続けた。

「……ルーンって、異形を討伐したことはあるのかい?」


彼女を守りたいと思う一方で、自分の命を守りたいという本能が湧き上がり、彼女の実力を確かめたくなる気持ちが言葉に表れてしまった。


ルーンは少し視線を伏せ、静かに答えた。

「……はい、何回か命令されてあります。もっと幼い頃も、家族で異形ではないですが狩りをしていましたので……。」


その答えに、春は思わず唾を飲み込んだ。

「そっか……。僕は今日、先輩の戦いを見てるだけだったけど、1mくらいの昆虫型の大きな異形を討伐したよ。」


ルーンは控えめに頷き、優しい声で言った。

「……そうなんですね。お疲れ様でした、ご主人様。」


春はその反応に少し戸惑いつつも、さらに質問を続けた。

「ちなみに、ルーンはどれくらいの異形を討伐したことがあるの?」


その質問に、ルーンは少し考えるように視線を上げ、それから静かに答えた。

「……2.5~3メートルほどの獣型の異形ですね。たまに街中で見かける荷車を引いている異形によく似ています。」


その答えを聞いた瞬間、春は心の中で叫んだ。


(そ、そんなに大きな異形を討伐したことがあるのか……!)


彼女の静かな答えからは大きな自信や誇りは感じられなかったが、確かな実力がそこにあることは疑いようもなかった。


(僕がたどり着くには、まだまだ遠い実力だ……。それに比べて、彼女は……。)


春はルーンの過去の辛さや苦しみを想像しながら、彼女にこれ以上負担をかけたくないという思いと、自分が抱える不安との間で葛藤していた――。


春が黙り込んでいると、まるで彼の思考を読み取ったかのように、ルーンが静かに口を開いた。


「……ご主人様、ご命令とあらば、異形の討伐のお手伝いも致します。」


その言葉に、春は即座に答えた。

「いや、その必要はないよ。」


即答だった。迷いを挟めば、彼女に頼ってしまいそうな自分が怖かったからだ。


「前にも言ったけど、僕は君にそんなことをして欲しくないんだ。」


彼の真剣な言葉に、ルーンは一瞬視線を落とした後、僅かに納得しかねるような仕草で頷いた。

「……わかりました。」


その反応に少し胸が痛んだが、春はできるだけ明るい声で続けた。

「大丈夫だよ。採掘場にはそこまで強い異形は出ないし、給料もそこそこ多く出るんだ。だからルーンは、家事とかを覚えてくれたら嬉しいかな。」


ルーンは静かに頷きながら答えた。

「……はい。でも……いつでも仰ってくださいね。」


そう言うと、彼女は食べ終わったお皿を片付け始めた。その姿を見ながら、春は心の中で強く思った。


(彼女に余計な心配はさせたくないんだ……。)


彼女の力を頼りたくなる気持ちを抑えながら、春は改めて自分が守るべきものの重さを感じていた。ルーンにとっては、まだ「命令を聞くこと」が自分の存在意義になっているかもしれない。


(だからこそ、僕は彼女に「従うだけの存在」じゃなく、「自分のために生きられる存在」になってほしいんだ。)


彼女の後ろ姿を見ながら、春は静かに決意を新たにした――自分の仕事での苦労や葛藤は自分で抱え、彼女には新しい自由と平穏を感じさせる生活を作ること。それが今の春にとって、何よりも大切なことだった。







数週間が過ぎ、春の日々は穏やかに、けれども着実に進んでいた。


朝は相変わらずルーンが春よりも早く起き、彼を丁寧に挨拶で見送ってくれる。

彼女は春が仕事に行っている間、家の掃除をしたり、時折訪れる親方の奥さんと料理の練習をしたりしているようだった。その成果が毎日の食卓に表れていて、春は彼女の成長を実感しながら過ごしていた。


春自身も、警備の仕事での異形討伐に少しずつ慣れ、一人でそつなくこなせるようになった。初めて剣を握った時のぎこちなさは消え、短剣の扱いも次第に上達していた。


---


そんな毎日を重ねるうち、ルーンと出会ってから一か月が経とうとしていた。


「じゃあ、今日も行ってくるね。」


いつもの挨拶を交わすと、ルーンが柔らかい声で答える。

「はい、行ってらっしゃいませ、ご主人様。」


その言葉は、最初の頃の堅苦しい響きとは異なり、だいぶ柔らかくなっているように感じた。依然として自主性はあまり見られないが、それでも彼女が少しずつ変わりつつあることは明らかだった。


