幼少期編
春を見送り、彼の気配が完全に見えなくなるまで、ルーンはお辞儀をし続けていた。やがて顔を上げた彼女は、ぽつりと心の中で呟いた。
(……何をしていればいいのだろうか……)
商品として扱われるようになってからの彼女の生活は、常に命令を受け、それを実行することの繰り返しだった。寝る時も食事をする時も、全てが指示によって動かされていた。それだけに、何も指示されていない今、この空いた時間に何をすればいいのか、彼女にはまったく分からなかった。
(……私が下手に掃除をしても、恐らくご迷惑をおかけしてしまう……)
悩んだ末に、ルーンは何もしないことを選んだ。椅子に座ることすら気が引けて、ただ部屋の中に立ち尽くし、考えることもなく時間が過ぎるのを待っていた。
そんな中、ふと春の言葉を思い出した。
(……そういえば、街に出かけてもいいと言われていました……)
そのことを思い出しても、彼女の心は揺れなかった。
(……でも……正直怖い……。出かけてもいいということは、出かけなくてもいいということ……だから、家に居させてもらおう……)
そのまま静かに部屋に佇みながら、彼女の心に過去の記憶がふっと蘇った。
(……こんなに何もしないでいるのはいつ以来だろうか……村が異形に滅ぼされて、家族と散り散りになったあの日以来かもしれない……)
その時以来、彼女は休む暇もなく動き続けてきた。異形から逃げ、隠れ、捕まり、商品として扱われる生活の中では、立ち止まる余裕などどこにもなかった。
(……こんなことを考える余裕ができるなんて、思いもしなかった……)
静かな部屋の中で、ルーンは少しだけ心の奥にしまい込んでいた感情を思い出しながら、ゆっくりと時間を過ごしていた。そんな中、初めて味わう「何もしない時間」が、彼女にとって何かを変えるきっかけになるのかもしれなかった――。
(……今のご主人様は正直、よくわからない……)
ルーンは部屋の中で静かに立ち尽くしながら、自然と春のことを考えていた。
(私を買ってくれた時の会話から察するに……恐らく、全財産を叩いていた……)
あの奴隷市場での出来事を思い返す。高額な値段が提示されてもためらわず、自分を手に入れるために交渉を進めていた春。その姿は、単なる思いつきや衝動だけでは説明できないように感じられた。
(でも……別に私を使って、その分を取り返そうとしているわけじゃない……)
むしろ、春の行動は自分にとって信じられないことばかりだった。自分にお金をかけるようなこと――新しい服を用意してくれたり、食事を丁寧に作ってくれたり――そういった行為ばかりしている。
(それに……凄く優しい……)
彼がかけてくれる言葉は、どれも温かく、威圧感や押し付けがましさはまったくなかった。「ご主人様」としての態度ではなく、まるで対等に接してくれているように思える。
(……なんでだろう……)
ルーンは自分の胸の奥に生まれた違和感の正体がわからなかった。これまで経験したことのない「優しさ」に、どう反応すればいいのかもわからない。
(ご主人様は、私に何を求めているの……?ただ一緒にいるだけでいいって……本当にそんなことがあるの……?)
考えれば考えるほど、春という存在が不可解に思えてきた。しかし、同時にその優しさが、ほんの少しだけ彼女の心の奥を温めているような気もしていた。
(……今はまだ何もわからない。でも……もう少しだけ、この場所にいてもいいのかもしれない……)
彼女はそんなことをぼんやりと考えながら、静かな部屋で春の帰りを待ち続けた。
採掘場に向かう前、春は主任の家を訪ねていた。扉を軽く叩きながら声をかける。
「すみませーん、奥さんいらっしゃいますか? わざわざ来てもらうのも悪いので、僕の方から来ました。」
