62.高すぎる価値も困りものと勉強になりました
後日のこと――
ブラッドレイ侯爵家秘蔵の赤ワインを、今度はどこに持っていけばいいのかしら? と、私なりに考えてみたけれど、欲しがりそうな人って美食家のグルマン伯爵くらいなのよね。
ロゼッタのドラゴン焼きたてパン工房買収のこともあって、絶賛没落中。当然の報いなのだけど。
物々交換をするなら、相手には喜んで欲しいし。だから美食家伯爵は論外なのよね。
ルリハたちに相談して、赤ワインを喜んでくれそうな人を探してもらうことにした。
で、たどり着いたのが――
王宮の大臣執務室。簡素な仕事部屋という感じで、必要最低限って感じね。本棚はジャンル別に資料がずらりと並んで綺麗。執務机の上の書類たちも理路整然と分けられている。
ソファーとローテーブルを挟んで、グラハム大臣は長い顎髭を撫でると。
「なるほど。赤ワインですか」
「ええ。お好きかと思いまして」
「拝見してもよろしいですかな?」
「もちろん」
大臣は卓上の瓶を手にしてラベルとにらめっこ。
「ふむ。保存状態も良さそうですな。この年は葡萄の当たり年。とてもではありませんが、これに肩を並べるような品を、わしは王妃様にお返しできませぬ」
本当に良いモノだったのね。良すぎて価値の分かる人を困らせるくらいに。
なら、レイモンドにワインを贈るのがいいのかも……と思ったけど、彼ってどちらかといえば白ワインが好きなのよね。
かといって、他にこの赤ワインを喜んでくれそうな人も思いつかないし。
「グラハム大臣。元は異国の銅貨から始まりましたし、ゲームですから」
「なるほど。金銭的価値だけではないと仰るのですな。では……少々目新しいモノを」
大臣は上着の胸ポケットから黒光りする細い棒を抜いた。
「こちらと交換はいかがでしょうか」
「なにかしら?」
「実はキャップを外すと、これこのように……」
美しい金色のペン先がひょいっと顔を出す。
「ペン……ですのよね?」
「はい王妃様。工房に作らせた試作品でしてな。軸の中が空洞になっております。インクを吸い込ませて溜める仕掛けがあるのですぞ」
グラハムは一度、執務机に戻るとインク瓶を手にして戻ってきた。
「ちょうどインク切れでしたので、お見せいたしましょう」
ペン軸を外すと、軸の中のインクを溜める部分が剥き出しに。
「このインクタンクのお尻の部分を回すと中のピストンが押し出されましてな。ペン先をインク瓶につけると、インクを吸い上げてタンクが満タンになるという仕組みなのです」
「インク瓶とペンが一体化してますのね?」
「キャップをしておけばペン先を保護し、インクも乾きにくいですし、なかなかに便利かと」
うっ……私が欲しいかもしれない。出先で手紙を手軽に書けるなんて……。
「素晴らしい発明ね! 交換していただいてよろしいかしら?」
「ええ、王妃様に気に入っていただけてペンもきっと喜んでおるでしょう」
高級赤ワインがペンになった。
交換を終えて大臣の部屋を出る。
手にしたペンをじっと見つめると――
「もしかしてこのペンで書いたら、特定されたりしないかしら?」
そんな仕掛けがあってもおかしくない。なんて、考えすぎかもしれないわね。
少なくとも、ルリハ経由の手紙は今まで通りの筆記具で書いた方がいいかも。
じゃあ、このペンを誰の何と交換しようかしら?
