80.まるで呪いのように
午後の臨時会議が無事閉幕して、一息吐くとレイモンドが私をじっと見つめた。
「ずいぶん甘い香りだね」
彼、ちょっと驚いてるみたい。
「私もこんなに甘い香りがするなんて驚いてしまって」
貴男が贈ってくれたものでしょ。といっても、レイモンドもこの香水を調香師に作らせた時に、どんな感じにするか伝えただけで、実際に出来上がった香については知らないのだっけ。
意外そうなレイモンド。私をイメージしたというけど、調香師と彼とで解釈が違って、甘々な香になったのかしら?
青年ははにかむように笑う。
「それじゃあ、僕はこれから練兵の視察に行ってくるよ。馬上試合も近々あるみたいでね。騎士たちも気合いが入っているみたいなんだ」
「いってらっしゃいませ陛下」
レイモンドの背中を見送って、私はようやく息を吐いた。
彼からの贈り物だけど、この香を一度落とさないと。ぶつかり合っていた大臣と騎士団長をまとめてトリコにするなんて、危険すぎるんだから。
・
・
・
王妃の執務室に戻ると、テーブルにホールケーキがでんと置かれていた。
メッセージカードが添えられている。
「美しい王妃様、お慕いもうしております。メイド一同より……って、困るわよ」
ケーキだけじゃない。部屋の至るところに花が飾られていた。
落ち着かないわ。こんなの。
窓の外に視線を向けると、庭の木に青い羽毛玉が鈴なりになっている。我慢できないルリハたちがびっしりね。
もし窓を開けたら一斉になだれ込んできそう。無数のつぶらな瞳がじっと私を見る。
普段は気にならなかったけど、ちょっと怖いかも。
さらに――
「にゃー! なーご! なーご!」
「くわっくわくわぐわっぐわ!」
猫の子一匹通さないとはいかないようで、衛兵たちをかいくぐった黒猫とコールダックの声が庭の方から聞こえてきた。
ちょっと怖いかも。このままだと四六時中、猫とアヒルに追い回されて青い小鳥に付け狙われることになる。
ほどなくして庭の方から「いけませんアヒル隊長!! 王宮内に入られては食材と勘違いされます!」と、衛兵の声が響いた。「ほら屋敷に帰りますよ!」とも。
捕縛されたコールダックが足をバタバタさせて抗議する姿が、目に浮かぶわね。
一方、黒猫はするりと監視の目を盗んで、私の執務室の窓際までやってくると前足の肉球で、窓をふみふみした。
「にゃーごおおおおおおお!」
まるで「開けろおおおお!」と、叫んでるみたい。
私は窓越しにイチモクに言う。
「明日必ず屋敷に行くから、今日は帰るように貴方からみんなに言ってちょうだい」
「にゃあああああああ」
「お願いよ。ね?」
隻眼の黒猫は不機嫌そうに鍵尻尾をブンブンさせると「にゃぁ」と短く鳴いて、ルリハが枝に並んでたゆむ木の方へ。
イチモクの言葉にルリハたちは悲しげな声を上げると、一斉に飛び立った。
なんとか解散してくれたみたい。
このままだと、ルリハたちの不満が爆発してしまうかも。
好きになられすぎるのも困りものね。
私は侍従を呼ぶと「まだ早いけどお風呂に入りたい気分なの。用意してくれるかしら?」とお願いする。
レイモンドには悪いけど、こんな匂い、さっぱり洗い落としてしまいましょう。
・
・
・
結論を言うと、お風呂に入って甘い香りを落としたのに何も変わらなかった。
翌日もメイドたちはそわそわしっぱなし。近衛兵も緊張でプルプルするし、侍従たちは話しかける度に顔が真っ赤。
人の多い王宮にいたら、被害者が増え続けるばかり。
本当に、いつも通りなのはレイモンドだけ。
王宮にいると落ち着かない。
約束した通り、今日は午前中から森の屋敷に退避することにした。
うん、王宮ほど人が多くはないだけで、甘い匂いの被害者はいるのだけれど。
森の屋敷に到着すると、庭師から抱えきれないほどの大きな花束を贈られた。
「王妃様、どうか受け取ってください!」
「え、あ、ええと……ありがとう。嬉しいわ。とっても綺麗ね」
「とんでもございません! 私が手塩に掛けて育てた花々も、王妃様の美しさの前ではみなしおらしくみえます!」
まるで王妃じゃなくて、片思いの相手にプロポーズしたみたいな空気を庭師は出してるし。
「にゃーにゃー」
「くわっくわ!」
どこからか聞こえる猫とアヒルの声に、私は屋敷に逃げ込んだ。
メイドにお願いして花束を花瓶に活けさせる。
二階の部屋へ。窓を開けるのが怖いかも。迷っていると、老執事が山ほどの焼き菓子をテーブルに並べる。
今日までのお菓子のオールスターみたいな雰囲気ね。パーティーでも始めるつもりかしら?
「うれしいけど、こんなにたくさんの種類を作るのは大変だったでしょう?」
老執事はピンと背筋を張ると。
「王妃様に喜んでいただけることが、この身の喜びにございます」
ですって。
次第にルリハたちの鳴き声が大きくなり始めた。観念するしかないみたい。
執事が退室したところで、窓を開くと――
青い塊となってルリハたちが部屋を埋め尽くした。
「「「「「キッテ様キッテ様キッテ様~! 会いたかったよ~!」」」」」
猛烈なアプローチで、おやつには目もくれずルリハたちが私の身体を覆い尽くす。
うん、熱い。愛って度を過ぎると温かいじゃ済まなくなるみたい。
・
・
・
すっかりルリハたちは王都の噂を集めなくなってしまった。
ただ、私のそばにいるだけで幸せそうにしている。
撫でれば喜びを全身で表して、尾羽を振った。
それはそれで愛らしいのだけど。
王都の情勢がまるでわからない。本来、この子たちから情報がもたらされているのも義務でもなんでもないのだけれど。
私はルリハたちのお願いで、本を読んであげることにした。
これからずっと、このままなのかしら?
ルリハたちは喜んでいるけれど。
いつの間にかするりと窓から黒猫が入り込んで、私の足下でぺたんと横になった。
庭で「ぐわぐわっ!」とアヒルのマドレーヌが抗議するみたいに騒ぐので、結局、一階まで迎えにいった。
昨日よりは落ち着いてるけど、みんなくっついてきて……やっぱり熱い、暑い。
いつもなら、この香水を作った調香師のことをみんなに調べてもらうのに……。
奇しくも今日は夜会の日。
無事、終われると良いのだけれど――
本を読み聞かせ終えてルリハたちを一旦、満足させる。
足下の黒猫を抱き上げて、ぞんぶんにお腹を吸う。
コールダックも持ち上げてプルプルさせた。
義務的になってしまったけど、とりあえずみんな落ち着いたところで「夜会があるから、また明日ね」と、私は王宮に戻った。
正直、不安。夜会に出たくない。体調不良を理由に欠席しようかしら。
なんて話したら、王国中の名医が王宮に集まってきそうな気がした。
ああもう、出るしかないのよね。
数日で収まってくれればいいのだけれど――
甘い匂いが落ちても、私への過剰な愛情が衰える感じはまったくしなかった。