当初はやせ細っていた彼女の体格も、春と暮らす中で少しずつ本来の姿を取り戻しつつある。それを見るたびに、春は安堵と嬉しさを感じていた。


彼女が身に着けているのは、最初に親方の奥さんからもらった白と黒のワンピースに、これも奥さんから譲り受けたエプロンだ。その姿は、春が元の世界で見たメイドさんのようだった。


「エプロン、よく似合ってるよ。」

そう言った時のルーンが、控えめに顔を赤らめた姿を春は覚えている。それ以来、彼女は毎日エプロンを付けて過ごすようになった。


---


今日も春は、いつもと同じように採掘場の警備に向かった。彼の心には少しずつだが、「守るべきものを守るために、成長し続ける」という確かな覚悟が育っていた。





今日の採掘場は、これまでで最も深い場所での作業となった。春は警備のため、更に奥の方で異形の気配を警戒しながら立っていた。


(採掘者としては、ここより深いところで作業したことはあるけど、警備としてここに来るのは初めてだな……。気を引き締めていかないと。)


そんな考えを抱きながらも、春は数時間の間にこれまで通り昆虫型の異形を不備なく討伐していた。短剣と剣の扱いにもだいぶ慣れ、少しずつ自信がついてきていることを感じていた。


(ふぅ……今日もなんとかなりそうだな。)


春が一息ついたその時、奥の方から新たな気配が漂ってきた。目を凝らすと、暗がりの中に昆虫型とは明らかに異なる異形が顔を覗かせていた。


(……あれは初めて見る形だ。狼っぽい……?)


それは獣型の異形で、昆虫型よりも遥かに洗練された動きを感じさせた。鋭い目つきと、不自然に大きな牙が目を引く。


(何をしてくるかわからないな……。)


春はその場から一歩も動かず、狼型の異形を目で捉えたまま、剣を構えた。全身に緊張が走る。


(慎重にいかないと……動きをよく見て……。)


狼型の異形もまた、じっと春を見据え、何かを伺っているようだった。異形の狩りの本能が漂う空気に、春は背筋が冷たくなるのを感じた。


(やるしかない……!)


息を整えながら、春は異形が動く瞬間を見逃さないように、全神経を集中させた――。



春は剣を構え、慎重に間合いを詰めながら狼型の異形に近づいていった。だが、その瞬間、異形が鋭い爪を光らせながら一気に飛びかかってきた。


「くっ!」


咄嗟に剣を振り下ろすが、異形の動きは驚異的な速さで、剣は虚しく空を切る。次の瞬間には、鋭い牙と爪が春の目前に迫っていた。


衝撃が体を襲い、春は地面に押し倒される形になった。剣を構えて必死に防御するものの、異形は執拗に攻撃を加え、鋭い牙がついに春の左腕に突き刺さる。


「ぐあっ……!」


痛みが左腕を貫き、鮮やかな血が地面に滴り落ちる。異形の牙は、まるで絶対に獲物を逃さないという執念を示すように深く食い込み、離れる気配はない。


(このままじゃ……やられる……!)


春は必死に剣を振ろうとするが、体勢が悪くうまく力が入らない。全身から冷や汗が噴き出し、痛みと出血で視界がわずかに霞み始めていた。


(何とかしないと……!)


春はふと背中に付けていた短剣の存在を思い出す。右手を伸ばし、短剣を素早く引き抜くと、全力で振り上げて異形の首元を狙った。


「これで……!」


短剣は異形の首元に深々と突き刺さる。異形は耳をつんざくような叫び声を上げながら、牙を外して苦しそうに暴れた。やがてその巨体が力を失い、地面に崩れ落ちる。


「はぁ……はぁ……。」


春はなんとか異形の体を押しのけ、地面に膝をついた。左腕からは激しい出血が続き、傷の痛みが全身に響いていた。


(倒せた……でも、この傷は……まずい……。)


