81.香水の本当の姿は実は……
夜会が始まると、いつにも増して私は人に囲まれた。
みんな私に熱視線。正直、落ち着かないわ。もてなす側として、来客たちに声を掛けなきゃいけないのだけど。
普段は落ち着いてる大貴族たちも、そわそわもじもじしてしまう。
もちろん、あの香水は使っていない。普段の控えめで落ち着いた香りを私は纏う。
にも関わらずの大盛況。
こちらから行かずとも、自然と私の周囲に人が集まった。
そこに――
少女が二人、私を庇うように前に立つ。
「お義姉様との挨拶はお一人様につき十秒とさせていただきますわ! 何をお伝えするか並びながらお考えくださいまし」
「はい、そちらの方。今、割り込みましたね。列の最後尾へ移動してください。ホークス家の目は鷹の目。不正は見逃さないのですから」
義妹の王女アリアと、正義の迷探偵少女シャーロットが列を整理する。時々振り返っては「このアリアがいる限り、お義姉様には煩わしいことなんてさせませんわ!」とか「ホークス家の名にかけて、万全のサポートを約束します」……って、二人とも気合い入りすぎよ。
「あの、アリアさんは芸術関係の方と普段通りに歓談を。シャーロットさんもここはいいですから、夜会を楽しんで欲しいのだけど」
「「そうはいきません(わ)!」」
二人揃って、息もぴったりに首を左右に振った。
まるで王立劇場の看板役者の握手会みたいなことになってしまったわ。
恥ずかしい。こういうの苦手なのよね。王妃に向いてないと自分でも思う。
と――
列を無視して、別の少女が一人。割り込むようにしてやってきた。
少し前に、金貨と銅貨を使ってそれぞれ物々交換をして、どちらが良い品にできるかを競ったナタリア・ハーヴェイね。勝つためには手段を選ばないところがあるのよね。
彼女は熱っぽい視線を私に向ける。
「こ、今宵も勝負ですの。王妃様」
すぐに番犬状態のアリアとシャーロットがナタリアに詰め寄った。
「お義姉様にご挨拶なさるのでしたら、列の最後尾に回ってくださいまし」
「王妃様に勝負を挑むなんて無謀は止めるべきです。ガラス玉が本物の宝石を越えようなどと、思うことすらおこがましいのですから」
ああもう、困ったわね。
私は守護者二人をたしなめた。
「二人とも、落ち着いて。ええと……ナタリアさん。勝負といっても何をするのかしら?」
私がナタリアに聞く耳を持つと、途端にアリアもシャーロットもシュンとして従った。
列で待っていた貴族たちも「王妃様が仰るなら何時間でも待ちますとも」ですって。
レイモンドの贈ってくれた香水の匂いは、とっくに消えているのに。
私の許しを得てナタリアはひらりと舞うように一礼する。
「さすが王妃様なのです。今夜の勝負は……ええと……」
「なにかしら?」
「香りで勝負したいのです」
ナタリアからふわりと、素敵な香りが漂った。
柑橘系の清涼感からフローラルな香りになって、かすかにスパイスを感じると、最後はウッド系になる。隠し味にバニラのような優しさで、樹木っぽすぎないようにしているみたい。
すごく良い香水をナタリアは使っていた。
私の夜会用のものだって、良いものには違いないのだけど、格が違うわね。
正直、ナタリアの香水、かなり好きかも。
最初は少し冷たい感じだけど、冷たい冬に咲く花のような気高さがあって、なのにちょっぴり刺激的。そこから控えめで奥ゆかしくて、抱擁されるような……大地みたいな優しさもある。
香水自体は素晴らしい。けど、ぐいぐい勝負を仕掛けてくるナタリアとはミスマッチかも。
「良い香りねナタリアさん」
「今日こそは王妃様に負けませんの。王国一の調香師に新作香水を調香してもらいましたの。今宵こそは、ナタリアが主役……です……のに」
気合いを入れてきたナタリアの思惑を、長蛇の列が打ち砕いてしまったみたい。
よりにもよって、今夜の私は大人気。戦う前から勝負はついてしまっていたみたい。
ナタリアは肩を落とす。
「うう、こんなはずではありませんでしたのに。そこに立っているのは、ナタリアのはずでしたのに……」
