35.夜会でお披露目になるはずでしたのに
しばらくして――
若き名工スミス・ストーンが生み出した芸術的な徽章が、レイモンドの胸元に輝いた。
夜会がお披露目も兼ねて行われる。
淑女たちがフロアの真ん中で陛下を取り囲んだ。
「まぁ! 陛下の青い瞳とぴったり!」
「お似合いですわねぇ!」
「金細工も芸術的ですし!」
集まる来賓を掻き分けて、細身の男がレイモンドの前に出る。
黒髪黒目。黒羽のカラスみたいな服の胸元や、各所にちりばめられた宝飾品はまるで夜空の星みたい。
ジョエル伯爵――
宝石好きで有名だったかしら。普段はあまり社交の場に出てこないけど……。
やっぱりブルーダイヤの徽章が気になったのかしらね?
伯爵は声を上げた。
「おおおおお! なんと素晴らしい! これほどの澄んだ輝きは他にありますまい! ああ! 陛下はまさしく、王国を知謀で救った英雄! この宝石の如く怜悧でいらっしゃる!」
レイモンドが「ありがとう」と返してもなお、ジョエル伯爵は美辞麗句を並べ立てた。
美しい宝石や宝飾品を前にすると、途端に詩人になってしまうご様子ね。
ただ、順番を無視して割り込むのはいただけないけど。
陛下も少し、うんざり気味だ。
「そろそろいいかな?」
「ああ、ああ! もっと……できましたら……その……手に取らせていただけないでしょうか!」
「申し訳ないがそれはお断りさせてもらうよ」
「一度で良いのです! お願いします陛下!」
ものすごい執着。ちょっと普通じゃないかも。
私はレイモンドの腕を掴んで主賓席の方に引く。
「失礼するわねジョエル伯爵。ほら陛下。そろそろ時間ですし」
「時間?」
「皆様に紹介するのでしょう。スミス・ストーンを」
「あ、ああ。そうだったね。失礼するよジョエル伯」
黒髪の男は「そ、そんなぁ……ご無体なぁ」と、情けない声を上げた。
去り際、レイモンドが私の耳元で囁く。
「ありがとう。助かったよキッテ」
「これくらいお安い御用です」
寛容で人の話に耳を傾けるのは彼のいいところでもあるのだけど。
悪意の無い相手でも迷惑ならきちんと律してくれないと、頼りないわね。
胸の徽章に負けちゃうわよ。もう。
予定より少し早いけど、私は陛下を連れてステージ側に立つ。
レイモンドが登壇した。
「今夜は皆に紹介したい人物がいる。この胸に輝くブルーダイヤ徽章を手掛けた若き名工……スミス・ストーンだ!」
会場の扉が衛兵の手で開かれた。
正装しているけど豪傑のような男が姿を現す。みんな驚いてるわね。
手には相変わらず、大きな革鞄。
ステージに招かれたスミスは一礼した。
「今宵はご招待いただき、紹介いただき感謝いたします。スミス・ストーンと申します。原石の加工からデザイン、彫金、なんでもこなします。ご用命ください」
簡単な挨拶を済ませると、拍手とともにステージを降りる。
ブルーダイヤ徽章は誰から見ても素晴らしい仕事ぶりだったし、これから大人気になるかもしれないわね。
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宴席も進み、そろそろダンスの時間だ。楽団の人数が増え始めたところで、主賓席に職人のスミスがやってきた。
「これから踊られるのですか陛下?」
「ああ、そうだけど」
スミスは少し考え込むと。
「申し訳ありません。陛下……私としたことが、その徽章の留め具の強度を見誤っておりました」
「強度? どういうことだい?」
「式典用と考え、あまり大きく動くことを想定しておりませんでした」
「ああ、確かに。かなり重量感があるからね」
「まだダンスまでお時間があります。少し、別室にて手直しさせてはいただけないでしょうか?」
「ああ、そうか。君がいつも仕事道具を持ち歩いているのも」
「すぐにお直しいたします」
レイモンドは胸の徽章を外すとスミスに手渡した。
執事に促されて大きな背中が会場を後にする。
陛下はぽっかりスペースが空いた胸元に視線を落とした。なんともいえない顔ね。
「あら、寂しいんですか陛下?」
「寂しいというより肩の荷が下りた感じがするよ。僕にはあの宝石も徽章も重くてね」
「肩が凝ってしまいますね」
「物理的な重さだけじゃないんだ」
「わかっています。お母様の形見ですし」
「あれを付けて踊るのは今夜が最初で最後になるだろうね。大事にしまっておくよ」
青年は眉尻を下げて笑う。
「あら、もったいない。宝石は見られてこそ価値が磨かれるなんて言葉もありますのに」
「実はね……怖かったんだ」
「怖い? ですって?」
「皆が僕を見る目が変わったというか、まるで心臓を射貫くよう狙い澄ましたみたいな眼差しだったよ。特に……ジョエル伯爵からは鬼気迫るものすら感じたんだ」
冗談っぽく彼は言う。けど、結構本心な気がした。目が笑ってない。
国王として人の上に立ち、人の前で言葉を発するようになったレイモンド。
置かれた立場によって、彼も王の原石から磨かれていったわけだけど。
注目を集めるのにも馴れているレイモンドが、怯えてしまうなんて……。
青い宝石の魔性だったのかも。
「大丈夫ですよ陛下。元々あまり着飾っていなかったから、不慣れなだけです」
「そうかな。だと……いいんだけど。いや、弱気は良くないねキッテ。君の言う通りだ。王たるもの堂々とあれ! だ」
元気になってくれたみたい。よかった。
ほどなくして――
留め具の補強を終えたスミスが戻ると、再び陛下の胸に青い宝石が輝いた。
「さあ、今夜は踊ろうキッテ」
「お手柔らかにお願いしますね」
夜会では主催者として来賓をもてなすことが多かったけど、今日の主役は彼だもの。
たっぷりお相手してあげないとね。
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ダンスの間、徽章がぽろっと取れてしまうようなこともなく無事、踊りきる。
緊張してたのか、ダンスを終えるとレイモンドは二杯もワインを飲み干した。
よく冷えた白ワインが、まるで水代わりだ。
ほどなくしてレイモンドは「少し飲み過ぎたみたいだ」と、席を立った。
そして――
彼の帰りが遅いなと私が思い始めた頃。
衛兵が会場に飛んでくる。勢い余って足をもつれさせて、私の前まで転がった。
がばっと顔を上げると。
「た、大変です王妃様! 陛下が! 陛下がッ!!」
「落ち着きなさい。何があったのかしら?」
「陛下がトイレで……た、倒れられていて!」
えっ!? レイモンドは無事なの!?
「陛下は無事ですよね?」
「すぐに救護の者を手配しました。お命に別状は無いようですが、まだ意識が戻らず……」
「意識が……戻らないですって?」
「それに……その……胸の……陛下の胸の徽章が消えていたのです!!」
とんでもないことが起こってしまった。
ブルーダイヤ徽章が消えたとなれば、事故ではなくて事件なのだもの。