立ち上がろうとするものの、足元がふらつき、視界が揺れる。それでも春は必死に意識をつなぎ止め、剣を杖代わりにして安全な場所を探し歩き始めた。


春は左腕を押さえながら、ふらふらと作業者たちがいる方向へ歩いていった。視界がぼやけ、足元がふらつく中、彼の脳裏にはただ「助からなければ」という思いだけがあった。


「ん?ハル!?どうしたその怪我!?」


作業者の一人が春の姿に気づき、大声を上げた。その声を聞いた春は、安堵感が全身を包み込むのを感じた。しかし、それと同時に力が抜け、膝が崩れた。


「おい!みんな来い!急げ!」


同僚たちが慌てふためきながら駆け寄る声が耳に入る。春は倒れ込んだまま、意識が薄れていく中で、自分の身体が誰かに持ち上げられる感覚を感じた。


「しっかりしろ!血が……やばい、急げ!」


そんな叫び声が遠のいていくのを聞きながら、春はついに意識を手放した――。


全てが暗転する中、春の心には不安と共に、守るべきルーンの顔が浮かんでいた。


(……大丈夫だ……きっと、また……。)


そう思ったところで、彼の意識は完全に闇の中へと落ちていった――。








ルーンは家の裏庭で、いつものように薪割りをしていた。鋭い爪を使いながら、手際よく薪を割る動きはすっかり慣れたものになっている。


(今日の献立はどうしよう……ご主人様はなんでも美味しいって食べてくれるから、逆に悩んでしまう……。)


そんなことを考えながら、ルーンは淡々と作業を続けていた。その時、慌ただしい足音が聞こえ、顔を上げると親方の奥さんが息を切らしながら走ってくるのが見えた。


(……?今日はいつもより早い時間ですね。)


ルーンは爪を止め、奥さんに挨拶した。

「おはようございます、奥様。」


奥さんは一旦立ち止まり、息を整えながら急いで口を開いた。

「ルーンちゃん……春ちゃんが……警備中に異形と戦闘になって、大怪我して……。」


「ご主人様が!?」


ルーンは自分でも驚くほど大きな声を上げた。その瞬間、胸が締め付けられるような感覚に襲われ、鼓動が速くなるのを感じた。


奥さんは続けた。

「まだ意識が戻らないの!とりあえず、街のお医者さんのところまでは運んだけど……。」


ルーンは奥さんの言葉を聞くや否や、まるでスイッチが入ったようにはっきりとした口調で言った。

「奥様……案内してください。」


その言葉の強い意志に、奥さんは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに頷いた。

「そうね……案内するわ。ついてきて!」


ルーンは薪を割っていた手を止め、すぐに奥さんの後を追った。その歩みは普段の控えめな彼女とはまるで別人のように早く、足取りに迷いがなかった。


二人は急ぎ足で街の診療所を目指した。ルーンの胸中には、ただひとつの願いがあった――ご主人様が無事でありますように、と。


診療所に到着したルーンと親方の奥さんは、まっすぐ春が寝ているベッドへと向かった。部屋に入ると、既に処置は終わっており、ベッドには春が静かに横たわっていた。


「ご主人様!」


ルーンは慌ててベッドへ駆け寄った。春の顔は蒼白だったが、息は安定しているようだった。しかし、左腕に巻かれた厚い包帯からわずかに血がにじみ出ているのを見て、その怪我がいかに重いものかを察した。


(ご主人様……。)


ルーンは胸が締め付けられるような感覚に襲われ、瞳が熱くなるのを感じた。自分でも驚くほど、涙が溢れそうになっている。彼女はこのような感情を久しく忘れていた。


春はまだ目を覚ましそうにはなく、静かに眠っているだけだった。


「……ルーンちゃん。」


親方の奥さんが静かに声をかけた。

「私は隣の部屋にいるから、春ちゃんの近くにいてあげてね。もし何かあったらすぐに呼んでちょうだい。」


「……はい、ありがとうございます、奥様。」


ルーンは普段通りの丁寧な口調で答えたつもりだったが、その声は震えていた。


奥さんが部屋を出ていくと、室内には春とルーンだけが残された。ルーンはベッド脇に立ち、静かに眠る主人を見つめた。


(ご主人様……どうして……。)


静かな部屋の中、ルーンはひたすら春の目覚めを待っていた。不安と心配で胸が押しつぶされそうだったが、ただ彼のそばにいることしかできなかった。


(早く目を覚ましてください……。)


