転移 出会い2
女将とルーンが風呂場へ向かった後、春は静まり返った部屋でひとり椅子に腰掛けた。先ほどまでの喧騒が嘘のように、空間はしんと静まり返っている。
目の前のテーブルに肘をつき、頭を抱えるようにして思考を巡らせた。
(これからどうすればいいんだ……)
衝動に駆られて彼女を買ったものの、それが正しい選択だったのかは分からない。この世界での生活もやっと安定してきたところなのに、突然こんな大きな責任を背負い込むことになった。しかも、それを自分で選んだのだ。
(まずはルーンをどうやってこの生活に馴染ませるか……)
半龍族というだけで、彼女がこの街でどんな目に遭うかは想像に難くない。奴隷として扱われていた過去を思うと、人々の目は厳しいだろう。だが、そんな環境の中でも彼女が安全に過ごせるようにしなければならない。
(採掘場での仕事を続けながら、彼女の居場所を作る……いや、それだけじゃ足りないかもしれないな……)
ふと、ルーンの震えた声が頭に蘇る。
**「……故郷はもう無い……です……行く当ても無いので……」**
その言葉の重さが春の胸に刺さる。彼女は家族も、帰る場所も失い、この世界にただ存在するだけになっている。春が手を差し伸べなければ、彼女はまた誰かに買われ、奴隷として扱われていただろう。
(僕が彼女の「帰る場所」にならなきゃいけないのか……)
自分がその役割を果たせるのか、正直自信はなかった。しかし、それでも彼女を救うと決めたのは自分だ。責任を放り出すわけにはいかない。
春は椅子から立ち上がり、部屋をゆっくりと見渡した。この狭くて質素な借家が、彼女にとって少しでも安心できる場所になればと願った。
(まずは生活の基盤を整えることだ。彼女の信頼を得るのはその後だな。)
冷静になりかけた春だったが、次の瞬間、彼女の呼びかけが思い出される。
**「ご主人様……ご命令ください……」**
(……あれを聞くと胸が苦しくなるな。彼女の中ではまだ自分は「主人」なんだ……でも、僕が彼女を自由にしてあげたいと思っていること、いつか分かってもらえたらいいな……)
深く息を吐き出し、春はもう一度自分の決意を噛みしめた。静かな部屋に、彼の小さな呟きが溶け込む。
「……責任を取るって、こういうことなんだな……」
しばらく考え込んでいると、風呂場へ向かっていた女将とルーンが戻ってきた。
ルーンは白と黒のワンピースのような服を着ており、その裾の隙間から黒い尻尾がひょっこりと見えていた。以前はボロ布のような服を身にまとい、肩や腕に黒い鱗が露出していたが、こうして服で隠れると、普通の子供と大差ないように見える。
黒く揺れる長い髪と、痩せ細ってはいるものの、よく見ると整った顔立ち。今までの怯えた印象が少し和らぎ、まるで別人のようだった。
「はい!これで綺麗さっぱりしたわね!」
女将が明るい声で言うと、ルーンは少し恥ずかしそうに俯いた。
「結構可愛い子じゃないか。服も似合ってるしね。」
春はその言葉に思わず頷き、言葉を返した。
「ありがとうございます。本当に助かりました。」
女将は満足そうに笑いながら、春の肩を軽く叩いた。
「大変なのはこれからなんだから、しっかり頑張りなさいよ?」
「もちろんです。精一杯やります。」
女将は「それならいいけど」と頷くと、何かを思い出したように顔を上げた。
「あ、そうそう、明日ちょっと話があるから、早朝にまた来るわね。」
「わかりました。早朝ですね。」
春が返事をしたその後、女将は少しだけ表情を引き締めた。そして、低めの声で釘を刺すように言った。
「……それと、春ちゃんのことだから大丈夫だとは思うけど、間違ってもこの子に手を出すんじゃないよ?」
「大丈夫です。」
春は即答しながらも、その言葉に一瞬だけ気まずい気持ちを覚えた。女将が自分を心配しているのは分かるが、その指摘が無意識に自分の行動を考えさせたのだ。