奥からドタドタと足音が聞こえ、主任の奥さんが現れた。エプロンを身につけ、少し息を切らせながらも笑顔を浮かべている。
「あら、春ちゃん、わざわざ来てくれたのね。」
春は頭を下げながら答えた。
「まぁ、採掘場に行くついでの寄り道なので。それで、話ってなんですか? 新しい仕事場のことですか?」
奥さんは軽く首を振りながら椅子を勧め、少し遠慮がちに話し始めた。
「いやね、私たち夫婦が前に住んでた家のことなんだけど……街の外れにあって、そこそこの大きさなのよ。だけど、もう何年も使ってなくてね。春ちゃんさえよければどうかなって思って。」
春は驚きながら、申し訳なさそうに手を振った。
「あ、いや……そんなお金は……」
奥さんは軽くため息をつきながら、冗談めかした口調で答えた。
「お金がないのは知ってるわよ! あの子を買ったんだからね。でもね、家ってのは誰かが住んで管理しないと、どんどん悪くなっていっちゃうのよ。だから、毎日掃除と家の点検をしてくれれば、それでいいの。二人で住んでもらいたくてね。」
春はさらに驚き、どう返事をすればいいのか迷った。
「えっ……本当に? すごく嬉しい話なんですが……昨日もルーンの服をいただいたり、お風呂に入れてもらったり、食事ももらって……正直、申し訳なくて……」
奥さんは少し遠い目をしながら、ゆっくりと話し始めた。
「私たち夫婦ね、子供には恵まれなかったの。だから、その家も元々子供と一緒に住む予定で建てたものだったのよ……でも、その予定が無くなっちゃってね。」
彼女の声には、どこか寂しさと懐かしさが混じっていた。
「そのことがあって引っ越したんだけど、未練がましく残してしまっててね。奴隷の子供を買って養子にしようかと考えたこともあったのよ。でも、旦那も私も結局、血の繋がった子がいいって思っちゃって……だから、その家も使われないままだった。」
春は黙って話を聞きながら、その言葉の重みを感じていた。
「でもね、春ちゃんが連れてきた半龍の子を見てたら、そのことを思い出しちゃったのよ。彼女の怯えた顔や小さな仕草を見ていたらね……。だから、これは私のわがままでもあるのよ。素直に受け取ってくれる?」
奥さんの瞳には、かすかに涙が浮かんでいた。それを見て、春は少しの間言葉を探した後、深く頷いた。
「……分かりました。ありがとうございます。本当に、感謝しかありません。」
奥さんは柔らかく微笑み、春の肩を軽く叩いた。
「そう、それでいいのよ。二人で仲良く暮らしてね。」
春は改めて礼を述べ、家を後にした。背中には新しい責任の重さを感じながらも、それが不思議と心地よいものに思えていた。
春は、思わぬ好展開に心の中で喜びながら、採掘場へ向かっていた。
(何も計画せずに彼女を買ってしまったけど、住むところの問題が解決したのは本当にありがたいな……。まだまだ山積みの課題はあるけど、頑張ろう。)
採掘場に到着すると、数人の仲間たちが待っていたかのように、すぐに肩を引き寄せて喋りかけてきた。
**仲間A**
「よぉ!ハル、噂になってるぜ~?奴隷を買ったんだってな。しかも女だろ?」
彼はニヤニヤと笑いながら続けた。
「お前、そういう店にも行かねぇから興味ねぇかと思ってたけど、俺たちみたいに何回も通うより買っちまった方が安上がりだなぁ!」
**仲間B**
「おい、A、お前は通い過ぎて貯金できねぇだけだろ!ハルがそんな趣味だったなんてな~。」
彼は茶化すように笑いながら、声を潜めて続けた。
「しかも聞いた話だと、小さい子を買ったって聞いたぞ?お前、そんな趣味だったんだな。そりゃここらの店にいないわけだよな!」
**仲間C**
「おいおい、5万トロンで買ったんだろ?倹約家のお前だってよくそんな大金持ってたな!スカンピンだろ今?
