32.三度目の訪問ですべてを確信できました
三度目の来店。看板は閉店中。だけど、確認したいことがある。
扉に鍵は掛かっていなかった。
中に入る。がらんとしていた。焼けた小麦色で埋め尽くされていた空間が嘘みたいに、お店にパンが一つも無いことに驚く。
店主のロゼッタは私を見るなり。
「王妃様! あの白い粉が欲しいです! たまらないんです! もう我慢できません!」
「ちょ、ちょっと落ち着いてロゼッタ。いったいどうしてしまったの? お店のパンは?」
「焼いてません。もう王妃様から頂いた粉じゃないと、わたしダメになってしまいました!」
取り乱しように彼女は私に泣きついた。
ああ、やっぱりそうなのね。
「気づいたみたいねロゼッタ」
「うう、小麦粉が変だったんです。ボーリ商会さん、ずっと納品する粉を間違えてたのかも」
「間違えていた……ね」
悪意があったかも……なんて、思いもしないのね。良い子すぎて心配になる。
少女はパッと私の身体を解放すると。
「今朝焼いたパン、食べてみてください!」
一旦店の奥に引っ込んで、すぐに彼女はバゲットを持ってきた。カットして私に渡す。
「そうね、せっかくだからいただくわ」
見た目こそ先日のそれと大きくは違わないけど、手にした瞬間、小麦の香ばしさがふわっと鼻孔を抜けていった。
全然違う。端をちぎる。しっかりと厚みのある皮と、大きな気泡をたっぷり含んだ白いクラム部分はもっちもち。指でぎゅっと押さえても、ものすごい弾力で押し返して元通りになった。
一口含めば……脳天まで小麦の香ばしさが突き抜けて……なに、これ……ちょっと……本当に……今まで食べた中でも一番美味しいバゲットかも。
ほのかに甘みすら感じる。なにもなくても、これだけで食べ続けられちゃいそう。
もう、この前のバゲットとこれじゃあ天と地ほども違うじゃない。
どうして焼いている本人が一番に「小麦の違い」に気づけないのよ。
少女は緊張の面持ちだ。
「ど、どどどど、どうですか王妃様?」
「最高に美味しいわ。行列が出来るのも納得ね」
「あ、ああああ、ありがとうございますー!」
ロゼッタは顔をくしゃっとさせて大粒の涙をぽろぽろこぼした。
ずっと苦しんでいたのね。なにせ父親から受け継いだ通りに、言いつけを守ってパンを焼いていたのに、いきなりダメになってしまったのだもの。
「けど、どうして小麦粉を疑わなかったのかしら?」
「そ、それは……それもパパとの約束で……」
「ボーリ商会でしたっけ?」
コクコクと二回、彼女は頷いた。
彼女の父親を信頼していた。父親が信じたボーリ商会も疑うわけにはいかなかったのかも。
これは呪い……よね。
だから味が落ちたことを認められなかった。一度だけ、それでも粉の配合をボーリ商会に確認しようとしたけど――
相手は突っぱねた。ボーリ商会は、先代店主の信頼に裏切りで返したのね。
少女の涙をハンカチで拭ってあげた。
「あ、ありがとうござびばず」
鼻声だ。
「ボーリ商会から届いた小麦粉は残っているかしら?」
「は、はい、倉庫に」
「まだ廃棄はしていないのね」
調べれば小麦の質が落とされていたことの、決定的な証拠になるわね。
「け、けど……あの小麦粉じゃ……パンは……だから王妃様の粉が……あの粉が欲しいんです! あと三回焼けば、王妃様の小麦粉の声が聞けそうですから!」
「小麦粉の声……ですって?」
「はい。まだ未完成なんです。もうちょっとで掴めそうなんです!」
嘘……よね。彼女が焼いた今日のバゲットが未完成だなんて。
それに声というのも気になった。
「わ、わかったわ。落ち着いて。あの、ところでロゼッタさんは小麦粉とお話しできるのかしら?」
「へ、変ですよね。私も変だなって思ってたんですけど、王妃様の粉はちゃんと自分を語ってくれたんです。一ヶ月ぶりに小麦粉とお話しできたんです!」
「じゃあ、この一ヶ月の間は?」
「ぜんぜん声が聞こえなくて……私、スランプなんだって思って……」
ルリハの声が聞こえる私が言うことじゃないけど。
この子、ちょっと……ううん、かなり変わってるのかも。天才画家のクイルも変人だったけど、その道を究めようとすると普通じゃなくなってしまうのかしら?