「それならいいわ。それじゃ、また明日ね。」
そう言って女将が部屋を後にすると、部屋には再び静寂が訪れた。
ルーンと二人きりになり、気まずい空気が漂う中、春はなんとか言葉を探そうと考え込んだ。彼女の様子を伺うと、縮こまりながらも新しい服を気にするように手で触れている。
(どう切り出せばいいんだろう……これからのことを話すべきか、まずは彼女の気持ちを聞くべきか……)
春は膝に置いた手をぎゅっと握りしめ、思考を巡らせた。どんな言葉をかければ、彼女が少しでも安心できるのか――そんなことを考えながら、静寂の時間がゆっくりと流れていった。
「…お風呂は気持ちよかったかい?」
春は気まずい静寂を破るように、なるべく優しい声で問いかけた。少女――ルーンは俯いたまま、一瞬だけ春を見上げ、無言でゆっくりと頷いた。
「そうか……良かった。」
春は少しだけほっとしながら微笑んだ。彼女が少しでも安心できるようにと考えながら、次の質問を切り出す。
「ちょっとずつ君のことを知りたいんだ。今、何歳なのかな?」
ルーンは再び沈黙したが、少しの間を置いてから、小さな声で答えた。
「……12……です。」
その答えに、春は驚きを隠せなかった。
(12歳……こんなに幼いのに、もう奴隷として売られてたなんて……)
彼女がどんな人生を歩んできたのか想像するだけで、胸が痛む。だが、表情には出さず、なるべく穏やかな声で続けた。
「12歳か……まだまだこれから、たくさんのことを経験する年齢だね。」
ルーンはその言葉に少しだけ眉を動かしたが、何も言わなかった。春はその反応を見て、無理に話を引き出そうとはせず、少し間を置いてから言葉を続けた。
「大丈夫。これからは、君が嫌なことはしなくていい。無理に答えなくてもいいからね。」
彼の優しい声に、ルーンの瞳が微かに揺れた。それでもまだ完全に心を開いたわけではないが、その小さな揺らぎは、確かに一歩目の兆しだった。
ルーンは静かに俯きながら、小さな声で言った。
「……ご主人様……それはご命令ですか……?」
春は彼女の言葉に一瞬だけ息を飲んだ。その声には、従順さと諦めが混じり合い、自分の意思を完全に押し殺した響きがあった。
「……命令ではないよ。お願いだ。」
春はできるだけ穏やかな声で返した。
「僕は精一杯、君を尊重するからね。」
ルーンはそれを聞いても、不安そうな表情を崩さないまま答えた。
「……申し訳ありません……今は、そういったことを考えることができません……」
その言葉に、春の胸が締め付けられる。
(彼女は、自分の意思を持つことさえ許されていなかったんだな……)
彼女の子供らしからぬ敬語や抑圧された態度は、春にとって痛ましいものでしかなかった。それでも彼女の心の回復を焦らせてはいけないと、自分に言い聞かせる。
「そっか……なら命令として聞いてくれてもいい。だけど、少しずつでいいから、自分を取り戻してほしいな。」
春はそう言って、そっと彼女の頭に手を伸ばした。その瞬間、ルーンの体が一瞬ビクリと震え、彼女は目をぎゅっと強く閉じた。
春はその反応に戸惑いながらも、頭を軽く撫でる。ルーンが撫でられていることに気づくと、彼女の表情が徐々に緩んでいった。その肩からは、少しだけ緊張が抜けていくように見えた。
「……あっ……ごめんね。怖かったね。」
春は慌てて手を引っ込め、申し訳なさそうに言った。
「今度からは、ちゃんと声をかけるね。」
ルーンは目を伏せたまま、小さく首を横に振った。それが「大丈夫」という意思表示だと気づいた春は、そっと微笑んだ。
(きっと、少しずつでも大丈夫だ。彼女が安心できるように、時間をかけていこう。)
静かな空間の中で、春は彼女の小さな一歩を感じながら、改めて自分の決意を噛みしめた。
それから春は、自分の仕事の話や、最近身の回りで起きた他愛もない出来事をルーンに話して聞かせた。