貸してやろうか?」
彼は肩をすくめながら、大げさに手を広げた。
「それに半龍だってな。すげぇ趣味だな、お前。5万トロンもあれば、一か月くらい夜の店行き放題だぞ!」
春は矢継ぎ早の質問や茶化しにタジタジになりながら、どう返すべきか困り果てていた。奴隷市での自分の行動が噂になっていることに驚いたが、目玉商品ともなれば、それも当然かもしれない。
(……なんでこんなに早く広まってるんだよ……)
その時、声が飛んできた。
**親方**
「お前ら、何油売ってんだ!さっさと持ち場に行け!」
親方の号令が響くと、仲間たちは蜘蛛の子を散らすように一斉に持ち場へと散っていった。
親方は春に向かってゆっくりと歩み寄り、少し呆れたような顔でため息をついた。
「……ったく、アイツらは……。よぅ、ハル。」
親方は少し間を置いてから続けた。
「半龍の子の話は嫁から聞いてるぞ。」
春はその言葉に驚きながらも、すぐに頭を下げた。
「あ、はい……奥さんにすごくお世話になってて……。本当に感謝してます。」
親方は腕を組み、じっと春を見つめながら言葉を選んでいるようだった。
「……お前、苦労することになるかもしれねぇぞ。」
春はその言葉にしっかりと頷いた。
「覚悟はしてます。でも……彼女を見捨てられなかったんです。」
親方は一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに口元を歪ませて笑った。
「そうか。まぁ、何かあったら俺たちに頼れ。嫁もお前の味方だ。困ったら遠慮なく言えよ。」
その言葉に春は胸が温かくなるのを感じ、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。本当に……ありがとうございます。」
親方は軽く背中を叩きながら、「さっさと持ち場に行け!」と声をかけた。春は仲間たちの方へ向かいながら、(俺には支えてくれる人がいる)という実感を胸に抱き、今日も一日頑張ろうと気合いを入れ直した。
結局、仕事中も何度か同僚にからかわれる場面があったが、春は苦笑いでやり過ごし、その日の仕事を無事に終えた。
(まぁ、数日もすればみんな飽きるだろうし……少しの辛抱かな。)
そう自分に言い聞かせながら、宿舎へと帰路を辿る。扉を開けると、椅子に座っていたルーンが慌てて立ち上がり、頭を下げて出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、ご主人様。」
その姿に春はほっと胸を撫で下ろす。
(正直、ずっと立って待っているんじゃないかと心配だったけど……ちゃんと座ってくれていたみたいで良かった。)
「ただいま、ルーン。どう?街に出かけたりはしたかい?」
春が軽く問いかけると、ルーンは少し戸惑ったように答えた。
「……いえ、ご主人様がどちらでも良いとおっしゃったので、出かけませんでした……。……出掛けた方が、よろしかったですか?」
その言葉に、不安そうな気配が混じっているのがわかった。春は優しい声で答えた。
「いや、無理に出掛けてほしいなんて思ってないよ。だから大丈夫。」
ルーンはその言葉に安心したように小さく頷いたが、春は続けた。
「そうは言っても、この部屋でずっと過ごすのも退屈でしょ?」
すると、ルーンは少し考え込むようにして答えた。
「……退屈……ですか……。いえ……ずっと休憩を言い渡されているようなものですから……そんな事はありません。」
彼女の返答に、春は一瞬言葉を失った。
(休憩だなんて……そんな風に捉えてるんだな……。)
「……そっか。」
春は軽く頷きながら、それ以上は言わなかった。彼女にとって「自由に時間を使う」という概念がまだ馴染んでいないのだと感じたからだ。それでも、春は焦らずに少しずつでも進んでいければいいと思った。
(今は無理に何かをさせたり、動かそうとするより、彼女が少しずつ慣れていくのを待つべきだな。)
春は笑顔を見せながら話題を切り替えた。
「今日の仕事、大変だったよ。同僚たちにからかわれるのは疲れたけど……まあ、なんとかなったかな。」
ルーンは静かに耳を傾け、小さく頷いていた。その様子を見ながら、春は改めて彼女のことをゆっくりと理解していこうと心に決めた。
「そうだ、ルーン。」
春はふと思い出し、ルーンに話しかけた。
「新しい場所に引っ越すことになったんだ。さすがにここで二人で暮らすには狭いからね。」
その言葉にルーンは一瞬驚いたような表情を浮かべ、すぐに俯いて答えた。
「……私が外で生活をすれば、そのような場所に移動しなくても……」
春は彼女の言葉に一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに優しい声で返した。
