40.推理劇場の最後の幕が上がりました
物語が悲劇の結末を迎えようとしたその時――
窓の隙間から青い小鳥が私の元に降りたった。
みんなスミスに注意が向いている。入ってくるタイミングをうかがっていたのね。
ルリハは私の肩口にとまると耳元で囁いた。
「諜報部です。姐さ……キッテ様。控え室に居たスミスを監視していた宝飾品大好きなルリハから証言を得やした。なんでも陛下の徽章が二つあるとかで、ダンス前の徽章とダンスの時間の徽章を入れ替えたそうです。本物は鞄の中です」
言うなりルリハは飛び去った。
徽章が……二つあるですって?
いったいどういうことなの? 確かスミスはダンスの前に、ブルーダイヤ徽章の留め具が弱いから、補強するみたいなことを言っていたわよね。
補強ではなく、入れ替えたというのかしら?
ダンスをする時に、何かの拍子で破損してもいいように模造品を用意していたということ?
なら、留め具の補強と言わずに、ダンスの際は万が一に備えて模造品を着けて欲しいと言えばいいのに。
ちょっと待って。
おかしいわよ。やっぱり。
レイモンドがジョエル伯爵に襲われたのはダンスのあと。軽く汗を掻いてワインをたくさん飲んでのことだったわ。
そのあと、本物に着け直す機会は無かったのだから、陛下の胸にあった徽章は偽物よ。
ジョエル伯爵はそれを奪った。
スミスは徽章を取り返すために伯爵を二階のテラスで追い詰め、手に掛けた。
いくら出来が良くたって、模造品に本物ほどの価値はないのだし、真の徽章が無事なのをスミスだけは解っていたはず。
ああ、もう。頭がおかしくなってしまいそう。
スミスは殺人を犯してまで、贋作を取り戻さなければいけなかった?
会場では今まさに、衛兵二人が俯くスミスを連れ出そうとしていた。
このままじゃ、陛下の徽章を守ろうとした人物として決着してしまう。
私は貴賓席から立ち上がった。
「お待ちになって。もう少しだけ、スミスに訊きたいことがあります」
大男を左右から挟んで、腕を掴んだ衛兵たちが手を離す。
宝飾職人はゆっくり顔を上げる。
「王妃様には申し開きの言葉もありません。私は罪人です」
会場中がどよめいた。
「ジョエル伯爵が悪いのに……」
「あのように素晴らしい名工をまさか処断なさるまいな」
「スミス氏の行いはむしろ正義ではないか」
「お願いします王妃様。どうか恩赦を」
むしろスミスの評判が上がってしまうような流れね。
赤い狂犬も私を見つめた。
「王妃様。すべての謎は真夏のジェラートのように溶けて消え、真実だけが残されました。これ以上、何をお望みなのですか?」
「シャーロットは本当に、スミスが犯人だと思うのかしら?」
「まさか、他に犯人がいてスミス様がそれを庇っていると言うのですか?」
今は別の犯人説でもなんでもいいから、この会場にスミスを足止めしないと。
出してしまったらすべてが闇の中よ。彼の鞄の中に隠されている本物のブルーダイヤ徽章ごと。
私は咳払いを挟む。
「ええと……そうね。共犯説なんていかがかしら? ジョエル伯爵とスミスは途中まで協力者だったの。二人は二階のテラスで落ち合う予定だった。そこで報酬を巡る口論になり、スミスが伯爵を手に掛けてしまったとか」
シャーロットは首をゆっくり左右に振る。
「ありえません。ジョエル伯爵の行動は衝動的です。凶器は王宮の廊下に飾られていた花瓶なんですから」
「衝動的な犯行に見せかけたかったんじゃないかしら?」
「意味がありません」
うう、我ながら無茶苦茶言ってるのはわかっているのよ。だんだんと来賓たちの視線が痛くなってくる。
王妃様は何を言い出したの? 的な空気だ。
スミスががっかりとした顔をする。
「王妃様。私とジョエル伯爵に接点はありません。仮に共謀していたとして、目的はなんでしょうか? 私が金で雇われたとでも?」
もうこうなったら、真実をぶつけるしかないわね。私とルリハしかしらない本当の出来事を。
「例えば……徽章が二つあったとしたらどうかしら? 本物と偽物。襲撃された時に陛下が偽物の徽章を身に着けていて、ジョエル伯爵が奪ってしまった。偽物を用意した人間はきっと焦ったでしょうね」
そこまで私が言うと、迷探偵シャーロットの瞳が輝いた。
彼女は虚空に指で文字列を描くと――
「なるほど……王妃様の物語は……実に興味深いです」
赤いドレスの裾をひらりとさせて探偵は容疑者スミスの前に再び立つ。
「もしジョエル伯爵が陛下の胸から模造品を奪ったら、必ず気づいたはずです。なにしろ伯爵は宝石マニア。これは偽物だと。そうは思いませんかスミス様?」
「…………」
私はそっと静かに席に座り直した。心の中で小さく拳を握る。
ここからは探偵劇場の第三幕ね。見守りましょう。
主演女優はスミスの顔に人差し指を突きつける。
「ジョエル伯爵は気づいたはず。夜会の間、ずっと陛下の……というか胸のブルーダイヤ徽章に注目していたのですから。途中、あなたが徽章を手直しすると退席したのも伯爵は見ている。伯爵は陛下から奪ってすぐ偽物と気づき、あなたの控え室を訪ねた」
「…………」