「採掘場ではね、時々妙な鉱石が出てくるんだよ。親方が『これは大当たりだ!』って大喜びしてたんだけど、俺にはただの石にしか見えなかったな。」
ルーンは黙ったまま聞いていたが、ときどき小さく頷いたり、目を瞬かせたりしていた。彼女が真剣に話を聞いているのが分かり、春はそれだけで少し嬉しくなった。
一方的に話しているだけだが、それでも良かった。彼女にとっては、話を聞くこと自体が新しい経験になっているかもしれない。それに、こうして言葉を紡いでいく中で、少しでも彼女の心が解けていけばと願っていた。
「それとね、信じられないかもしれないけど――」
春は少し間を置いてから、笑みを浮かべて続けた。
「僕は別の世界からやってきたんだ。我ながらすごいと思うよ。」
その言葉を聞いて、ルーンの目がわずかに動いた。これまで無反応に近かった彼女だったが、「別の世界」という言葉に、ほんの少し興味を示したようだった。
「いや、本当に。突然、目の前に光の裂け目が現れて、気がついたらこの世界にいたんだよ。」
相変わらず無言のルーンだったが、その表情は少しだけ柔らかくなったように見える。それを見て、春は続けた。
「最初は右も左も分からなくて、大変だったよ。地球っていう僕の故郷ではこんなこと、絶対にあり得ないからね。」
春は自嘲気味に笑いながら話を続けたが、ルーンの小さな反応を見逃さなかった。そのわずかな変化に気づくたび、春は少しずつ彼女に近づいている気がしていた。
そんな春の身の丈の話をしているうちに、外はすっかり暗くなり、夜が訪れていた。部屋の中は暖かな静寂に包まれ、どこか穏やかな空気が流れている。
(今日はこれくらいでいいかな。焦らず、ゆっくりでいいんだ。)
春は心の中でそう思いながら、明日に向けての準備を進めようと立ち上がった。
「……ちょっと話しすぎたかな。今日はこれくらいにして寝ようか。」
春は部屋を見渡しながらそう言った。ふと視界に入ったのは簡素な寝具――採掘場の借家に備え付けられたものだ。それは一人で寝るには十分だが、二人で寝るにはあまりに小さい。
(これじゃ、どう考えても二人で寝るのは無理だな。僕が床で寝るしかないか。)
そう考えて口を開こうとした瞬間、ルーンが震えた声で先に喋り始めた。
「……すみません、ご主人様……私は半龍ですので……よっぽどのもの好きでなければ、夜伽は無いと言われて……そういったことは言葉でしか説明を受けていませんので……」
その言葉が耳に入った瞬間、春は胸が締め付けられるような罪悪感に襲われた。まだ幼い彼女が、そんなことを言わなければならない状況に置かれていたこと。そして、それを言わせてしまった自分に。
(……こんな少女に、こんなことを言わせるなんて……。)
押しつぶされそうな感情をなんとか飲み込み、春はできるだけ平静を装って言葉を返した。
「……ルーン。」
彼女の名前を静かに呼ぶと、ルーンは恐る恐る春の方を見た。その瞳には、不安と警戒心が混じっていた。
「そんなこと、君が気にする必要はないよ。」春は優しく微笑んで続けた。「それに、君を買ったのは、そんな理由じゃない。僕はただ……君を助けたかっただけなんだ。」
ルーンは一瞬、驚いたような顔をしたが、すぐに視線を伏せた。春はそっと椅子を引いて座り、柔らかい声で話を続けた。
「だから、安心して。今夜は僕が床で寝るよ。君はベッドでゆっくり休んでほしい。」
「……で、でも……」
ルーンが反論しようとするのを春は手で制した。
「君が疲れているのは分かってる。今は、ただ休むことだけを考えて。」
ルーンはしばらく迷ったようだったが、やがて小さく頷いた。その小さな反応に、春はほっと胸を撫で下ろした。
「それじゃ、寝る準備をしようか。」
ルーンが寝具に入るのを確認した後、春は床に簡易な寝床を作り、自分も横になった。暗い部屋の中、どこか静かで穏やかな空気が流れていた。