「ううん、そういうわけにはいかないよ。君を外で暮らさせるなんて考えられない。それに……」
彼は少し間を置いてから、真剣な表情で続けた。
「今はまだ難しいかもしれないけど、自分をあまり卑下しないでほしい。君は、もっと大切にされるべき存在なんだ。」
ルーンはその言葉に目を伏せ、しばらく黙ったままだったが、やがて小さな声で答えた。
「……わかりました。」
彼女の返事には迷いが残っているように感じられたが、春は無理に深追いしないことにした。
「うん、少しずつでいいんだ。本当に。」
そう言って、春は立ち上がり、食事の準備に向かった。振り返って、ルーンに笑顔で話しかける。
「さ、晩御飯の作り方を教えるよ。といっても、僕が作るのなんて本当に簡単なものだけどね。」
ルーンは少し戸惑いながらも頷き、春のそばに立って作業を見守った。
春は一つひとつ、ゆっくりと手順を説明しながら進めていく。ルーンが慣れない手つきで手伝おうとするときは、さりげなく補助して彼女の自信を壊さないように気を配った。
「ほら、こんな風にするといいよ。」
「……はい。」
彼女の小さな声と真剣な表情を見て、春は微笑んだ。
(少しずつでいい。こうやって一緒に何かをする時間が、彼女にとって少しでも楽になればいいな。)
二人で準備した簡単な食事を前に、春は「いただきます」と手を合わせた。その姿を見て、ルーンも少しぎこちないながら手を合わせ、春と一緒に共同作業を終えた安堵感を胸に感じていた。
翌朝、春が目を覚ますと、目の前にルーンが立っていた。彼女はじっと春を見つめ、小さく頭を下げた。
「おはようございます、ご主人様。」
春は軽く笑いながら挨拶を返した。
「おはよう、ルーン。今日も待っていてくれたんだね。」
ルーンは少し俯きながら答えた。
「……すみません……長く寝てもいいと仰っていただいても、今はまだできそうにありません……」
その言葉に春は、彼女の無意識の中に染みついている従順さを感じ、胸が少し痛んだ。しかし、表情には出さず、優しく言った。
「いいんだよ、無理に変わる必要はない。少しずつ慣れていこう。」
ルーンは小さく頷いた。春は布団を整えながら、話を切り替えた。
「今日はね、仕事は休みを取っているんだ。親方が引っ越し先に行って下見と掃除をしてきてもいいって言ってくれたから。」
ルーンは少し驚いたように春を見つめたが、何も言わなかった。春は続けた。
「朝食を食べ終えたら、一緒に行こうか。」
「……わかりました。」
ルーンは静かに頷いた。その表情はまだ不安げだったが、どこか少しだけ期待が混じっているようにも見えた。
春は微笑みながら立ち上がり、朝食の準備に向かった。
(新しい場所が、彼女にとって少しでも安心できる場所になるといいな。)
そんな思いを胸に、彼は穏やかな朝を過ごし始めた。
朝食を済ませた春は、ルーンを連れて街外れの元親方夫婦の家へと向かった。
ルーンは奥さんからもらった服を着ており、長い尻尾は上手に隠していた。遠目には、ただの可愛らしい少女にしか見えない。彼女が人目を気にせず歩ける姿を見て、春は少し安心した。
道中、昨日奴隷市が開かれていた広場を通りかかる。心苦しい気持ちで覗いたが、市はすでに撤収され、普段の活気ある光景が戻っていた。
(……たまたま一番最初に目に入ったのがルーンだったけど、他にも奴隷の子はたくさんいたんだ……)
春はそのことを思い返し、胸が重くなるのを感じた。
(偽善なのは分かってるけど……それでも、あの時は……どうしても放っておけなかったんだ……)
そんな思いを抱えながら、後ろから静かに付き従うルーンを引き連れ、街の端まで歩いていった。
そこは街の中心からかなり離れた場所で、商店などのアクセスは良くなかったが、周囲には何もなく静かで落ち着いた雰囲気だった。春は、ルーンにとって過ごしやすそうな環境だと感じた。
木々に囲まれた敷地の中に、その家はひっそりと佇んでいた。大きすぎず小さすぎず、清潔感のあるシンプルな造り。親方夫婦がしっかりと手入れをしていたことが窺えた。
春はルーンに振り返り、柔らかい声で言った。
「ここだよ、ルーン。」
ルーンは小さく目を見開き、家をじっと見つめた。彼女の表情には、不安と期待が混じっているようだった。
春はその様子を見て、優しく微笑みながら続けた。
「これからここが、僕たちの新しい家になるんだ。」
ルーンはしばらく黙っていたが、やがて小さな声で答えた。
「……とても、広いです……私がいても、本当に良いのでしょうか……?」
その言葉に春はしっかりと頷き、力強く答えた。
「もちろんだよ。君がここにいてくれることが、僕にとっても大事なんだ。」
その言葉に、ルーンは少しだけ表情を和らげたように見えた。春は玄関に向かいながら、彼女に声をかけた。
「さあ、中を見てみよう。掃除は必要だけど、きっと気に入ると思うよ。」
