77.こんな日に限って
寝坊した。もう、起こしてくれても良かったのにレイモンドったら「君の可愛い寝顔に見とれてしまったんだ」ですって。
それに本当に、すやすやと気持ち良さそうに眠っていたものだから、起こすのも気が引けたのだって。
先日の三兄弟の件で、頭を使いすぎて疲れていたみたい。取り戻すように眠った結果、寝坊して朝食を食べ損ねた。
そういう朝に限って、午前の会議が長引いた。庶民街の治安が悪い地区で一斉に捕まえた犯罪者についてまとめた報告を、騎士団長ギルバートが丁寧に説明。
終わるとすぐに、先週から予定されていた王立劇場へ。義妹の王女アリアが直々に私を案内してくれた。
劇場に新しい装置を付けたいみたいなのよね。床下から役者がせり出す仕掛けはあるのだけど、どうやら天井からゴンドラで降ろすのをやりたいのだそう。
ステージの上に立って、客席側の私にアリアは笑顔を弾けさせた。
「ねえお義姉様! 素晴らしいと思いませんこと? 空から神が登場するシーンにも使えますし、演出の幅も広がりますし! それから魔力灯装置の増設に、煙幕とか……はぁん♪ 夢が広がりますわ!」
熱の入ったアリアが、今後の王立劇場のプランを色々と話してくれた。私は「ええ、そうね」とか「なるほど、そういう効果があるのね」と、聞くばかり。
お腹、空いてきたわね。お昼はしっかり食べないと。
「お義姉様! ちゃんと聞いてくださいまし! 王国の文化発展のための重大なお話ですのよ!」
「ええ、聞いているわよ」
「いつものキレがありませんわ。もう、何か他のことで頭がいっぱいみたい……もしかして、新作のイメージですの!? 今回の改修計画で創作意欲が溢れてしまいましたのね?」
「え、ええと……どうかしらね」
愛想笑いで返す。言えないわよ。昼ご飯が楽しみだなんて。
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不幸は続いた。アリアは私に新作劇本のアイディアがあると思ったみたいで、王立劇場を隅々まで紹介してくれた。
普段は客席側から見た舞台しか知らないから、裏方の動き方とか照明とか音響とか、とっても勉強になったのだけど……。
もう、午後二時。お昼ご飯を食べ損ねた。
王妃という立場上、ふらりとどこかのお店に入って……ともいかないのよね。
誰かにドラゴン焼きたてパン工房に行ってもらおうかとも思ったのだけど。
劇場前の庭園で、こっそりルリハに訊いてみた。すると――
「完売! パン工房、午後の分まで完売!」
「そうよねぇやっぱり」
今から馬車を回しても、店主のロゼッタを困らせるだけよね。
思い出したら、彼女の焼いたちょっと固めなバゲットや、ふわふわの食事パンやジャムやクリームがたっぷりのお菓子みたいなパンが愛おしくなった。
噛みしめれば小麦粉の香ばしさ。だんだんと広がる生地の甘み。スッと消える口溶け。ああ、もう。完全に自滅ね。
今日は王宮に戻りたいのだけど、このあと森の屋敷で確認しなきゃいけないことがあった。
老執事のおやつでなんとかしましょう。
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執事が急病で不在だった。入れ違いで町の魔法医の元に運ばれたみたい。ルリハが追跡した結果……腰の持病が急に悪化して、一日安静とのこと。
おやつの準備……無し。キッチンに老執事から置き手紙で「本日は誠に申し訳ございません……」と謝罪の一文。
ああもう、今日に限って。
帰りたいけど――
そうはいかなかった。今日は屋敷で打ち合わせをする予定だったから。
屋敷の庭で、庭師が私に確認する。
「王妃様、こちらの花壇の植え替えですが、何を植えるかお考えがあればお聞かせください」
近々、庭の花壇の植え替え作業が予定されているのよね。その立ち会いだった。
「そうね。ええと……」
植える……植えるなら……。
「ジャガイモとか茄子がいいんじゃないかしら?」
「は、はい!?」
「ニンジンもいいわよね。あとブロッコリーとかオクラとか」
「ええと、は、はい。他には?」
「らっきょうでしょ、それからコリアンダーもいいかも」
「しょ、承知いたしました。では花壇はそのようにいたします」
他にも庭師と話をしたような気がするけど、お腹が空きすぎて頭の中まで空っぽだった。
