33.グルメ対決は先に動いた方が負けると相場が決まっているそうですね
レイモンドに「夜会の余興を考えたのですけど」と相談したら、彼ってば目をまん丸くした。
お茶会やガーデンパーティーに夜会といったことは、主に義妹のアリアが取り仕切っている。
彼女も二つ返事で「協力いたしますわ! お義姉様!」と、発案者の私よりもやる気を見せた。
こうして――
夜会に集う貴族たちに募った。
サンドイッチ選手権。具材もパンも自由で、誰が一番美味しいサンドイッチを提案できるかというもの。
予想外だったんだけど、私が余興なんて言い出すのが珍しかったのか、手を上げる貴族たちは多かった。
中にはもちろん、グルマン伯爵も含まれていた。
で、今夜は当日、本番。
参加者は下準備を終えて調理はそれぞれのお抱え料理人が、直前に王宮のキッチンで仕上げた。
パーティー料理として色とりどりのサンドイッチが並ぶ。
バゲットを薄切りにした上にハムやチーズをのせたオープンサンドや、柔らかい白パンを使ったロールサンド。
薄焼きの生地で具材を包んだものや、クロワッサンにクリームと果物を挟んだデザートみたいなものまでずらり。
鯖のサンドイッチや、長いパンにソーセージを一本ドンッと挟んだものまで。
審査は出品していない貴族たちの中からくじ引きで決められた。
誰もが注目したのはグルマン伯爵のサンドイッチだった。
チーズサンド。使われているのは固そうな丸パンで、断面には大きな気泡があった。
パンの外側にバターをたっぷり塗って、チーズを挟んだものを焼いたみたい。
意外にシンプル。
グルマン伯爵は誇らしげに言う。
「サンドイッチは自由に好きな具材を挟むもの……だが! 今宵は料理としてのまとまりを味わってもらいたい。吾輩が用意したのはただのチーズサンドにあらず。厳選した小麦粉と酵母によって生み出された酸味のあるパンに、三種のチーズを挟み込んだものだ。コクとうま味とフルーティーさ。クルミやアーモンドのようなナッツを思わせる芳醇さ。バターで焼き上げることですべてが渾然一体となる。美しき重奏をお楽しみあれ」
彼の演説に拍手が巻き起こった。
他の参加者のサンドイッチも、どれも美味しそうだし凝りに凝ったものばかりだけど、さすが美食に人生を捧げているだけあるわね。
審査員たちが先に試食を始めると――
「おお! やはりというかさすがというべきか……チーズサンドは素晴らしい」
「これこそ美食ですわねぇ。鯖だのソーセージだのやぼったい」
「華美にして豪華絢爛なサンドイッチは素人考えならいくらでも考えつきましょう。ですがこのチーズサンドは素晴らしい。芸術だ」
「パンの酸味よ! このパンが決定的に違うんだわ! チーズとバターで重くなるところを酸味がまとめてくれているのよ!」
「気泡の大きいところにたっぷりチーズやバターが染みこんでぇ……至福とはまさにこのこと!」
審査員たちは大絶賛ね。それからも他のサンドイッチの試食は進んだけど、最初にグルマン伯爵のチーズサンドを口にしてしまって、見劣りしちゃったみたい。
主賓席で私の隣からじっとレオナルドが視線を浴びせてくる。
「なんだか……お腹が空いてきてしまったよキッテ」
「噂に違わなかったですね、グルマン伯爵」
「大丈夫なのかな? 君の……ええと、推しのサンドイッチは?」
「宮廷料理長に鍛えてもらってるから、大丈夫です」
グルマン伯爵のことだから、高級食材で素材の暴力的なサンドイッチを用意するかと思ったのに……。
かぶっちゃったわね。シンプルな素材の良さで勝負するロゼッタのサンドイッチと。
ほぼ一巡を終えた審査員たちが、最後の出品テーブルにやってくる。
シンプルな三角型のサンドイッチに、一同首を傾げた。
「はて、なんでしょうな。挟まっているのは黄色い……タルタルソースでしょうか?」
「食べるまでもないですな」
「もうちょっと華やかさとかボリューム感とかないと」
「同じシンプルでも鯖やソーセージのような見た目のインパクトすらありませんのね」
勝ち誇ったグルマン伯爵が両手を叩いてやってきた。
「ハッハッハ! どこの御仁かな? 余興とはいえもう少し、真面目にやってもらいたいものだ。タルタルソースを挟んだだけとは。フライドフィッシュやチキンも無しなんてね? みなさんお腹がはち切れてしまうでしょうし、食べる価値無しでよろしいでしょう」
勝手に仕切るんじゃないわよ。
私は主賓席から立ち上がった。
「審査の公平を期すために、一口でいいから食べて採点をしてください」
グルマン伯爵が首を傾げた。
「これはこれは王妃様。お言葉ですが、このようなみすぼらしいサンドイッチが夜会に紛れ込むとは何かの手違いではありませんかな?」
「いいえ。ちゃんと手続きのされた出品です」