「素晴らしい香水だと思うわよ。ただ、ナタリアさんの個性なら、もう少し刺激的だったり、甘い香りを中心にした方が良かったかもしれないわね」
微笑むと列に並んだ貴族の少女たちが、くらくらとその場で膝をついた。
誰かが言った。
「大変だ! 王妃様の魅力に打ちのめされたぞ!」
「救護班を早く!」
「うっ……自分も危ないところでした」
「いやはや、今夜のキッテ様はいつにも増して眩しすぎる」
ええっ……なにそれ。これじゃあうっかり、愛想笑いも返せないじゃない。
目の前のナタリアまで膝をつく。
「くぅうう……ハァ……ハァ……なんて魅力ですの」
効き過ぎよ。まったくもう。
アリアがナタリアに告げる。
「勝負ありですわね」
隣でシャーロットがメモを取り出し「圧勝のキッテ様。ナタリア嬢を戦う前に撃破。それにともない四人の貴族令嬢をノックアウト……と」って、何を物騒なことを書いているのかしら。
列で待つ貴族たちが殺気立ち始めた。この雰囲気、ルリハたちが私に飛びついてくる時のに似ているわ。
このままだと夜会で暴動が起きてしまいそう。
困ったわ。どうしたらいいのかしら。
と、その時――
金髪碧眼の青年が颯爽と現れて、私の手を取った。
「みんなには悪いけど、キッテを借りていくよ。少し夜風に当たりたくてね」
レイモンドだった。彼は列待ちの貴族たちと私を取り巻く少女三人に告げるなり、そっと腕を引いて私を抱き寄せる。
「いいかなキッテ?」
「ええ、もちろんです陛下。少し人の多さに、酔ってしまったところで」
青年は再び一同に「では歓談を続けてくれたまえ」と、言い残して私をホールから連れ出した。
王の命だものね、誰も反論はできなかった。
ナタリアだけが膝を屈して「勝ち逃げされましたの! おかしいですの! この香水なら絶対に勝てるはずですのに! ああ待ってほしいですの王妃様! もっとナタリアと勝負してほしいですのぉぉぉ!」って、もう。
どれだけ勝つ気でいたのかしら。私に執着するのって……もしかして、いじめっ子が気になる相手にちょっかいを出すような?
ううん、あんまり考えないでおきましょう。
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月は雲に隠れていた。
中庭に面したバルコニーにレイモンドと二人きり。
じゃなさそう。木々が揺れる。ああもう、ルリハたちがびっしりね。
できるだけ見ないようにしないと。
「ぐわっぐわ!」
「なーごなーごろろろ」
中庭に二つの小さな影。声を聞いてレイモンドが言う。
「猫が入り込むことくらいはあるだろうけど、アヒルもいるなんて……食材が逃げたのかな?」
「さ、さあ、どうしてかしらね。食べるのはよくないと思うわよ」
「そうだね。今夜の晩餐にはもう鴨肉が出されているし」
とりとめも無い会話だった。ロマンチックでもなんでもないけれど、普通なことにほっとする。
レイモンドだけは変わらない。
ふわりと、夜の風が頬を撫でた。
心地いい。やっぱり夜会は苦手だと再認識してしまったわね。
この異変について、正直に聞いてみるしかないかも。
「あの……陛下」
「なんだいキッテ?」
「先日、贈っていただいた香水のことなのだけど」
「気に入ってくれたかな? 今日は……いつものコロンのようだけど……もしかして、苦手な香りだった?」
「ええと、私には甘すぎるというか」
「ああ、そうなんだ。おかしいな。そこまで甘くなるなんて」
レイモンドは困り顔だった。
私もたぶん同じような表情になってると思う。
「陛下が調香師にわざわざ依頼してくださったのに……」
「いや、いいんだ。香りの好き嫌いは難しいものだからね。合わないなら無理に使ってほしいなんて言わないさ」
「つ、使いたいのですけど、その……陛下の香水をつけてからずっと、周囲の人々が……おかしくなってしまって」
「おかしい? 何かあったのかな?」
「みんな私を見る目が……ええと、過剰なほどの愛情表現をされたりするようになって」
レイモンドは一度、顎に手を当て考える素振り。
「ああ、それは当然だよ。君は素敵だからね」