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一段落付いたところで、もう帰ろうかと思ったら……。
屋敷の玄関先で青い小鳥が肩に乗る。
「キッテ様、お話聞いて聞いて!」
「あ、ええと……今日はおやつも用意できなかったし」
「僕らはおやつも大好きだけど、なによりもキッテ様がだーい好きなんだ♪ だからお願い! お話聞いてよ~!」
困ったけど、みんなにはいつも力になってもらっているものね。
空腹を抱えたまま私は屋敷の一階のキッチンに向かう。なんとか紅茶を見つけて自分で淹れた。
二階の部屋へ。今日は短めにしないと。このままだと腹ぺこで倒れてしまうわ。そんなことになれば王妃の威厳は失墜よ。
テーブルにつくとルリハたちが大勢押し寄せてきた。
紅茶で一息つく。ああもう、お腹が好きすぎて染みるわ。染みすぎて胃が脈動しちゃって、食べ物を求めてる。
青い羽毛たちが……いけないわ。私ったら今、とんでもないことを思いつきそうになったかも。
可愛くて食べちゃいたいなんていうけど、どうかしてるわよ。
「みんな、今日はええと……そんなに長くはいられないのだけど……」
「「「「「はーい!」」」」」
素直な子たちで助かるわ。
すると早速、それぞれがお喋りを始めた。
「なあ満月亭ってあるじゃん。庶民街に」
「あーね、あるね」
「あそこ夜限定でさぁ、らーめん? とかいう、不思議な麺料理出してるんだって」
「どんなんなの?」
「かん水ってのが入った麺に大豆を発酵させた東方の調味料と、あと魚を干した出汁や野菜や豚の骨のスープがやみつきらしいぜ。焼き豚とネギと、干したタケノコを戻したメンマってのが、よく合うんだ」
「へー。なんか美味しそう」
「食った人間みんなスープまで飲み干して、うまいうまいって言ってるから、これから流行るかもな」
「養蜂場がやってるハニーポットカフェって知ってる?」
「あー、それな」
「たっぷりトロトロのハチミツが掛かったふわふわで分厚いパンケーキが美味しいみたい」
「ほぼスフレじゃん」
「バターもたっぷりでさぁ、ナイフを入れると断面が細かい気泡たっぷり。溶けたバターとハチミツをスポンジみたいにじゅわわ~って吸い込んじゃって」
「めっちゃ甘いし。しつこくない?」
「ハチミツが違うんだって。季節ごとのハチミツで、今はオレンジの花ハチミツはちょっぴり苦みがあって、絶品なんだって!」
「めっちゃいいじゃん」
「騎士団食堂ってさ、別に騎士じゃなくても入れるんだってよ」
「変わったコンセプトですね。庶民でも騎士ごっこできると?」
「まーな。お客様じゃなくて団員なんだと。人気で予約が半年待ちだとか」
「食堂の概念とは……」
「名物は騎士団シチュー。肉と野菜がたっぷりでパワーが出るがっつり系だ」
「繊細さとは無縁ですね」
「野外演習のあとに振る舞われるキャンプ料理的な感じらしいが、味は本格的。レストランのそれだ。赤ワインベースのブラウンソースはコクがあって、野菜のうま味もたっぷり」
「ほほぅ、意外ですね」
「肉は牛がメインだが、下ゆでをしっかりしてうま味を閉じ込めつつ、じっくり煮込んでスプーンで崩れるくらい、ほろほろだとか。濃厚なブラウンソースと口の中で渾然一体となり、パンがいくつあっても足りないほどだ……ってさ」
「そりゃすごい」
「南の港町で人気の海月亭ってあんのよ」
「あっちはあんまり行かないからな。んでんで?」
「漁港もあるから獲れたての魚介がたくさんじゃん。で、その日の仕入れで入った魚や貝を使ったアクアパッツァってのが美味しいって」
「なんだいそりゃ。聞いた事ないね。どんな料理なんだい?」
「フライパンにオリーブオイルを入れてニンニクにじっくり火入れ。良い香りになったところで白身魚の切り身を入れる。皮の方から焼き色を付けたら、裏返して身を焼く。白ワインで臭み消し。パプリカとかインゲンとかトマトなんかも入れて、ブラックオリーブも忘れちゃなんねぇぜ」
「お前、作るとこ全部見てたんか?」
「まぁな。めっちゃ旨そうだったし」
「続きはよ」
「んでな、蓋して魚に火入れしたら、貝類はあとから入れるんだ」
「なんでや?」
「貝の身は火を通しすぎると固くなっちまうからな。で、塩コショウで味を調えて、パセリで彩り。完成!」
「味はどうなん?」
「食ったヤツの感想だと、魚の皮がめちゃ旨い。脂ものってるけど魚臭さはニンニクと白ワインで綺麗さっぱり。白身はふわふわ。貝類や野菜から出たスープも絶品で海のごちそうだってさ」
