31.見えてきたわね陰謀の背中が
私は小さなバスケットを片手に、今日もその店にやってきた。
「こんにちは。可愛いパン屋さん」
「わ、わあ!? 王妃様!?」
今日も小さなベーカリーに、他の客はいなかった。
「い、いかがでしたか? あの……パンは……」
可哀想だけど、正直に話す。
「噂ほど美味しくは無かったの」
「そ、そう……ですよね。王宮のパンに比べたら……」
少なくとも――
パン好きなルリハが言うには「確かに王宮で焼かれるパンの美味しさも種類も王国どころか、隣国一ッス。けど、バゲットだけはドラゴン焼きたてパン工房が最強ッスよキッテ様!」って。
ルリハは悪戯好きだけど、嘘をついているようには思えない。
「一ヶ月前からなのよね。お客さんが来なくなったの」
「は、はい」
「自分のパン、食べてるわよね」
「パパのパンには全然、届かなくて」
理想が高すぎて自分の現在地が定まってないって感じね。たぶん、一ヶ月前のパンは今の彼女のパンよりも全然美味しかったんだと思う。
パン好きのルリハはこうも語った。「代替わりしたら味が変わるもんだけど、ロゼッタちゃんはマジがんばってるッスよ! パパさん越えるかも」だそうな。
そんなルリハが「最近、推しのベーカリーがおかしくなったッス」と、私に相談したのがそもそものきっかけだ。
店主ロゼッタはしょんぼり視線を落とした。
「今までがむしゃらにやってきました。子供の頃からパパのおっきな背中を追いかけて、パンを作るのが大好きになって、みんなが食べて美味しいって喜んでくれて……もう、お手本にできるパパはいないけど……教えてもらったことを守って……うう」
少女はポロポロと涙を落とす。
そっとハンカチでぬぐってあげた。
「お、王妃様! そんな……も、ももももったいないです!」
「いいから。誰にだって泣きたくなる日はあるわ」
ロゼッタを抱きしめる。彼女は少しの間、私の胸で泣いた。
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落ち着いた彼女は少しだけ気持ちが楽になったみたい。
「ありがとうございます王妃様。こんな私なんかに。パンしか焼けない……取り柄もないのに」
「そんな言い方をしないの。一つでもできることがあるなら立派じゃない?」
私だって王妃にはなったけど、人の話を聞くのが得意……って、これを特技にしちゃっていいか謎なのだけど、ともかく自分一人ではなにもできなかった。
ルリハやレイモンド。王宮の人々。王国の民がいて、自分が成り立っている。
「うう、その取り柄まで……スランプで……もうダメなんだお店も売るしかないんだぁ……うわぁああああん」
また泣き出しちゃった。
って、お店を売る? ですって。
「資金繰りの問題かしら?」
「パパの残してくれたお金と、これまでの貯金でなんとかしてきましたけど……廃棄が多すぎて……」
「パンの原価率は?」
「ゲンカリツってなんですか?」
え? そういうことはお父様から教わってなかったの?
「仕入れはどうしているのかしら?」
「パパのお友達のボーリ商会に全部まるっとお任せしてます」
先代からのお付き合いか。一応、ボーリ商会について、少し調べてもいいかも。
「一ヶ月前まではパンは売れていたのよね? その前後くらいにボーリ商会とトラブルは?」
「トラブルというほどじゃないかもですけど、一度、小麦粉の配合を変えたいってお願いしたら『先代のレシピを変えるなんてとんでもない』って。他の小麦粉を手配しようとしても、契約がどうとかで……」
ちょっと怪しいわね。
「他に気になったことは?」
「特にはないですけど……あっ……」
少女は言いにくそうにしている。
「なんでもいいから、気がついたことがあるなら教えてちょうだい」
「え、ええと……商会じゃないんですけど……トラブルというと……グルマン伯爵様が……来店されたんです。一ヶ月半くらい前に」
「グルマン伯爵……か」
美食家で有名な伯爵の名前が出た。旅行好きで他国にも自ら足を運んで、美味しいものを食べて評論するのが生きがいみたいな男性だ。
他のことはなんでも他人任せだけど、食事は誰かに代わってもらえないからと、現地に赴くのがモットーだとか。
行動力もあいまって、夜会ではグルメな貴族たちに一目置かれているのよね。彼の話を聞くだけで素晴らしい料理を味わったような気がしてくるなんて噂もある。