「そこで殺しては言い訳が立たない。あなたはひとまず事情を説明すると言って、人気の無い二階のテラスに伯爵とともに移動した。折を見て……殺害し自殺したかのように隠蔽工作した。そうですね?」
「妄想もそこまでくると立派なものだ。あんたこそ作家にでもなったらいいんじゃないか?」
スミスの声は恐ろしく冷たい。
けど、シャーロットは負けなかった。
「あなたの目的はブルーダイヤ徽章を自分の物にすること。あの青い輝きに魅入られてしまったのでしょうね。そのために精巧な贋作を用意した。今夜のお披露目で最初に陛下に本物をつけてもらったのは、ここにいる全員を証人とするため。陛下の胸には本物の徽章が輝いていると。あなた自身の腕も相まって、すばらしい芸術家だとアピールもできます」
「……どうだかな。だいたいだ……私がブルーダイヤを欲しがるなら、最初から偽物を納品すればいい話だろ」
探偵は人差し指を立てて左右に振る。
「ジョエル伯爵はさぞや邪魔だったのでしょうね。あなたは警戒していた。もし陛下に最初から偽物を渡していたら、伯爵が真贋を見抜いてしまうから。だからダンスが始まるまでは、陛下の胸に本物のブルーダイヤ徽章を輝かせておく必要があったんです」
あ、そういうことだったのね。シャーロットは思い込みが激しいけど、上手く噛み合うと本当に事件を解決できてしまう人なのかも。
スミスは眉間にしわを寄せる。
「……想像でしかない」
「真実がわたしの耳元で囁きますの。まるで青い小鳥が囀るように」
ちょっとドキッとする例え話ね。もしかしてシャーロットにルリハを見られていたのかしら。気をつけないと。
この思い込み過多な探偵に興味を持たれるのは危険だわ。
私は氷の仮面を被り直した。
会場中が静まりかえる。誰もが赤い探偵の言葉を、固唾を呑んで待つ。
少女は口を開いた。
「あなたの計画ではダンスタイムを境に、本物と偽物を入れ替えて王家にブルーダイヤ徽章を納品して終わるはずだった。誤算だったのは宝石マニアの衝動的な行動力と審美眼です。強盗事件が起こったこともですが、まさか強盗犯が『これは偽物だ!』なんて、すり替え犯を告発にくるなんて思わなかったでしょう」
「バカなことを言うな。証拠はあるのか!?」
「その手の鞄を調べさせてください。ずっと手にしたままですよね? あなたは異国を巡っていて王宮に来たのは今日が二度目。宮廷のどこに隠しておけば安全かなんてわからないはず。もし城のどこかに隠せたとしても、次に回収する機会がいつになるかわからないでしょう。だとすれば、その鞄の中に本物を抱えておくほかないんです」
シャーロットが向き直る。
「王妃様。スミス様の……いいえ、スミスの荷物を改めてもよいですか?」
私は眉一つ動かさず。
「ええ、許可します。問題が無ければ彼は無罪ですね」
普通なら迷ってしまうところだけど、私は確信して許可を出した。
スミスは石像のように微動だにしない。
衛兵が鞄を離すように言う。
「やめろ。この中には……私の仕事道具が入っている。普通の道具ではないのだ。自分で作った道具も無数にある。公開すれば私のアイディアが盗用されてしまう」
探偵が厳しい視線を向けて男を見上げた。
「あやしいです。王妃様の許可も出ています。それに背くというんですか?」
「ぐっ……」
私は視線で衛兵を動かした。集まって取り囲み、衛兵たちがスミスの鞄を無理矢理剥ぎ取った。
鞄を開くと彫金道具の他に革張りのケースが二つ。まったく同じものが出てきた。
スミスは完全に沈黙。
シャーロットが「中を拝見しますね」と、ケースをそれぞれ開けてみる。
空っぽなものが一つ。もう一つにはブルーダイヤ徽章が収まっていた。
スミスが言う。
「それは……それが私が用意した模造品だ。実は……私としたことがミスをしてしまった。陛下が先につけていたのは模造品の方なのだ。模造品といえど、石以外は本物と同じ材料だ。彫金の精度も同じだ。石もブルーダイヤだ。私が採掘した原石を加工し磨き上げた本物だ。ダンスのあとに気づいてしまった。陛下にダンスの時に本物をつけさせてしまったと。しかもそれがジョエル伯爵に奪われてしまって……偶然、あの男が化粧室の前から逃げるのを目撃し、追いかけ、二階のテラスで口論となった末に、突き落としてしまったんだ! 本当であれば、この模造品も納品するつもりでいた。本物のブルーダイヤ徽章は魔性を帯びている。陛下の身に危険が生じぬように、偽物とすり替えておく必要があったのだ」
ずいぶん口が回るようになったわね。
後付けで説明するスミスに来賓たちが疑惑の眼差しを向けた。
シャーロットが首を左右に振る。
「陛下の胸に輝いていた徽章が本物だったからこそ、ジョエル伯爵は犯行に及んだんです」
「あの男の見る目を買いかぶりすぎだ。いや、私の技術が極まったことで、両方が本物になったのだ」
衛兵が主賓席の私の元に二つの徽章を持ってくる。
方や名工の鞄から現れた本物の徽章。もう一方の模造品も空だったケースに収まれば、ほとんど本物と見分けがつかない。
二つを天秤に掛ければ重さまで綺麗に釣り合いそう。
混迷を極めた会場に――
「皆、心配を掛けた」
後頭部をさすってレイモンドが戻ってきた。