「まったく。宮廷の美食の権威を落としかねない……ああ、なんということでしょう。吾輩の優勝は揺るぎませんが、このようなサンドイッチが紛れ込むとは頭が痛い」
確かに今夜並んだどのサンドイッチもインパクトがあったり、美味しそうなのが一目でわかったり、普通じゃない形で楽しませようとしてくれていた。
至ってシンプル。これに並ぶのはもしかしたら、キュウリサンドくらいかも。
よ、弱気はダメね。
「さあ、審査員の皆様、最後まで公平なジャッジをお願いしますね」
主催者の言葉に紳士淑女たちがしぶしぶ、サンドイッチを手に取った。
「じゃあ、一口だけ……」
マダムが食べると……。
「――ッ!?」
そこからは声も上げずに、ぺろりと食べきってしまった。
審査員たちの顔つきが変わる。
次々、正体不明のサンドイッチを口に運ぶと、あっという間に全員の手の中からサンドイッチが消えてしまった。
「これは……今まで……食べたことがない」
「クリーミーでふわふわねぇ。まるで雲を食べているみたい」
「このタルタルソースらしきもの……タマゴか!?」
「何かで和えてあるな。チーズ……いやタマゴの邪魔にならない……なんだ……これは!?」
「なんてものを食わせてくれたんだ。これじゃあもう他のサンドイッチが食べられないじゃないか!!」
最後の一人は涙をこぼした。
グルマン伯爵から余裕の笑みが消えた。
「な、なんですと? このような貧相なサンドイッチに……ま、惑わされてはなりませんぞ。見れば具材はゆで卵を崩しただけのものではありませんか!?」
審査員の紳士が首をゆっくり左右に振る。
「伯爵! 貴男ならこのサンドイッチの謎が解けるはずです!」
「ぐぬぬ……まさか……まさかまさかまさか!? 吾輩が用意したチーズサンドより美味いなどということは……」
会場が騒然となった。来賓たちの注目はグルマン伯爵渾身のチーズサンドから、完全に謎のタマゴ入りサンドイッチに移っている。
レイモンドが立ち上がった。
「では、審査結果をお訊きしましょう。審査員の皆さん。今宵の品評会、優勝はどのサンドイッチでしたか?」
審査員たちは全員が、タマゴのサンドイッチを指さした。
グルマン伯爵が頭を抱えて吠える。
「バカな! あり得ぬ! あり得ぬことだ! 吾輩のチーズサンドが敗北するなど考えられぬ!! こ、このバカ舌どもめ!」
審査員たちを掻き分けて伯爵はタマゴサンドを手に取った。
白いふかふかの生地の弾力。きめの細かいクラムに伯爵がブルリと震える。
「な、なんだ……このパンは……い、いや、柔らかいだけではなぁッ!!」
頬張る。咀嚼する。味わう。飲み下す。
伯爵は……膝をついた。
「う、う、う、嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だバカなあり得ない! なんだこのサンドイッチは!? タマゴをまとめているのは……タマゴベースのソース……マヨネーズか!?」
ご明察。産みたてのタマゴで作った特製マヨネーズでゆで卵を和えて味を調えたものを挟んだのだけど。
伯爵は生まれたての子鹿みたいにプルプルしながら立ち上がった。
「パンだ……このパンの魅力を最大限に引き出すようにフィリングが調整されている。だ、だが! 吾輩のチーズサンドは酸味のあるパンと濃厚なチーズのマリアージュをしている! パンとて……た、たいしたものではない! ただ柔らかいだけの軟弱なパンだ!」
レイモンドが「まあ落ち着いてください伯爵」となだめた。
「陛下! 料理としての完成度は吾輩のチーズサンドが上です!」
「では、審査の間、お預けをくらって皆さん我慢の限界でしょう。ここからは試食会としましょう」
陛下の一言で、来賓たちがチーズサンドとタマゴサンドのテーブルに殺到した。
ここまでグルマン伯爵が大立ち回りをしたら、誰だって急ぎ足になってしまうわね。
二つを食べ比べると、すぐに明暗がくっきり分かれた。
「チーズサンドはどっしりしてるけど……ちょっと冷めて固くなってしまったかも」
「焼きたてならもっと美味しいんじゃないかしら?」
「タマゴサンドはずっと柔らかくて、まるで赤子の頬のようだ」
「パーティーの席で出される軽食として考えると……これは勝負ありですな」
客人たちの正直な反応にグルマンは頭を抱えた。
「バカなあああああああああああああああああ!!」
焼きたては最高に美味しいのでしょうけど、冷めて固まったチーズには人を虜にする力は無かったみたい。
あっという間にタマゴサンドはトレーからすべて姿を消した。
よろよろになったグルマン伯爵が主賓席前までやってくる。
「これはその……間違いだ……もう一度、チャンスをください陛下! 王妃様!」
レイモンドが困り顔になった。
「もう一度と言われても、余興ではないですかグルマン伯」
「吾輩の名誉は傷つけられたのです! これは決闘に他なりません! どうか再戦の機会を!」