王宮主催のパーティー料理にケチを付けるから、あまり良い印象はないけれど。
この前もレイモンドに「王家の料理番は保守的すぎます! いかがでしょうか陛下? 当家の料理人を料理長に据えてみては? 吾輩が退屈な食事に新しい風を吹き込んでごらんにいれましょう!」ですって。
レイモンドは「お気持ちは嬉しいが伝統を受け継ぎ守るのも王家の使命ですから」と、丁重にお断りした。
王国を守った英雄王になってからというもの、レイモンドの影響力はすっかり強固。先代から国をかすめ取ったなんていう連中もすっかりなりを潜めて、逆に取り入ろうとする貴族たちが一気に増えたのよね。
グルマン伯爵もその中の一人だ。
小さな店主が私の顔をじっと見上げた。
「あ、あの、あの……わたし、良くないことを言ってしまいましたか!? しまいましたよね!? ああ! 伯爵様だとわかっていながら、あんなことを言ってしまいましたから」
あんなこと? 気になるわね。詳しく聞くためにも。
「落ち着いて。グルマン伯爵と、何があったか詳しく教えてちょうだい。包み隠さず、思ったことを言っていいから」
「け、けど……伯爵様ですし……」
「私はもっと偉い王妃様よ! さあ! 言って!」
「は、はいいいッ!?」
普段はしないけど、この時ばかりは強権発動。
たどたどしくなりつつも、ロゼッタは何があったかを語ってくれた。
グルマン伯爵がやってきたのは二回。
一度目は行列のお客さんを無視したみたい。
なんでも「上級貴族の吾輩を並ばせるつもりか! どけ! 愚民ども!」ですって。
町の人たちが怯えてしまったところで、ロゼッタは「空腹とパンの前ではみんな平等です! 買うなら列の最後尾についてください!」と、伯爵を追い返してしまった。
気弱な彼女らしくもない。また目に涙を溜めたロゼッタは。
「並んで待ってくれてるお客様を無視して割り込むから、カチンときちゃって。パパもそうやって、大商人でも貴族様でも追い返してましたし……」
「頑固な職人の血を貴女も受け継いでいるのね。けど、そんなことがあったのにグルマン伯爵はもう一度、来店したのよね?」
「はい……ええと、別の日に使いの者? に、並ばせてバゲットや他のパンを買って、食べたそうです」
「それで、どうなったのかしら?」
「グルマン伯爵のお抱えパン職人にならないか……って。伯爵のお屋敷にはうちの窯よりも大きなのがあるって。食材も使い放題で、新しいパンの開発もしていいって。お給金もすごかったです」
破格の条件でスカウトされちゃったのね。
つまり――
グルマン伯爵がやってきた一ヶ月半ほど前まで、ロゼッタの焼くパンは美食家を虜にするくらい素晴らしいものだった。
下を向く小さな店主に確認する。
「返事はしたのかしら?」
「お断りしました」
「どうして?」
「だってあの伯爵様……『これほどまでのパンを庶民に食わせるなどもったいない!』って。すごく……嫌で」
「そうね。私もそういう言い方、嫌いよ」
「このお店と味を守りたくて。町のみんなに美味しいパンを食べてもらいたいんです。すごいパンとか新しいパンとか、作ってみたかった気持ちもあるけど……」
ますます少女はしょんぼりしてしまった。
「それから少しして、スランプに陥っちゃったのね」
「はい……がんばってパパのバゲットの味を思いだそうとしてるんですけど、上手くいかなくて……湿度も温度も水の量も酵母も発酵具合も、全部調整したのに……」
なんとなくだけど、今回の事件の背景が見えてきた。
決めつけはよくないかもしれない。本当にロゼッタがスランプなのかもしれない。
だけど――
自分の誘いを断ったベーカリーをそのままにはできない。なんて、グルマン伯爵が考えるかもしれない。
私は手にしたバスケットから小麦粉の入った袋を取り出す。彼女のパンを食べて感じた小麦の風味の無さが、ずっと気になっていたから。
「お試しでいいから、この小麦粉でパンを焼いて自分で食べてみてくれないかしら?」
「え、ええ!?」
「王宮の夜会で振る舞われるパンに使われる上質なものよ」
「よ、よろしいんですか王妃様!?」
「もちろん」
「これで美味しく無かったら……もう終わりだああああ」
あら、プレッシャーかけちゃったかも。けど、もし美味しいパンが焼けたなら、色々とわかってきそう。
結局、二人で話している間も、店に他の客は姿を現さなかった。




