49.もしかしたら黒猫と私は同志だったのかもしれないですね
黒猫が言うには、もうすぐ死ぬ人間がいるという。
男は職人街に住む偏屈で頑固な靴職人だった。名人と呼ばれるほどの腕前だ。
伴侶を亡くし、幼い頃から息子に技術を叩き込んだけど――
靴職人なんかなるかよ。
反発した息子は家を出ていき、二十年。いつの間にか、すっかり老人になっていた。
黙々と靴を作り続けた。息子の帰りを待っていたのかさえ、もう老人には分からない。
ある日突然、昨日までできていた細工が出来なくなった。
老人にとって、靴を作る以外、人生には何一つ残されていなかった。
急速に、命の蝋燭の炎が小さくなっていく。
ついにはベッドから起き上がることさえ難しくなってしまった。
そんな男の様子を、イチモクは残された左目で見守ってきた……みたい。
テーブルの上で語り終えた黒猫が、私に問いかける。
「もうすぐ靴屋のじいさまが逝く。俺は……せめて安らかに眠らせてやりたい。家族を顧みない男だったかもしれない。息子と大げんかしちまってそれきりの、ダメな人間だと本人も言ってけどよ……」
なら、手伝えるかもしれないわね。
「だったらその靴職人の名前と、息子さんの名前を教えてもらえるかしら?」
「そんなもん聞いてどうする?」
「広い王都で貴方を見つけられるのよ。ルリハたちなら、遠くの町までも探しにいけるわ」
「バカ言ってんじゃねぇよ。どこに探しに行くって? 北か? 南か? 西か? 東か? 名前がわかったところで息子が生きてるとは限らないだろ?」
「探してみないとわからないでしょう」
「王国中を探そうってのか?」
私の肩口で翻訳してくれているルリハが「イチモクが言う通りであります。なにか特徴でもないと探せないでありますよ!」と、泣きそうな声。
「ねえイチモク。靴職人の息子さんは、何歳で家出したの?」
「たしか、じいさまは十五歳だって言ってたが……そんくらいの年齢の男なんていくらでもいるだろ? 見つかりっこねぇ。じいさまは……もう……三日持つかもわからねぇんだ」
本当は靴職人のそばにいて、最後まで話を聞いてあげたい。そんな風にイチモクが見えた。
同時に、左目が私に……ううん、ルリハたちに助けを求めているようにも思えてくる。
猶予は無い。
もし十五歳の子供が王都を飛び出して、別の町に行ったとして……どうやって暮らすのかしら。
きっと――
うん、そうね。これに賭けてみましょう。うまくすれば、みんなを救えるかもしれない。
私は屋根の上のルリハたちを呼び寄せた。
テーブルが青い羽毛玉で埋め尽くされる。
「いいかしらみんな。探して欲しいのだけど……」
私が条件を伝えると、ルリハたちは「「「「「はい! やってみますねキッテ様!」」」」」と、一斉に飛び立った。
ついでに庭を走り回っていたアヒルのマドレーヌまで「グワッグワ!」と、片翼を上げて敬礼ポーズをとると、そのままスタスタと離宮を出て行く。
ええぇ……手伝ってくれるのは嬉しいけれど、貴方、うかつに町中を歩き回っていたら食材にされないかしら?
残されたのは私と黒猫だけ。
イチモクが髭をピンとさせた。
「お前……本当に……じいさまの死に目に息子を会わせてやれるのか?」
「私じゃないわ。ルリハたちがそうさせるのよ」
「お前になんの利益がある!?」
「貴方だってそうじゃない。死の匂いを感じられるから、見ず知らずの誰かの最期に寄り添ってあげてる。私も同じよ。ルリハたちとお話しできて、みんなが力を貸してくれるから、そうしているの」
「……そう……か。王妃なんていうから、どんなやつかとツラだけ拝んでやるつもりだったが……まさかはぐれ猫の俺と同類だったなんてな」
「光栄ね」
「皮肉かよ。クソッ……けど……ありがとう」
黒猫はちょこんとお辞儀する。
「感謝の言葉は無事、父子が再会できた時に受け取るわね」
私自身は結局、何もしていない。実際に見つけてくれるのはいつもルリハだもの。
だから、みんながその翼を自由に羽ばたかせられるようにするだけ。
イチモクもそうね。この子が自由に、町の人々から怖がられないようにできればいいのだけれど。
とにかく、期限は三日もない。
みんな……頼むわね。
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やっぱりルリハたちの情報収集能力ってすごいのね。
みんなが連携できるから、同じ場所を探すみたいな無駄は一切無し。個々が考えて行動できるのも強みだった。
靴職人の息子は王都の西の村で見つかった。
ルリハたちと出会った頃に、流行病が見つかったあの村だったのは、何の因果かしら。
すぐに魔法医療団が病気の感染を防いでくれたけど、もしルリハたちと出会ってなかったら、村ごと全滅してたかもしれない。