基本的には出歩くことが多い人で、メモを取る仕事をしている人。
一人、心当たりが見つかっちゃった。こちらからあまり率先して会いに行きたくないけれど。
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ホークス伯爵家へ。
私の急な訪問に捜査令嬢シャーロットは緊張した顔で出迎えてくれた。
応接室に通される。
「王妃様が、わたくしの元にわざわざ足を運んでくださるなんて……事件ですか? いえ、このことそれ自体が事件です。まるで嵐の前の静けさ。オーブンで焼かれる前のパイ生地の気分です」
「そんなに緊張しないでいいわよ。私たち……お友達でしょう?」
「はうっ!? そんな……もったいないお言葉です」
悪気はないみたいなのよね。犯罪現場と私がいると、ハッスルしてしまいがちなだけで。
私はグラハム大臣から受け取ったペンを手にした。
「実は今、物々交換をしているの。ちょっとしたゲームなのよね。このインクを吸い込んで溜めておけるいつでもどこでも書けるペン、貴女にぴったりだと思って。どうかしら?」
「わ、わたくしにペンを!?」
「ほら、貴女って何か考えをまとめようとする時に、指先でなにもないところにメモをしているじゃない」
「あ、あ、あれは探偵っぽい格好いい……ポーズです」
そうだったのね。シャーロットは耳まで真っ赤になって俯いた。
「どうしてそんなことを?」
「て、天才らしく振る舞うと、犯人を威嚇できますから。あの、止めた方が良いでしょうか?」
「いいんじゃないかしら」
「ほ、本当ですか!? 良かった……」
少女はホッと胸をなで下ろした。それよりなにより、視野が狭くなることを直して欲しいのだけど。
シャーロットは眉尻を下げる。
「せっかくのペンですが、わたくしにはそれに見合うものが……このゲームは等価交換以上にしていくというものですよね?」
私がきちんと説明していないのに、探偵らしく彼女は言い当てた。
「ご明察ね。できれば金銭的にではなく、面白いモノとの交換ができるといいのだけど」
勝負を挑んできたナタリア・ハーヴェイの上をいかなきゃいけないのだけど、金銭的価値で戦うのは、なんだか違う気がする。
銅貨には銅貨の勝ち方がある。このゲームは欲しがる人に与えることが大事で、そこに金額以上の価値が生まれるのが面白いのだもの。
困り顔のシャーロットに。
「貴女しか持っていないモノと交換できると嬉しいのだけど」
「わたくしだけ……はい、そうですね。付加価値のあるもの……かどうかはわかりませんが、わたくしにしかないモノというと……少々お待ちください」
席を立つこと五分。
応接室に戻ってきたシャーロットの手には一冊の帳面。
表紙に書かれたタイトルは――
「ギルバート叔父様の秘密メモ……ですって?」
「はい。子供の頃から叔父様を観察し、叔父様の好きな食べ物から女性の好みに剣のコレクション。他にも一日の行動のルーティーンに休日の過ごし方。好きなお酒とおつまみ。馬以外の好きな動物について。お化けが苦手なことやピーマンが食べられないことなどなど。この一冊にギルバート叔父様のすべてが詰め込んであります」
怖い。なにこの子。というか、騎士団長ギルバートが不憫かも。
とんでもない個人情報ね。この帳面が王国に敵対する「組織」に渡ったりしたら、大事件よ。
落ち着いて。落ち着くのよ私。
氷の仮面を心の中で被り直し。
「あら、そんなに大事なものを?」
「王妃様が求めるのは、わたくしにしかできないモノ。今はこれが精一杯です」
「わかったわ。貴女の情熱、受け取らせてもらうわね」
私はペンを渡して帳面を受け取った。
シャーロットは瞳を潤ませる。
「ありがとうございます王妃様。このペンを活用して、ギルバート叔父様の秘密メモ二巻目を完成させます」
「あっ……ええと、が、がんばってね。けど、二巻目よりも他のことを調べた方がいいんじゃないかしら?」
「はい! では叔父様に好意を寄せていそうな女性たちについて調べたいと思います。早く身を固めてほしいですから」
「そ、それはいい考えね」
「王妃様……頭脳が必要な時はいつでも駆けつけます。なんなりとお申し付けください」
うーん、心強いと言っていいのかしら。
これからも騎士団長ギルバートは姪っ子の迷探偵に頭を悩まされそうね。
ホークス邸を出ると。
次に向かうべきは、騎士団の本部しかないわよね。この危険な帳面。今すぐ焚き火にくべてしまった方がいいかもしれないけど、交換材料だからそうもいかないし。
高級赤ワインはペンになって、個人情報に姿を変えた。
異国の銅貨から、思えばずいぶん遠くに来た気がするわ。