(少しずつでいい。彼女が安心できるように、少しずつ信頼を積み重ねていこう。)
春はそう心に決めながら、ゆっくりと瞼を閉じた。
翌朝、春が目を覚ますと、目の前にルーンが立っていた。彼女はじっと春を見つめながら、小さく頭を下げた。
「……おはようございます、ご主人様……」
春は少し驚きながら体を起こし、彼女に挨拶を返した。
「おはよう。えっと、いつからそこにいたの?」
「……一時間前くらいです……。すみません、起こしてさしあげた方がよかったですか……?」
彼女の声には申し訳なさそうな響きがあった。春は慌てて手を振って否定した。
「あっ……いや、別にそうじゃないんだ。ただ、なんで待ってたのかなって思って。寝ててもよかったのに。」
ルーンは俯きながら静かに答えた。
「……ご主人様より早く起きないと……ご迷惑をおかけするので……必ず早く起きます……。」
春はその言葉に胸が痛むのを感じた。
(……そうやって教えられてきたんだろうな。ゆっくり寝ることすら許されていなかったのかもしれない……。)
彼は微笑みながら、できるだけ優しい声で言った。
「ルーン、これからは僕が朝君を起こすよ。それまではぐっすり寝てていいから。」
ルーンは驚いたように目を見開き、少しだけ困ったように口を開いた。
「……で、でも……」
春は軽く笑いながら続けた。
「もし僕が寝坊しそうになったら、その時は起こしてほしいかな。それ以外は気にしないで、ちゃんと休んでね。」
ルーンはしばらく迷ったようだったが、やがて小さく頷いた。
「……分かりました……。」
その小さな反応に、春は安堵しながら微笑んだ。
「ありがとう。さあ、そろそろ準備しようか。」
部屋に差し込む朝日を感じながら、春は新しい一日の始まりを意識した。彼女にとっても少しずつ安心できる日常が増えていけばいいと願いながら――。
春は朝食を準備しながら、仕事の準備も同時に進めていた。その様子をじっと見ていたルーンは、何か手伝いたい気持ちが募ったのか、そわそわしながら声をかけてきた。
「な、なにかお手伝いします……なんでも仰ってください……」
春は彼女の不安げな様子を見て考えた。
(何もさせないのは、かえって彼女を不安にさせるかもしれないな……)
彼は少し微笑んで答えた。
「じゃあ、お昼のお弁当を詰めてくれるかい?」
「料理ですか……分かりました……」
ルーンは少し戸惑った様子だったが、頷いて質素な台所へ向かった。その返事にわずかな違和感を覚えた春だったが、(慣れていないだけだろう)とあまり気にせず、自分の準備を続けた。
しかし、数分もしないうちに、台所の方から物が落ちる音が立て続けに響いた。驚いた春はそちらに目を向けた。
「ん?大丈夫?」
ルーンは顔を伏せたまま、小さな声で答えた。
「ご主人様、ごめんなさい……私……半龍なので、あまりこういった仕事は教わってなくて……ごめんなさい……」
その声は震えており、今にも泣き出しそうな様子だった。
春は彼女の姿を見て胸が痛んだが、優しい声で答えた。
「謝らなくてもいいよ。分からなかったら教えるし、分からないことを謝る必要なんてないんだ。」
彼は少し間を置いてから続けた。
「もしできることがあれば教えてもらえる?そこから少しずつやってもらえればいいから。」
ルーンはしばらく黙っていたが、やがて震えた声で答えた。
「……薪割や荷物運び、異形の討伐などの力仕事ならお役に立てると思います……精一杯やらせていただきます……」
その言葉を言う時の彼女の目には、必死さと覚悟が宿っていた。
春はその瞳を見て、柔らかな声で応えた。
「大丈夫だよ……大丈夫だから。僕は君を怒ったりしないし、君に出来ることを少しずつ見つけていこう。」
その言葉に、ルーンの肩がわずかに震えた。彼女は目を伏せたままだったが、安堵したように見えた。