ルーンは静かに頷き、春の後に続いて歩き出した。新しい家での生活が、彼女にとって少しでも安心できるものになることを願いながら――。
中に入ると、数年間使われていなかったことを物語る薄い埃が二人を出迎えた。埃っぽい匂いが漂うものの、春は一歩踏み出して辺りを見回した。
「思ったよりも痛んでないな……」
家具はどれも立派で、長い間使われていなかったとは思えないほどしっかりしている。ところどころに見える木の艶やかさや頑丈な造りが、親方夫婦の丁寧な手入れを物語っていた。
春は振り返り、ルーンに微笑みながら言った。
「ここの家具はそのまま使っていいって言われてるんだ。ありがたく使わせてもらおうか。」
ルーンは小さく頷いた。
「……はい、ご主人様。」
「じゃあ、まずは家の中を見て回ろう。どんな部屋があるか確かめたいしね。」
そう言って、春は玄関からリビングに向かって歩き出した。ルーンは少し距離を取りながら、慎重に春の後についていく。
#### **家の探索**
- **リビングルーム**
リビングは広く、中央には大きな木製のテーブルと椅子が置かれていた。壁には小さな棚が備え付けられており、埃を払えばすぐにでも使えそうだ。窓から差し込む光が、部屋を柔らかく照らしていた。
「ここがメインの部屋になりそうだね。」
- **キッチン**
キッチンは質素だが機能的だった。火を使うための魔法陣が彫り込まれたコンロと、しっかりとした調理台が備わっている。
「この魔法陣、使い方は奥さんに聞いておかないとな。」
ルーンは興味深そうに魔法陣をじっと見つめていた。
- **寝室**
二つの寝室があり、それぞれ広さは十分。片方の部屋には古いベッドが置かれており、もう片方には木製の収納棚があった。
「この部屋をルーンの部屋にしていいかな?」
ルーンは驚いたように春を見上げたが、すぐに控えめに頷いた。
「……ありがとうございます。」
- **浴室**
浴室は簡素だが浴槽があり、湯を沸かせる設備も備わっていた。
「ここは一番ありがたいな。今夜は早速使えるように掃除しよう。」
- **物置部屋**
家の隅には物置部屋もあった。中にはいくつかの工具や古い道具が置かれており、手入れすれば役立ちそうだった。
#### **探索を終えて**
「広さもちょうどいいし、思ったよりも快適そうだな。」
春がリビングに戻りながらそう言うと、ルーンは少し緊張した様子で後をついてきた。
「ここで……私が暮らしても本当にいいのですか……?」
彼女の問いかけに春はしっかりと頷き、微笑んだ。
「もちろんだよ。ここは君も僕も一緒に暮らす家なんだ。」
その言葉に、ルーンの表情が少しだけ柔らかくなったように見えた。春は埃を払いながら続けた。
「それじゃあ、掃除を始めようか。全部片付いたら、今夜からここが僕たちの家だ。」
ルーンは再び小さく頷き、春と一緒に掃除を始めるために手を動かし始めた。二人の新しい生活が、少しずつ形になっていく予感がした。
「その……私は細かい作業や力加減が苦手で……掃除もしたことがないので……」
ルーンは俯きながら、不安げに続けた。
「……掃除の時に壊してしまうかもしれません……」
その言葉に、春は優しい笑みを浮かべて答えた。
「大丈夫だよ。その時はその時さ。」
彼のあっけらかんとした返答に、ルーンは少し驚いたように顔を上げたが、まだ不安そうだった。
(でも実際、どれくらいの力があるんだろう、半龍って……)
春は心の中でそう思いながら、ちらりとルーンの手元に目をやった。黒い鱗に覆われた爪や指は、どこか人間離れした印象があるものの、彼女の細い体つきや控えめな仕草からは、普通の少女と何ら変わらないようにも見える。
(僕には、見た目以外はただの少女にしか見えないけど……その力がどれほどなのか、確かめたこともないしな。)
春はふと視線を戻し、柔らかく続けた。
「力加減なんて、少しずつ覚えていけばいいんだよ。壊しちゃっても構わないし、むしろどんな力があるのか知るいい機会かもしれない。」
「……でも、ご迷惑をおかけしてしまうかも……」
ルーンの声にはまだ迷いが残っていたが、春は少し笑いながら言った。
「迷惑だなんて思わないよ。むしろ、君が僕と一緒にやろうとしてくれるだけで嬉しいんだから。」
その言葉にルーンはしばらく黙り込んだが、やがて小さく頷いた。
「……わかりました。ご主人様がそうおっしゃるなら……頑張ります。」
「よし、それでいい。さ、じゃあ早速始めようか。」
春は掃除道具を手渡しながら、具体的な作業の手順を簡単に教えていった。
(まずは小さなことからでいい。彼女が少しずつ自信をつけてくれたら、それで十分だ。)
春はそう思いながら、埃の舞う部屋でルーンと一緒に掃除を始めた。彼女の小さな一歩を支えながら――。