48.死神を呼ぶ黒猫をご招待してみたのだけれど
町の人々の間で、噂が広まりだした。
黒猫が鳴くと人が死ぬ。死神は黒猫が呼び寄せている。
私だけが俯瞰的に、集めた情報から「原因と結果が逆」だと考えているみたい。
ルリハたちが持ち帰る人々の声は、あっという間に大きくなった。
だって、目に見えない死神なんてものじゃなく、町で暮らす黒猫が悪いということになってしまったのだもの。
実物があって、朝昼夜、町のどこでも遭遇する可能性があると噂は風船みたいに膨らんでいく。
黒猫自体、そもそも不吉なイメージもあったし。
これまで、ご飯をもらえていた野良の黒猫が追い払われるなんてことも。
飼われてる黒猫でさえ、飼い主から「あなたは死神を呼んだりしないよね?」って、怖がられてるみたい。
で、猫語が堪能なルリハたちが、町の猫たちに話を聞いて廻ったところ、どうやら死に寄り添う黒猫は、たったの一匹みたい。
無関係な黒猫たちは「いやー最近ね、お人間さんたちがあっしらを目の敵にしたり、怖がったりでひもじくてね。あんた食われてくれないかい?」って。
ルリハを食べようとするなんて、良くないんだから! 冗談でもダメよそんなの。
んもう。で、他の柄の猫たちからの情報も集めると、どうやら右目に傷がある、鍵尻尾の雄猫がそうなんじゃないかって。
猫たちの間ではイチモクと呼ばれていた。
本人(本猫?)がそう、名乗ったことはないとのことだった。
その子が犯人……でいいのかしら。
ともあれ、このままだと黒猫を見る度に町の人たちがパニックを起こしちゃうわね。
最悪、黒猫だけ殺すみたいなことになるかも。集団ヒステリー状態になるのは、よくないことよ。
猫にとっても、人間にとっても。
イチモクを見つけて、死によりそうのを止めるように私が説得しないと。
手紙は読んでもらえないけど、ルリハたちにお願いしてイチモクとお話しする機会を設けることにした。
王妃になって公務で会議に出たり、異国の賓客をもてなすこともあったけど、まさか黒猫と話し合いをすることになるなんて、人生何が起こるかわからないものね。
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ある日の午後、王都内にある離宮の小庭園で私は紅茶を飲んで来客を待った。
レイモンドに「たまには気分転換に離宮のお庭で過ごしたいの」と、お願いして今に至る。
彼はすんなり快諾。森の屋敷より警護もしやすいし、と歓迎すらしてくれた。
あちらでも良かったのだけど、町からだと黒猫のイチモクには遠すぎるし。
離宮の屋根にはルリハたちが並び、庭にはアヒル隊長こと番鳥のマドレーヌ。
少しして――
紅茶が冷めだした頃、小柄な黒い影がどこからともなく姿を現した。
マドレーヌがバタバタと黒猫に向かっていく。
「グワッグワ!?」
「ニャー……」
うん、二人とも何を言ってるのかわからない。けど――
「グワワ? グワッグワ?」
「……にゃー」
一度、通せんぼをしたマドレーヌが確認を終えて、スッと黒猫と私の間から身をひいた。
離宮の屋根の上から、猫語に詳しいルリハが一羽降りてきて、私の肩口にとまる。
ここからは同時翻訳をしてくれるみたいね。
黒猫は軽い身のこなしで、テーブルの上にシュタッと乗ると私の顔を見上げた。
右目は傷で閉じている。尻尾は短く鍵状だった。
ちょこんと座った黒猫に。
「はじめまして。私はキッテ。この国の王妃です」
「……お前が俺を呼んだ人間か」
「ええ。今日はお話を聞かせてもらおうと思って」
「何が言いてぇ? そんなんじゃねぇんだろ?」
ルリハに確認する。
「ねえ、イチモクってこんなにワイルドな口ぶりなの?」
「は、はいでありますキッテ様。とてもワルな感じなのです」
ワルとワイルドだとちょっと違うのだけど、粗野で乱暴な雰囲気ね。
黒猫が耳をイカっぽく伏せた。
「何ごちゃごちゃ言ってやがる?」
「ごめんなさい。貴方の口ぶりが、少し乱暴なのが気になったの。だって……孤独に死を待つ人に寄り添う、優しい猫だと思っていたから」
「……なにッ?」
イチモクは驚いたみたいね。
「ええと、人違い。じゃなくて猫違いしてないわよね? 貴方はイチモク……で合ってるかしら?」
「自分じゃ名乗ったことねぇよ」
「なら、本当のお名前があるの? そちらで呼んだ方がいいかしら?」
「うるせぇ! 俺を名前で呼んでいいのは……あの人だけだ」
ぷいっとイチモクはそっぽを向いた。
「あの人? 大切な人がいるのね?」
「いるんじゃねぇよ……いたんだよ」
「もう会えないのね。大変だったわね」
「……同情なんてすんじゃねぇよ。赤の他人が」
右目の傷だけじゃなく、心にも深い傷を負ってるみたい。