平和な村でも一番腕利きな靴職人。結婚して子供が二人。それが老職人の息子だった。名前は変えていなかったみたいで、一致したのも幸運だった。
私はルリハたちにこう、お願いしたのだ。
三十五歳前後の、腕利きの靴職人を探して欲しい。
家を飛び出した少年が、出来たことはやっぱり靴を作ること。結局、父親と同じ道で成功をするんじゃないかしら。
ほとんど勘だったけど、上手くいったわね。
すぐに手紙を書いた。
貴男のお父さんが危篤です。どうか最後に一度、会ってあげてください。職人街の貴男の家で待っています。
信じてくれるかどうか心配。だったけど――
神の手紙の噂が西の村には広まっていた。
突然、魔法医療団がやってきた理由を村人たちが質問したみたいね。
すんなりと私の手紙は受け入れられて、息子は奥様と子供たち……老職人からすれば孫たちを連れて、王都に戻ってきた。
イチモクは窓の外から父子と家族をじっと見ていたみたい。
老職人は息子に謝罪した。息子も同じように。結局、家を出ても救ってくれたのは、父が教えてくれた靴を作る技術だったと。
息子は自分の作った靴を父親に贈った。
もう動かないはずなのに、老職人はそれを履いて、立ち上がった。
「なあ、久しぶりに……あの公園まで散歩にいかないか」
「ああ、そうだね……父さん。そうしよう」
息子の肩を借りて二人は二十年以上の時を経て、職人街にある小さな公園へと、長い長い散歩に出かけた。
とても安らかな最期だったと、私は聞かされた。
心の底から、二人が再会できて、本当に良かった。そう、思えた。
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森の屋敷の二階の部屋に、今日は黒猫がどこからか姿を現した。
「ありがとうなキッテ様」
ぶっきらぼうにイチモクは言う。
「貴方、これからも続けるのよね?」
「お前だって止めないんだろ。これは……背負っちまったもんの運命だ」
「私は王妃で何の不自由もないけれど、貴方は違うでしょ。町の人たちからは死神を呼ぶ黒猫って、恐れられ続けるのよ?」
「他の黒猫たちは巻き込めねぇからよ……お前ならお触れでもなんでも出せるだろ。隻眼に鍵尻尾の黒猫が死神の使いだとでも、公表してくれよ。死にゆく連中はもう、とっくに覚悟は決まってるんだ。仕事がやりにくくなるなんてこともないしな」
真剣な眼差しに私は頷いた。
「わかったわ。私と貴方は協力関係になったのだものね」
「ああ、助かる。じゃあな……キッテ様」
俊敏な身のこなしでイチモクは窓の外へ。
なんやらかんやらあって、無事だったマドレーヌが庭で「グワワ!」と挨拶する。
さてと――
もう一仕事、私には残っているわね。
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王宮に戻ると王女アリアの元へ。
私は演劇に詳しい義妹にお願いした。
「ええッ!? 戯曲ですかお義姉様!?」
「そうなの。貴女の原案ということで、誰か戯曲作家に書いてもらえないかしら?」
「人々に幸運を運ぶ黒猫の物語……とっても……とってもとっても素敵ですわ! 不吉な黒猫を主役に置くなんて、しかもそれが幸せの象徴になるなんて! ギャップ萌えだし、最悪な状況から最高になる逆転劇!! け、けど……」
「なにかしら?」
「このアイディアを、あたしの名前で出すなんて。お義姉様の名で公表すべきです!」
アリアったらちょっと興奮しすぎね。
「それはええと……私よりもアリアさんの名で世に出す方が、きっと注目度も高いと思うのよね。王都の人々に観て、知ってもらいたいの」
「お義姉様……」
「いつもアリアさんには社交の仕切りをお任せしてばかりだし……嫌かもしれないけど、力を貸してくれないかしら?」
「好きでやっていることですわ! わかりました。この戯曲の卵は、あたしが必ず孵化させて人気演目として羽ばたかせてみせましてよ!!」
アリアはさっそく、私のアイディアメモを戯曲用にまとめ直すと、その多彩な人脈からぴったりの戯曲作家を選んで一本、お芝居を書かせた。
お気に入りの劇団に本を提供。公演の演目看板には有名若手画家として今や飛ぶ鳥を落とす勢いのクイル・グラスハートが抜擢された。
興行は大好評。貴族も平民も関係なく、町の人々は幸せを願う黒猫の物語に心を打たれた。
町で人気のドラゴン焼きたてパン工房では、新作として黒猫の鍵尻尾パンが発売されて、これも大人気。
王立学院の女子生徒を中心に、黒猫の小物が大流行。
黒猫が死神を呼ぶ不吉な存在……という噂は、幸運の象徴に上書きされたのでした。
独りになった人によりそう貴方を、独りぼっちになんてさせないんだから。