陛下ったら私の方を向いて「どうしようか?」ですって。
今回の主催はあくまで私だし。しょうがないわね。
自然と氷の微笑が浮かんでしまった。
「グルマン伯爵。再戦なさりたいと? 勝ち目はあるのかしら?」
「無論ですとも王妃様! 近々、良い職人を店ごと買い取ることができそうなのです! もしあの娘さえ手に入れば、このような柔らかいだけが取り柄の、軟弱なパンには負けませぬ!」
悔しげに握った拳を震えさせる伯爵。
今の言葉、致命的ね。
「あら、店ごと買収だなんて」
「所詮は庶民の吹けば飛ぶような小さな店です。すぐに手に入れて必ずやリベンジを……いや待て、そもそもあのタマゴサンドは誰が出品したのですか!?」
「うふふ。隠していてごめんなさい。私がお願いしたの。ほら、名前を出すとみんな公平な目では見られないでしょ。忖度無しで、味わってほしかったから」
「な、ななな……」
私は給仕係に視線で合図を送った。
「では、本日優勝したサンドイッチを作った職人を紹介しますわね。拍手で迎えてあげてください」
会場の扉が開き、大きな銀のトレーをなんとか抱えて、エプロンにコック帽姿の少女が会場入りする。
万雷の拍手に迎え入れられたロゼッタ。トレーには人気すぎて一瞬で消えてしまったタマゴサンドの追加分がずらりと並んでいた。
二十人前くらいあるのを一人で運ぶなんて、小柄なのにロゼッタって力持ちなのね。
思えば小麦粉も重たいし、粉を練るのも力仕事か。
少女が声を上げる。
「お、おま、お待たせいたしましたー! ドラゴン焼きたてパン工房のロゼッタ特製! タマゴサンドのお代わりになりますー!」
給仕係に手伝ってもらって、テーブルに次々とタマゴサンドのトレーが運び込まれる。
来客たちはその味をじっくりと楽しみ、中には感動のあまりロゼッタに握手を求める者までいた。
是非出資したいとか、専属契約したいとか。ロゼッタは断るので手一杯ね。
レイモンドもタマゴサンドを一口食べる。
「こ、これは……すごいよ! キッテ! 君が作るように教えたのかい?」
「いいえ。私はただ、悩みを聞いてあげただけに過ぎませんわ」
そして――
打ちひしがれるグルマン伯爵に私は質問した。
「ところで再戦の日取りはいつがよろしいかしら?」
「ひいっ! そ、それはその……日を改めて」
「ところでグルマン伯爵。ボーリ商会は御存知かしら?」
「なっ!? なぜその名をッ!?」
言ってから慌てて伯爵は口を手で覆った。
「先日、匿名の情報提供がありまして、極秘に騎士団長ギルバート配下の者がボーリ商会の不正を押さえたそうです」
「し、知らない! 吾輩は無関係だ!!」
「今日はロゼッタにとって栄誉の日ですから、大人しくなさった方がよろしいんじゃないかしら」
後日、きっちり調べ上げて、グルマン伯爵がボーリ商会を動かし理不尽な方法でロゼッタのベーカリーを買収しようとしていたことを、私は公表した。
伯爵に致命的な罰則を与えるまではいかなかったけど、たっぷりの賠償金をロゼッタに払わせることに成功。
パンの質が落ちたことについても、ボーリ商会とグルマン伯爵の陰謀だったことを王都中に宣伝して、ドラゴン焼きたてパン工房の名誉を無事、回復できた。
もちろんボーリ商会もペナルティね。主犯はロゼッタの担当者ということにしたかったみたいだけど、現在の会頭は引責辞任。証拠はきっちり揃ってるし。
以来、美食家伯爵の名は地に落ちて、誰も彼が主催する夜会には行かず、彼もまた誰の夜会にも行くことができず。自慢のグルメな知識をひけらかす場所を失ってしまいましたとさ。
っと、借りてきた猫より大人しくなったグルマン伯爵は、ビクビク怯えるように退室。
素晴らしい職人と称賛されまくったロゼッタが、やっと一段落ついて主賓席までやってきた。
「こ、こ、この度は、あ、ああありがとうございます陛下! 王妃様!」
レイモンドはニッコリ目を細めた。
「とても美味しいサンドイッチでした。これからも王都の皆を喜ばせる良い仕事に励んでください」
「は、はい! あ、あの……なにかお礼ができればと思うんですけど……」
私は小さく頷くと。
「じゃあ、もし貴女のベーカリーにお腹を空かせていそうな青い小鳥がやってきたら、パンを少しだけ分けてあげてくれるかしら?」
「え、ええ!? あ、はい! わかりました!」
一瞬、戸惑ったけどロゼッタはすぐに笑顔になった。
そういえば彼女、私がルリハたちとお喋りできるって思い込んでるんだっけ。
事実だけど。
・
・
・
色々落ち着いたあと――
ロゼッタのドラゴン焼きたてパン工房に新作が並んだ。
鳥の形を模したパンで、中には木イチゴ系のベリージャムが入っていた。
ジャムは甘酸っぱくて、タマゴサンドと並んでベーカリーの人気商品になるのでした。