「くー! そのスープに溺れてみてぇ」
「やめとけやけとけ、俺らが具になってどうするよ」
「貴族街にあるドリームショコラって知っていまして?」
「高級チョコレート専門店ですわよね」
「ええ、そこのトリュフチョコレートが素晴らしいとマダムたちの間で噂ですのよ」
「トリュフというと生クリームで作られたガナッシュ?」
「そうそう、最高級のカカオに秘伝のレシピ。職人の技ですわ」
「レシピは秘密ですの?」
「門外不出ですって。だから調理工程も謎なのだけど、食べたマダムたちは夢見心地で虜になってしまうとか」
「いけない成分とは入ってたりしませんこと?」
「健康被害が出たらとっくに営業停止ですわよ」
「それはそう」
「トリュフチョコは口溶けが絹織物のようで、濃厚なのに後味はどこかさっぱりとしていて、一つ食べればまた一つと気づけば一箱すべて食べきってしまうのですって」
「あらあら~すごいですわね」
「きっと後味に何か秘密があるのでしょうね~」
「探りたくなりますわね~」
「「ね~」」
「市場でさ、なんだっけか蒸した饅頭の中によ……豚肉ミンチとか色んな具が入ってるやつ。あれ、蒸し器で出してる店あるんだわ」
「あー! 寒い朝にちょうどいいやつな」
「ふわふわの白い蒸しパンさ、半分に割ると中から『ほわわあああ』って、美味しい湯気があがるんよ」
「ほわああっておま、それ悲鳴みたいじゃん」
「いやマジで悲鳴よ。美味しい悲鳴上がりまくりよ。なんか饅頭なのに肉汁たっぷりなスープ感があるんだと」
「スープって、中から染み出たりしそうじゃん。食ってる時、手がベタベタになるし。つーかスープなんてどうやって饅頭の中に入れるんだよ」
「春雨っちゅー東方のほっそい透明な麺みたいなやつ。こいつにスープを吸わせて餡にしてるんだとさ」
「はえぇ、すっごい」
他にも出るわ出るわ。今日みたいな日に限って、ルリハたちはご飯の話ばかり。
私は紅茶を飲み干すと立ち上がった。
「「「「「どうしたのキッテ様!?」」」」」
「今日はごめんなさい。おしまい! 撤収!」
「「「「「えー!? まだ一時間も経ってないのにーッ!?」」」」」
ルリハたちには悪いけど、空腹には勝てなかった。
青い小鳥を窓の外に送り出し、戸締まりすると私は屋敷を出る。
どうか……宮廷料理人が倒れたとか、食材をうっかり買い忘れていたとか、そんなことがありませんように。
祈る気持ちで帰りの馬車に乗った。
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夕飯まで待ちきれず、王宮の厨房へ。私は料理長にお願いした。ともかく、お腹が空いてどうにかなってしまいそう。
「王妃様、この時間に軽食ですと……夕食のお時間と被ってしまいますが」
「夕食は夕食でいつも通りの時間でお願いします」
「では、そちらは少なめにいたしましょうか?」
「いつも通りで」
「かしこまりました。ところで……食べたいものというのが……らーめんにパンケーキにシチューにアクアパッツァに肉饅頭に、デザートはトリュフチョコレート……で、ございますか?」
「はッ!?」
思考力がなくなっていたみたいで、さっき聞いたばかりの美味しそうなもの、全部言ってしまったみたい。
「ご、ごめんなさい。無理を言ってしまって」
「驚きました。さすがは王妃様です。今、王都でも話題になっている品ばかり。それらに負けないものをお作りいたしましょう!」
「ほ、本当に!?」
ああ、夢みたい。食べたいと思ったものを作ってもらえるなんて。
「ですが材料の買い足しやスープを煮だしたり、饅頭の生地も打つ必要がありますので、お時間かかりますが……計算するとお夜食の時間に間に合うかどうか」
「うっ……じゃあサンドイッチか何かをお願いできるかしら」
「はい、すぐにお部屋にお持ちいたしますね」
王都のグルメはお預けみたいね。
ほどなくして執務室に運ばれたサンドイッチは、王宮でもすっかり定番となったタマゴサンドとハムサンドと野菜サンドだったけど、今までの人生の中で一番美味しいサンドイッチだった。
空腹は最高のスパイスって、本当なのね。食べ終わって一息つくと、自分が生きていることに感謝して――
夕飯も楽しみになった。自分の胃袋の大きさに驚いてしまうわね、まったく。