彼女の心からの願いは、静かな部屋に溶け込むように響いていた――。



朝日が診療所のベッドに差し込む頃、春の意識がゆっくりと戻ってきた。


左腕には燃えるような熱があり、それが鋭い痛みとなって全身に広がっていた。それでも、その痛みは生きている実感を彼に与えていた。


薄く瞼を開けると、自分が診療所のベッドにいることを確認した。

(街の診療所か……命は助かったみたいだ……。)


安堵の思いが胸に広がる中、春は顔を横に向けた。そこには、いつもの朝と同じようにルーンが立っていた。しかし、彼女の肩が微かに震えているのが見えた。


「おはよう……ルーン。」


春は寝たままの体勢で、いつものように彼女に挨拶をした。


その言葉を聞くと、ルーンは抑えきれないように声を震わせながら答えた。

「おはようございます……ご主人様……。」


そして、そのまま春の胸元に倒れ込むようにして、泣きじゃくり始めた。


普段、感情を表に出すことが少ない彼女からは想像もつかない光景だった。しかし、その泣き方は年相応の少女らしい、抑えきれない思いが溢れた涙だった。


春は、胸の上で泣き続ける彼女の頭を優しく撫でながら、申し訳なさそうに言葉を絞り出した。

「ごめんね……心配かけて……。」


ルーンは返事をする余裕もないほど泣き続けていた。その泣き声だけが、静かな部屋の中に響いていた。


春は痛む左腕を感じながらも、彼女がここにいること、自分の無事を本気で喜んでくれる存在がいることに、深い感謝と安堵を覚えていた――。


ルーンはしばらく春の胸で泣き続けた後、そのまま泣き疲れて眠ってしまった。春は、彼女の静かな寝息を感じながら、胸の上で小さく丸まる彼女をそっと見つめていた。


その時、部屋の扉が静かに開き、親方の奥さんが入ってきた。


「春ちゃん、目が覚めたのね。」


「あっ……女将さん……すみません、ご迷惑をおかけしたみたいで……。」


春が申し訳なさそうに言うと、奥さんは柔らかい笑顔で首を横に振った。

「いいのよ。後で何があったかはゆっくり聞くから。……ルーンちゃんね、あなたが目を覚ますまで夜通しずっと立ったまま看病してたのよ?」


「そうだったんですね……。」


春は、自分の胸で眠るルーンに目線を落とした。泣き腫らした目と疲れた表情が、そのまま彼女の思いを物語っていた。


「暫く安静にしないといけないみたいだから、今日はゆっくり休みなさいね。警備の仕事はこっちでなんとかするから、気にしないで。」


奥さんはそう言って、優しく付け加えた。

「……彼女が起きたら、ちゃんと声をかけてあげてね?」


春は小さく頷いた。

「はい、ありがとうございます。」


奥さんは満足そうに笑みを浮かべると、部屋を後にした。


静寂が部屋に戻り、ルーンの静かな寝息だけが春の耳に響いていた。彼は左腕の痛みを感じながらも、胸の中で眠る彼女の存在にどこか救われる思いを感じていた――。


(こんなにも心配させてしまったんだ……。)


