42.小さな恋に突然火がついたみたいですね
森の屋敷の自室に紅茶の香りがふわりと咲いた。
窓の外からアヒルのマドレーヌの「グワッグワ♪」と歌う声が聞こえる。
すっかりあの子はお庭の番長ね。衛兵たちにも人気で、ちゃっかり名誉警備隊長に任命されちゃっていた。
部屋のテーブルは今日も青い羽毛で満席。
本日のおやつはメープルシロップとバターたっぷりのワッフルで、小さく切り分けてあげるとルリハたちのお喋りが始まった。
「最近さぁロゼッタちゃんのドラゴン焼きたてパン工房やばいよね」
「知ってる知ってる。開店と同時にあっという間に空っぽなんでしょ?」
「棚に焼きたてパンを並べる暇もないんだって」
「購入制限してても開店一時間もしないで午前の部のパンは売り切れなんだっけか?」
「んだんだ。小鳥のジャムパンなんて争奪戦だべ」
ロゼッタのベーカリーは順調すぎて、今度は人を増やしたりしないとおいつかないかもしれないわね。
他にもルリハたちは夜な夜な城壁近くで現れる全身白ずくめの不審者情報や、世にも珍しいオスの三毛猫が見つかったこと。少し前に南の海で大きな台風があったことや、地下下水道に棲む謎の化け物の話とか、美味しい焼き菓子のお店で代替わりが起こって、味が変わってしまった……なんてことまで。
さしあたって気になるのは白ずくめの不審者と下水道の化け物だけど、ルリハたちは直接見たわけでもなくて、町の人たちの噂の産物みたいね。
火の無いところに煙りは立たないというけれど、何かの見間違いや勘違いかもしれない。
私はティーカップをそっとソーサーに戻す。
「もし、噂が続くようなら不審者と化け物のことは教えてちょうだいね」
「「「「「はーい!」」」」」
ルリハたちは片翼を上げて元気に返事をした。
そんな中――
開いた窓から一羽のルリハが遅れてやってくる。
テーブルに着地すると、美味しいワッフルには目もくれず私の前に進み出た。
「キッテ様キッテ様! 俺……俺ぇ!」
「どうしたの。おちついて。大丈夫かしら? 何があったの?」
遅れてきた子は両方の翼を万歳させた。
「す、すす、好きな女の子が……できました!」
一瞬間を置いて。
「「「「「ええーッ!?」」」」」
ルリハたちが一斉に声を上げた。
なんだかみんな、意外そうというか、驚いているというか。一部悲鳴みたいなものまで混ざっていた。
けど、恋をするなんて素敵なことじゃないの。空を自由に飛ぶ小鳥でも恋には落ちてしまうのね。
群れの中で三羽ほどが尾羽をフリフリする。
「好きな子って、ワンチャンあーし? ま?」
「ウチだったらどうしよどうしよ」
「わ、わたしはアンタなんて、べ、別に好きでもなんでもないんだからね!」
ざわつく三羽に恋をしたルリハが振り返った。
「ち、ちげーし! 俺が好きなのは……」
再びルリハが私に向き直って、じーっとつぶらな瞳で見上げてくる。
え!? も、もしかして……私!?
いけないわ。私はこの国の王妃なのに。レイモンドがいるもの。なのに、そんな……ルリハと関係を持つなんて。
恋するルリハはクチバシを開いた。
「俺が好きなのは貿易船船長の娘のセイラちゃんなんだ!」
ホッと、私は胸をなで下ろした。一方、乙女三羽は「あーね」「おー! ウチじゃなかったか」「え、ええ……そ、そうなんだ」って、最後の子だけ、がっかりしょんぼりしてる。
ああ、けど不思議。
ルリハとこうしてお話しできるから、この子たちが人間に恋をしても、なんの違和感も憶えなかったなんて。
私は椅子に座り直した。
「とりあえず、そのセイラちゃんのことを聞かせてもらおうかしら」
「は、はい! キッテ様!」
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恋をしたのはどうやら炎上班の子みたいね。
大きな水を見ると挑まずにはいられなくて、南方の港町まで飛んでいったところ、海を前に闘志が燃えてしまったとか。
海に突っ込み、溺れてしまったところを助けてくれたのがセイラという少女だった。
彼女は貿易船の船長の娘で、父親と一緒に船上で暮らしているみたい。
今は港町のドックで船は修理点検中。少し前に起こった台風に巻き込まれたのもあって、しばらく寄港するとのことだ。
修理もあって船員たちも陸に上がり、宿暮らしをしている。セイラはたまたま一人で浜にいたところ、溺れるルリハを見つけて救い出し、宿に連れ帰ると綺麗な真水で洗ってタオルで優しく拭いてくれたんだそうな。
命の恩人に恋したルリハは私に言う。
「誉れは浜で死にました」
「どこでそんな言葉を覚えてくるのかしら。ともかく、無事でよかったわね」
「はい。次こそは海を……ぶっとばしてやりますとも!」
「それはもう少し、貴方が大きくなってからにしましょう」
「うう……はい。キッテ様。俺、筋トレいっぱいして両翼十メートルくらいの怪鳥になってみせますから」
その努力、果たして報われるのかしら。
話の続きを聞く。
セイラには同年代の友達がいない。一年中船に乗っているのだから。勉強は父親がみてくれて不足はないけど、すごく寂しそう。
彼女はルリハに語りかけた。友達は作らない。時々、こうして少しだけ長く港町にとどまることはあるけど、旅立たなくてはいけないから。
船は好きで、父親のことも尊敬してる。けど、寂しいな。と、セイラはルリハに言った。
まるでルリハたちと出会った時の私みたいね。
話し相手がいないからと、つい、語りかけてしまう。まさか通じているとはおもってもみなかったけど。
ルリハの羽が乾くまで、二人は一緒にお話ししたみたい。もちろん、ルリハは美しい鳴き声でしか返せないのだけど。
セイラはお水とクッキーまで用意してくれた。幸せな時間が過ぎていった。
無事、元気を取り戻し、空を飛べるようになった炎上班の子を、セイラは鳥籠に入れることもせず、宿の二階の窓から外に逃がしてくれたという。
話を聞き終えたルリハ一同の、特に男の子たちから声が上がった。
「うおおおおおおお! 惚れてまうやろがい!」
「めっちゃ良い子じゃん幸せにしてぇ」
「守護らねば……」
「オレも溺れてみっかなぁ」
「やめとけやめとけ、普通に死ぬぞ」
ルリハの女の子たちは「やーね」とか「ちょっとぉ」と、少々ご機嫌斜めみたい。
セイラを好きになったルリハが私の肩に乗った。
「キッテ様! お、俺……どうすればセイラちゃんの彼氏になれますか!?」
まさか義妹のアリア王女の恋の悩みを聞く前に――
ルリハの恋の相談を受けることになるなんて、人生何があるかわからないわね。
さて、どう答えたらいいのかしら?