イチモクは前足で顔を洗うと。
「用事があるならとっとと済ませてくれ」
「なら、単刀直入に言うわね。貴方が死によりそうことで、町では死神の噂が立っているの。この前、とある老婦人が亡くなった時、貴方は大声で人を呼んだのよね?」
「ったく、上の青団子連中に見られてんのか」
黒猫はぐいっと視線を離宮の屋根の上に向けた。
「ええ。それでわかったのことなのだけど、死神の噂がさらに大きくなって、黒猫が死神を呼ぶって広まってしまったのよ」
「……だから、何が言いてぇんだ。単刀直入の意味、わかってんだろ?」
私は小さく頷いた。真剣に訴える。相手が人でも猫でも関係ない。
「今すぐ、止めてほしいの。これ以上、噂が広まれば王都はパニックに陥ってしまうわ。黒猫だけ殺してしまおうなんて輩も出てくるかもしれない。貴方の身も危ないし、無関係な他の黒猫たちだって危険にさらされるのよ」
「俺は猫だ。人間の指図なんざ受けねえよ。説得なんかしてねぇで、俺だけ殺せば済むだろ」
「貴方は優しい猫なのね。こうして話し合いにも応じてくれたし。なら、貴方だけをどうこうなんてできないわ。独り寂しく死を待つ人がいるのに、王国も教会も心の支えにはなれていないから……」
黒猫は「ニャア」と息を吐いた。
「そうだ。取りこぼされるんだよ。人間でも猫でも」
「貴方は気づいてるのよね。その秘密を教えてもらえないかしら?」
「知ってどうする?」
「できるかどうかは一旦おいて、孤独な人を勇気づける政策を作ろうと思うの」
「やめておけ。政治でどうこうできるもんじゃねぇ。教会の救済だって届かない。そういう人間が世の中にはごまんといる……それに」
「それに?」
「どうやら死の匂いに敏感な鼻は、俺にしか無いみたいでな」
死の匂い。それを黒猫イチモクは感じているみたいね。
「貴方にしかできないの?」
「俺にしかできないから、俺がやってるんだ。あの匂いがした人間は助からねぇ。俺には助ける術もねぇ。だから、そばにいてやるだけだ。悲しんでくれる人がいないのは、辛いだろ。最後に独りぼっちは寂しいだろ。なのにお前は止めろっていうのかよ?」
ああもう。聖人ならぬ聖猫じゃないの。不徳な貴族たちに爪の垢を煎じて飲ませてあげたいわね。
困ったわ。この子の行いは紛れもない善行。王国も聖教会も救えなかった人々に温もりの手を差し伸べている。
かといって、町では黒猫が死神を呼ぶという状態が、今にも膨らんで爆発しそう。
黒猫がスッとお尻を上げた。
「話が無いなら俺は帰るぜ。俺は止めない。自分の死の匂いだけはわからねぇが……あの人との約束だからな」
「待って。あの人って、貴方の大切な人のことよね? どんな約束をしたの?」
「……約束……なんて、勝手に俺が思ってるだけかもしれねぇが……息を引き取る間際、最後に『ありがとう。そばにいてくれて……』ってさ。あれから俺の鼻は匂いに敏感になった。あの人と同じ匂いがするのがわかるようになった。もう、長くない人間がわかる。社会に見捨てられ、自分にはもうだれもいないって孤独が王妃様には理解できるか?」
想像はできても、共感しようとしても、その状態に身を置いたことがないから……無理ね。
私は心優しい黒猫に論破されてしまった。
「貴方はそれでいいの?」
「町はお前がどうにかしろ。こっちは忙しいんだ」
「忙しい? また、誰か亡くなるというの?」
「もう持たないだろうな」
黒猫は背を向けた。鍵尻尾がまるでイチモクの心に強固にかかった扉を閉めているみたいに思えた。
「待って。その人のこと、教えてくれないかしら?」
「死なせてやれよ。延命だなんだしたって、絶望は変わらねぇんだ」
「絶望? もう少しだけ、詳しく教えてくれないかしら?」
「うるせぇ! お前に何がわかる!?」
「わからないから教えて欲しいの。嫌だといっても、貴方のことをルリハにがっちりマークしてもらって、その人の元に案内してもらってもいいのよ。直接聞くわよ?」
黒猫は振り返ると全身の毛を逆立てた。
「やめろ馬鹿野郎! 突然王妃なんか来たらあの爺さん、ショック死しちまうだろ!」
「嫌なら教えなさい。ねえ、私たち……協力関係を結べると思うのよ。一度でいいから、手伝わせて。貴方の邪魔はしないから」
真剣に頼み込む。すると――
「……ったく。本当だろうな?」
「上手くいかなかったら、もう二度と貴方をルリハたちに追わせないわ。もし、猫の貴方だけではできないことをできたなら……今後も協力関係をしていく。どうかしら?」
「わかったよ。いいだろう。どうせこれっきりだろうけどな」
イチモクはやれやれと座り直した。改めて、やっと交渉のテーブルについてくれたみたいね。