春は改めて彼女の献身に感謝しつつ、彼女のためにも自分がしっかりとしなければと決意を新たにした。





暫くして、ルーンがゆっくりと目を覚ました。彼女はまだ少しぼんやりしているようだったが、目が合うと春が優しく声をかけた。


「改めて、おはよう、ルーン。」


その言葉を聞いたルーンは、自分が主人の胸で泣き疲れて寝てしまったことに気づき、慌てて体を起こして距離を取った。


「す、すみません、ご主人様……。」


ルーンは瞼を擦りながら俯き、申し訳なさそうに謝った。


しかし春は、優しい笑みを浮かべながら首を横に振った。

「大丈夫だよ、ルーン。むしろ心配かけてごめんね。……夜通し看病してて疲れてたんだよ、きっと。」


春の穏やかな声に、ルーンは一瞬目を伏せてから、小さく頷いた。


「……いえ、私は……ただ、ご主人様が……無事でよかったです……。」


その声には安堵と、まだ少し残る不安が混じっていた。


「ありがとう、ルーン。」


春は彼女の手をそっと取り、自分の気持ちを伝えた。

「僕のためにそこまでしてくれて、本当に嬉しいよ。無理だけはしないでほしいけど……君がそばにいてくれることが、僕にとっては一番の力になるんだ。」


ルーンはその言葉に一瞬驚いたように春を見つめたが、やがて小さく微笑んだ。


「……はい、ご主人様。」


その笑顔に、春は再び彼女の存在の大きさを感じ、胸の中が温かくなるのを感じていた――。


暫くすると、診療所の扉が開き、採掘場の親方が入ってきた。


「お、起きてるみたいだな、ハル。それにルーンちゃんもこんちは。」


ルーンは親方の方に小さくお辞儀をした。

「……すみません、ご迷惑をお掛けしました。」


親方は軽く手を振って笑った。

「いいっていいって。そもそも、ハルが警備の仕事に慣れる前に前任者が辞めちまって、あんまりイロハを教われなかったのも、こっちの責任だしな。」


親方は少し困ったような顔をして続けた。

「それでも、これまで一か月は特に問題なく異形の討伐をやってたから、こっちも任せっきりにしちまったよ。採掘場は奥に行くほど質の良い鉱石が取れる分、異形も強力になるからな。今回は、ハルの実力を見誤って場所を指定した俺のミスだ。すまん。」


春は親方の真剣な謝罪に、慌てて首を振った。

「親方、やめてくださいよ。普段から奥さん共々、ルーンや僕に良くしてもらってるのに……。僕の実力不足が招いた結果です。」


「いやいや、責任者としては俺が失格だ。だからお前は、しっかり怪我を治すんだ。嫁から聞いたと思うが、怪我が治るまではこっちでなんとかするから気にせず休んでてくれ。」


親方の真摯な言葉に、春は思わず目を伏せた。


「……ありがとうございます。」


親方は満足そうに頷き、ルーンの方に視線を向けた。

「ルーンちゃん、ハルが治るまでは大変だろうけど、こいつの面倒をしっかり見てやってくれよ。」


「はい、ご主人様のお世話を精一杯させていただきます。」


ルーンのはっきりとした答えに、親方は満足そうに笑みを浮かべた。


「よし、それなら安心だ。何か困ったことがあったらすぐ連絡してこいよ。それじゃ、俺は戻るからな。」


親方は部屋を出る直前、ふと思い出したように春の方を向いた。


「あぁ、そうだ。ハル、どんな異形にやられたんだ?現場近くにそこそこの魔石が落ちてたから、結構大きかったのか?」


春は少し思い出しながら答えた。

「いえ……大きさはそこまでではなかったです。でも、普段は昆虫型ばかりだったのが、今回は初めて獣型の……狼型の異形が出てきたんです。それで対処がわからず……。」


「狼型か……。」


親方は眉をひそめ、少し考え込んだ。

「普通、狼型はもっと奥の階層から出てくるハズなんだがな……。」


親方は腕を組みながら語り始めた。

「あの採掘場はな、先々代が切り開いた場所なんだ。途中までの地図は残ってるけど、一番奥のことは俺も詳しくは知らないんだよ。先々代の頃は、もっと奥の階層まで切り込んでたらしい。その時代は強い傭兵を雇って護衛してもらえるだけの採掘資金があったらしいからな。」


春は親方の話をじっと聞きながら、自分が今いる場所の過去に思いを馳せた。


「でも、今はそんな危険を冒す余裕もないし、浅い階層で作業員を増やして採算を取ってるってわけだ。でもな、長年使ってると異形の湧き方や出現位置も変わるのかもしれん。退職したヤツも最近は“大き目のが増えてきてる気がする”って言ってたのを思い出したよ。」


親方は少し間を置いてから、笑顔を浮かべて言った。

「まぁ、これは俺の方で計画を練り直せば済むことだ。お前はしっかり休んで回復に努めろよ。それに、疲れてるのに情報ありがとな。」


親方は軽く手を振り、今度こそ部屋を出て行った。


春は親方の話を反芻しながら、改めて採掘場の奥深さと、自分の身に起きた危険の背景に思いを巡らせていた。そして、ルーンが静かに隣に座る気配を感じながら、自分が今後どうするべきか考え始めた――。


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