(この子にできることを探しながら、少しずつ新しいことも覚えていければいいな。)
春はそう心に決め、台所に向かいながら彼女に笑いかけた。
「それじゃ、まずは僕と一緒にお弁当を詰めてみようか。何も難しいことはないから、一緒にやってみよう。」
ルーンは小さく頷き、春の隣で作業を始めた。その姿を見て、春は彼女にとってこれが新しい一歩になることを願いながら、穏やかな朝を過ごしていた。
ルーンは春の隣でお弁当を詰める作業を始めたものの、どうにも不器用で、思うようにいかない様子だった。彼女の指先は細長く、黒い鱗に覆われた爪が鋭く尖っている。そのため、細かい作業に向いていないことが見て取れた。
例えば、小さな食材を掴んで器に詰めようとすると、爪が邪魔をしてうまく掴めない。包丁を使おうとしても、刃を持つ指が滑りそうになって何度も失敗していた。
「……ごめんなさい、ご主人様……私、不器用で……」
ルーンは作業を中断して項垂れそうになりながら、申し訳なさそうに呟いた。
春は彼女の言葉に微笑みながら首を横に振った。
「大丈夫だよ、ルーン。君は初めてやってるんだし、誰だって最初はうまくいかないものだよ。」
春はゆっくりと彼女の手元を見ながら続けた。
「それに、爪が邪魔になるのはしょうがない。君の手が特別だからだよ。それなら、爪を使わずにできる方法を一緒に考えてみようか。」
彼はそう言いながら、小さな果物を掴むコツや、包丁の使い方を一つずつ丁寧に教えていった。爪を使わず、指先の鱗部分を使って支える方法や、難しい部分は自分が補助する形で進めていく。
「ほら、こんな感じでやってみて。」
春が実演して見せると、ルーンは慎重に真似をしてみた。初めて掴めた時、彼女の目が少しだけ輝いたのを春は見逃さなかった。
「ほら、できたじゃないか!」
その声に、ルーンは少し恥ずかしそうに頷いた。
「……ありがとうございます……でも、やっぱり私、不器用です……」
春は肩をすくめながら笑った。
「不器用でもいいんだよ。大事なのは、少しずつ覚えていくことだからさ。」
ルーンはその言葉に救われたような表情を浮かべ、再び作業に向き合った。春はそんな彼女の様子をそっと見守りながら、ゆっくりと丁寧に教えていった。
(少しずつでいい。彼女が自信を持てることを一緒に見つけていこう。)
春はそう思いながら、二人で作る小さなお弁当が、今日の新しい一歩になることを願った。
なんとかお弁当を作り終えた春は、包んだ弁当を手に取りながら、ルーンに声をかけた。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね。」
ルーンはすぐに立ち上がり、真剣な表情で答えた。
「……お供します。」
その言葉に春は少し驚き、すぐに笑顔を浮かべながら首を振った。
「いや、採掘場は危険なんだ。君を連れて行くわけにはいかないよ。」
ルーンは言葉を飲み込むように黙り込んだが、春は続けた。
「ここで待っててくれ。お昼ご飯もちゃんと用意してあるからね。窮屈に感じるなら、尻尾や鱗を隠して街に出かけても構わないよ。気をつけていれば、きっと大丈夫だから。」
ルーンは一瞬だけ躊躇したが、やがて小さく頷いた。
「……わかりました。」
彼女の態度には、主人に付き従わなくていいという行為に慣れていない様子が見えた。それでも、春の言葉を素直に受け入れてくれたようだった。
「ありがとう。じゃあ、改めて――行ってきます。」
春が扉の方に向かうと、ルーンは小さな声で言った。
「……行ってらっしゃいませ、ご主人様。」
彼女は深くお辞儀をして春を見送った。その姿に、春は少しだけ胸が痛むと同時に、どこか温かいものを感じた。
(彼女が安心して待っていられるように、今日は早めに切り上げて戻ってこよう。)
そう心に決めた春は、再びルーンに微笑みかけると、採掘場へ向けて足早に歩き出した