変わらないのは彼だけね。
「す、素敵だなんて……ありがとうございます。けど、みんなが豹変してしまったことが、怖いんです。香りを落としてもずっと続いてしまって」
「香りを落としても?」
「ええ、今日は普段使いの香水にしていますけど、それでも……」
「確かに挨拶のための大行列ができていたね」
「陛下……レイモンド。正直に答えて。調香師にどんな香水を作らせたの?」
青年は特に焦ったり隠し事をするでもなく。
「香水の知識はないから、君のイメージを伝えて調香師にお任せしたのだけど……」
「イメージ? どういったものですか?」
自分で自分のことを訊くようで、なんだか恥ずかしい。自意識過剰っぽくないかしら。
でも、そこに問題があったとしか思えない。
レイモンドはゆっくり頷いた。
「氷のように冷たく澄んだ美しさの中に、揺るぎない意志と温かい心を秘めたキッテの魅力を香りで表現してほしいと頼んだんだ」
「あら……まぁ……それであの香りに?」
「一体、どんな香りだったんだい?」
そういえば、レイモンドは調香師の香水の匂いを「キッテがつけるまで楽しみにしておく」とかで、確認していないのよね。
「それはもう甘い甘い、この世のありとあらゆる美味しいスイーツを集めたみたいな香りでした」
「おかしいな。王国一の調香師がそんな間違いをするとは思えないのに」
途端に頭の中でバラバラだったパズルのピースが組み上がる。
「もしかして……取り違いがあったの……かも」
私の直感は結局のところ、正解を引き当てていた。
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後日のこと。
宮廷の謁見の間に調香師を呼び出した。事情を訊いた結果、私の手に渡ったのは、とある別の貴族の依頼品だったみたい。
で、その貴族に私をイメージした香水が届いてしまった。
依頼については守秘義務があるということなので、誰とは言えないと調香師。
曰く「申し訳ございません王妃様。そちらは香水ではなく、錬金術と魔法による魅惑薬なのです」とか。
甘く香りをつけたなかに、使用者の魅力を高めて他者を魅了してしまうものだとか。
どんな魔法がかかっていたかというと、効果を受けた相手の好感度が最大値になってしまうとのこと。
香りはお風呂で消えても魔法の効果は四~五日ほど残ってしまうみたいね。
とはいえ、使用者の元の魅力に効果が依存するので、私の身に起こったようなことは異常事態だったのだとか。
本来なら、気になる相手に振り向いてもらえるようになるくらいに、細やかな魅惑薬だったみたい。
偶然にも、私と魅惑薬の相性が良すぎた……とか。迷惑な話よね、まったく。
ということもあって、調香師側のミスということで、正式に謝罪があった。
魅惑薬はそのままお持ちくださいとのこと。後日改めて、レイモンドが注文した香水を調合し直し、発注ミスのお詫びに依頼料も返金すると、調香師の方から申し出があった。
私としては、どうしてこうなってしまったのかハッキリしただけで十分だったのだけど。
調香師が下がると玉座のレイモンドが隣に座る私に向き直る。
「よく気づいたねキッテ。香水が入れ替わったなんて」
「陛下のイメージした香りと近いものを、偶然、どこかで嗅いだことがありましたから」
夜会で勝負を挑んできたナタリア・ハーヴェイのそれだった。
あの子、私に勝つために魅惑薬香水を準備していたのね。だからあの夜も勝てるつもりでいたみたい。
本当に手段を選ばないんだから。けど、不運にも同時期に発注された香水は、入れ替わってしまった。
結果、魅惑薬はレイモンドの手に渡り、私にプレゼントされたというのが今回の騒動の顛末ね。
けど――
「どうしたんだいぼーっとして。僕の顔に何かついてるのかな?」
「い、いいえ。あの……陛下は私が魅惑薬を使っていても、何も変わらなくて」
「君はいつだって素敵だからね」
ああ、この人にとって私はもう、好感度が上がりきってそれ以上なかった……ってことなのね。
恥ずかしい。けど、嬉しかった。




