73.後継者争いが開幕してしまいました
三日後――
ブレイド伯爵家に私はいた。準備はできる限り、整えてきたつもり。
持ち込んだのは大きな蓋付きの籠。一応、中に切り札が眠ってる。使うことになるかは、正直わからないけど。
広い応接室の壁には家の象徴ともいえる剣が掛けて飾られていた。
そこに三兄弟と、三日前よりもさらにやつれた老家令。
屋敷には私の護衛という名目で、普段の三倍の兵士が詰めていた。
ソファーの隣に捜査令嬢シャーロット。今日もペンを手に帳面にメモを書く。
王妃立ち会いの下、本日、この場でブレイド伯爵家の後継者が決まろうとしていた。
老家令が震える手で、用意した原稿を読み上げる。
「ブレイド伯爵家の家訓に則りまして、消えた遺言状を無効とし、即座に長男モール様に、家督の移管を行いたく……」
結局、本物の遺言状は出てこなかったのよね。犯人にとって不都合なら残しておく意味もないし。
狐顔の次男ディダンが長い足を組み直した。
「待てよジジイ。このままじゃお前が詰め腹きって死ななきゃならねぇんだよな」
「今回の不始末はすべて、わたくしめに責任がございますディダン様」
長男モールと三男トリアも見守る中、次男は立ち上がった。
「そんな可哀想なことはできねぇよ。実はな……今日まで黙ってて悪かったんだが……偶然見つけたんだ」
ディダンはテーブルに遺言状を置いた。
封筒も封蝋もブレイド家の家紋――一本の剣が刻印されたものだ。
ぱっと見だけど、開封された痕跡は無いわね。
次男が出してきたものは、偽物。しかもディダンの動きは私よりも早かった。
昨夜、王都を流れる水路で男の変死体が見つかった。王都警備兵が身柄を確保する前に――
追加報酬を払うと呼び出して、ディダンが贋作師を殺害してしまったの。
ルリハたちは殺害現場で目撃。見聞きはできるけど、凶行を止める力は無かった。それにルリハの証言じゃ告発できないわ。
次男自ら動いたのも、他の人間を一切信用してないからね。遺言状が贋作であることを知るのは、彼からすればこの世に二人しかいない。
依頼者の自分と、作った贋作師。
贋作師さえ消せば家督を手にできる。行動力のあるバカって怖いわね。
まさか同席している私が、全部知っているなんて思ってないみたい。勝機はそこだけ。
提出された偽の遺言状。ここから対応を間違えたら、本当にディダンが当主になってしまうわ。
がんばらないと。
偽の遺言状の登場に、長男モールは……意外にも冷静。というか、静観の構えってところかしら。
一方、マイペースな三男トリアが目を丸くした。
不思議なものね。驚くなんて。
老家令が恐る恐る次男に訊く。
「こ、これは……いったいどこで?」
「家の廊下に落ちてたぜ。ったく、誰かが悪戯でもしたんだろ。たちが悪い。けど安心しろ。俺が守ってやったんだ。開封もしてない。確認しろグレゴール」
家令は封筒を手に取った。きっちりと封がされている。一度封蝋を外して接着しなおした様子もない。
当たり前よね。偽の遺言状といっても封筒や便せん、封蝋の刻印はディダンが用意したでしょうから、本物。
老家令は深々と頭を下げた。
「あ、あああああありがとうございますディダン様。では、こちらの遺言状を開封いたします。キッテ王妃様……証人をお引き受けいただき、誠に、誠に感謝いたします」
私にもお辞儀。
「ええ、この場は王妃キッテが証人になるわ」
と、言ったところで――
三男トリアがソファから立った。
「待って。ねえ、その遺言状……いいのかな」
ディダンが鋭い視線を弟に向ける。
「いいもなにもねぇだろ」
「僕らで話し合いをして決めない? ねえ、モール兄さんも」
黙ったまま腕組みしていたモールは……沈黙。
何かをずっと考え込んでるようにみえた。
部屋に響くのは書記官シャーロットのペンが走る音だけ。
ディダンが吠える。
「ならモール! 家長になるのを辞退しろ! トリアも俺がいいよな? 一生苦労はさせねぇからさ。俺がブレイド伯爵家を継ぐ! きっと天国の親父も望んでるぜ」
長男はゆっくり首を左右に振る。
「お前だけはダメだ。父上が許すはずがない」
「なんでだよ? どうしてそんなことがわかる?」
「人の上に立つ器ではないからな」
「お前ならいいってか?」
「剣で私に勝ったことがあるか?」
「チッ……その話はよそうぜ」
長男モールはそれでも低く落ち着いた声でディダンに圧をかけ続ける。まるで親が子供を諭すみたいに。
「座学にせよ創作にせよ、ディダン。お前はなんでも中途半端だ。口ばかりで本気で取り組むことがない。すぐに諦める。そして別の方法で勝とうとする。試合相手の剣を脆いものとすり替えたり、試験ではカンニングペーパーを仕込んだり、創作物にいたっては自身の作品ですらないものを買い取って、最後の署名だけをする。そんな人間に当主は務まらない」
「う、うるせぇ! クソがッ! 俺だって……お前さえいなきゃ、俺が一番なんだ。邪魔なんだよお前は! いつもいつも、いいところで出てきやがって。俺が欲しいもの全部、かっさらいやがって。親父はお前しか見てねぇんだ。わかんねぇんだよ! 全部持ってるヤツには、持ってない人間の気持ちなんてなッ!!」
次男の怒りの声はモールだけでなく、家中の人間すべてに向けられてる。そう、感じる。 モールが真面目で才能もあったから、ディダンは何をしても上手くいかなかったみたいね。
だからといって、不正に手を染めて良いわけじゃないの。
ディダンは老家令から遺言状の封筒をひったくった。
「ならやっぱりこいつで勝負だ。親父が後継者を決めたなら文句はねぇよな!?」
さあ、勝負ね。私も贋作遺言状の内容はわからない。けど、今日まで集めた情報は頭の中に詰め込んである。
どんな些細な矛盾でも見つけて、指摘して、偽物だと証明してあげるんだから。
氷の微笑の仮面を被り、私は臨戦態勢に入った。シャーロットが引っかき回さないように、彼女には「一字一句、書き留めて」とお願いしてある。
偽の遺言状を見せつける次男に長男が静かに口を開いた。
「ディダン……私は……当主にはトリアを推したい」
ああ、やっぱりそうなのね。健康上の問題もあって、モールは自分ではなく三男トリアに期待していたみたい。
それを知らない次男は。
「はぁ!? 狂っちまったのか?」
「人を陥れることばかり考えるお前より、よほどまともだ」
「ハッハッハーッ! こいつは傑作だな。よりにもよってトリアだと? 自分一人じゃなんもできねぇ。考えもねぇ。目標もやる気もなんにもねぇ。ただ楽に生きていたいだけじゃねぇか」
「確かに自立心も自主性も足りない。が、まだ育っていないだけだ」
「チッ……なあトリア。お前はどうなんだ?」
ずっと大人しくしていた三男が下を向いて黙り込む。
ディダンはにんまり嗤った。
「だとよ兄貴。トリアは当主なんてやりたくねぇってさ。話し合いじゃ解決しねぇな。おいジジイ! とっととこいつを開封しろ」
偽の遺言状が再び、老家令の手に渡った。
十中八九、後継者に指名されるのはディダンよね。絶対に偽物だと糾弾してあげるのだから。