逆に、普通じゃないから極められる? ともかく。
ロゼッタは小麦粉の声に導かれてパンを焼く。
一ヶ月前から声が聞こえなくなった。
恐らく小麦粉が低品質なものにすり替えられてしまったから。
それに気づけないのは、たぶんロゼッタが嗅覚よりも、声を重視してパンを焼いていたから。
声が聞こえないまま、それでも焼いていくしかなかったから、お店がピンチになってしまったのね。
「ねえロゼッタ。少しだけお店をお休みしてみない?」
「だ、だめです! お金……なくなっちゃいます。お店、取られちゃいます!」
「誰に?」
「えっと……ボーリ商会に……そのあと競売にかけられるって商会の人が言ってました……けど、そうなっちゃってもお店ごと、わたしも職人として買い取ってくれそうな貴族様がいるって……だからパンは今まで通り焼いていいって……」
いったいどこの美食家伯爵かしらね。
全部繋がったわ。
一ヶ月半前に、豪快に振られた腹いせ、仕返し、そんなところかしら。
ロゼッタの技術と店の権利を手に入れるため、グルマン伯爵がボーリ商会に圧力をかけるなり、ひいきにするなり働きかけた。
ボーリ商会はドラゴン焼きたてパン工房に納入する小麦粉を少しずつ粗悪品にすり替え。
ロゼッタは上手く焼けずにお店の人気もダウン。急に客が去っていったのは薄情にも思うけど、彼女の未完成なバゲットを食べたら、客足が遠のくのも無理ないかも。
完成版はさらに美味しいのでしょうし。
こうしてベーカリーを追い詰めて、店の権利ごとロゼッタを買いたたく。
それがグルマン伯爵の計画なのね。
証拠は無いけれど。普通なら、ここでおしまい。
「今日から少しの間、ロゼッタには王宮のキッチンでパンを焼いてもらいたいの。お店をお休みしている間のお金は、私が払うから。いいかしら?」
「え、えええええッ!?」
「ほら、行きましょう」
彼女の手を引いて店の外に連れ出した。
町の狭い空の上から、青い小鳥が一羽、私の肩にとまる。
半分食べたバゲットの一切れを、ちぎってその小鳥に与えると。
青い小鳥は私の肩の上で喜びの舞いを披露した。
「わあ! 王妃様! この子、わたしのパンを食べて喜んでくれてます! 青くて綺麗ですよね! 最近はあんまり来てくれなかったんですけど」
ああ、やっぱり。常連だったのよね、パン好きなルリハは。
私はロゼッタに頷いて微笑みかけた。
「ええ、とっても美味しいって」
「まるで小鳥さんとお話ししてるみたいですね!」
「あ、ええと……ほら、喜んでるみたいだし、そう言ってるんじゃないかなって思ったのよ」
危ない危ない。感づかれちゃうところだったわ。
私はロゼッタにお願いして、お店の倉庫を開けてもらった。護衛にボーリ商会から送られた小麦粉の大袋を一つ、回収してもらう。
さて、反撃開始ね。
ロゼッタはそわそわしっぱなしだ。
「あの、えっと……あの」
「ボーリ商会とは縁を切りましょう。王室御用達の商会を紹介するわ」
「それってダジャレですか王妃様?」
「ち、違うの。偶然よ」
「王妃様って思っていたより、ずっと親しみやすい方だったんですね。氷の女王みたいな噂を聞いたことがあるのに、とってもとってもお優しいし、おもしろいです! はう! す、すみませんおもしろいだなんて!」
「いいわよ。気にしなくても」
自分でも少し抜けているところがあるって、自覚はあるもの。
ロゼッタは困り顔だ。
「でも、いいんですか? 高いですよね……良い小麦って」
「そうね。だから一緒に、貴女のオリジナルの配合を探しましょう。ボーリ商会に頼んでいたのと価格は据え置きで、町の人たちも手が届く小麦粉にしましょうね」
「わ、わ、わたしなんかのためにッ!?」
「ロゼッタのバゲットに感動したからなのはもちろんだけど、貴女の焼く美味しいパンを待つみんなのためでもあるんだから」
それを強引で卑怯なやり方で独り占めし、自分の功績にして装飾品として着飾ろうとする悪徳貴族には、きちんと罰を受けてもらわないと。
あくまでまだ、疑わしいだけだけど。証拠が無いなら見つければいい。
普通なら曝かれない陰謀も嘘も闇も、ルリハたちなら明らかにできるのだから。




