23.天より降り注ぐ神の声に導かれてくれましたわ
火事騒ぎの中――
「ボス! 見張りから馬に乗った連中が街道抜けて、こっちに来てるって! 帝国の連中早かったじゃねぇですか?」
「チッ……どうやら王妃はシロか。どうやら探知能力は国王か騎士団長あたりが持ってやがるようだ。もういいぞ撤退だ!」
「て、撤退!?」
「死にたくなけりゃ全員バラバラに逃げろ」
「王妃はどうするんで?」
「放っておけ」
誰かが来たみたい。
慌ただしく男たちが声を掛け合って、直後に馬の蹄の音。
賊はあっという間に蜘蛛の子を散らしていった? のかしら。
ああんもう。私を見逃すというのなら、せめて解放してくれてもいいじゃない。
そんな余裕もないって……こと?
ほどなくして――
「キッテ! ああッ! キッテ! どこにいるんだい……まさか、そんな……嫌だ! 君を失うだなんて!」
「陛下……」
納屋の前に立つ二人が別人に入れ替わる。
声には聞き覚えがあった。レイモンドと騎士団長ギルバートだ。
「君を守れないのは二度目だ。ああ、今度こそ取り返しがつかない。君をもっと抱きしめて……君を愛して……あげたかった。なのに……ごめん……君を愛すると誓ったのに。君がいない世界なんて……考えられないよ。君の笑顔に救われてきた。君の声を聞けるのが嬉しかった。王になる重圧も君という支えがあるから耐えられた。許して欲しいなんて言わない。こうなれば、僕も君と同じように地獄の業火に焼かれよう!」
「お待ちください陛下!」
「離せギルバート! 行かせてくれ彼女の元に!」
「落ち着いてください。大切な人質を誘拐犯たちがそのままにはしますまい。連中はちりぢりに逃げましたが、部下たちに追わせています」
「全員で追わせるんだギルバート」
「陛下の御身の安全を確保せねばなりません。護衛は残します。たとえ王命といえど」
「うう……必ず……独り残らず捕縛せよ。許せない! キッテを奪った連中を僕は許せないッ!! 全員……殺す」
い、いけない。このままだとレイモンドが闇に堕ちてしまう。
「もごごー! むぐぐー!」
忌々しい猿ぐつわ。ああ、気づいてレイモンド。貴男が愛する私はここにいますから! ちゃんと生きていますから!
それにしても、私の後追いをしようなんて。
温厚で人を傷つけることに怯えているような人なのに、誘拐犯を激しく憎む姿が……怖いけど、彼がそこまで口にするほど、私は愛されていたのね。
これからは心配を掛けないようにしないと。
じゃないの! ああもう! ここよ! すぐそばの納屋! 気づいて! 誰でもいいから!
「ピピピピ! ピッピ!」
不意に頭上から小鳥の鳴き声。
「――ッ!? か、神よ! キッテは生きているのですか!?」
「陛下……また幻聴を?」
「げ、幻聴などではない。誘拐犯のアジトを見つけられたのは神のおぼしめしだ」
「確かにそうですが……」
「キッテは……そこなのですね神よ!」
納屋の扉が勢いよく開いた。
燃える母屋の後光を背負って、涙で顔をぐしゃぐしゃにしたレイモンドが現れる。
「キッテ! キッテキッテキッテキッテ!! 生きていてくれたんだね! 良かった……本当に……良かった!!」
駆け寄ると彼は私を縛る縄を剣と一刀両断し、猿ぐつわを外すなり抱きしめた。
呼吸を整える間もなく……口づけ。
熱く、力強く。少し身体が痛くなるくらいの抱擁。息も出来ない。
少し、塩っぱい。
彼の涙の味が混ざったキスだった。
「も、もごご」
「あ、ああ、ごめん」
そっと顔を離す。けど、彼は私をぎゅうっと抱いたままだ。
「た、助けに来てくださったのですね。心配をおかけしました」
「良かった。本当に……もう君を離さない」
「あの、どうやって?」
「それが……」
今日、唐突に――
彼の行く先々で、目に見えない神の声が聞こえだしたという。
周囲の人間には聞こえていない。レイモンドだけが「キッテ様が誘拐されちゃったの!」という言葉を認識していた。
「か、変わった神様ですのね。私に敬称をつけてくださるなんて」
「ああ、だけど声の導きのおかげで、君が王立学院から密かに連れ出されたと知ったよ」
「声が聞こえる前に、何か変わったことはなかったですか?」
「そういえば……」
レイモンドの元に青い小鳥がやってきて、いきなり口に赤い木の実を突っ込んできたところから話は始まった。
とても酸っぱかったそうな。
ルリハね。前に一度、レイモンドは誤って秘密のサンザシを食べてしまったことがあった。
彼に青い小鳥たちは助けを求め、こうして間一髪、駆けつけてくれた。
私が指示しなくても、機転を利かせてくれるなんて……。
「さあ、城に戻ろう」
「はい……陛下」
ようやく安心したら、お腹が鳴った。
彼はおどおどしてしまっている。聞いた事を申し訳なさそうにして。別にいいのに。
「あっ……いや……その」
「お腹が空いてしまいましたわ。生きていればこそですね」
「そうだね……うん! そうだともキッテ!」
青年は突然私をお姫様抱っこした。
こうして囚われの姫は無事、救出されたのでした。
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王宮に戻ってからも一騒動。軽く食事を摂ると、すぐに玉座の間へ。
今回、私に付いていた護衛の三人について陛下は死罪を言い渡そうとした。
けど、憎む相手が違うと私がレイモンドを説得することになった。
油断していたというのなら、私だって同罪だもの。
三人の護衛兵士は涙ながらに謝罪し、私はそれを受け入れた。
王妃の椅子にかけて、陛下に目配せしながら護衛たちに告げる。
「ゆっくり休んでください。これから先、王国に困難が降りかかることもあるでしょう。それに備えるように。貴方たちの力が必ず必要になりますから」
「「「このたびは申し訳ございませんでしたッ!!」」」
私は別に気にしていないけど、減給降格で一兵卒からやり直しという処分に落ち着いた。
三人を下がらせると、すぐに臨時の会議になる。場所を円卓に移す。
といっても、まだ情報として不確定なので同席するのはグラハム大臣と騎士団長ギルバート、私とレイモンドの四人だ。
まず王族や要人への警備強化がギルバートからあげられた。
アリアへは観劇の回数を減らしてもらうこと。それに……私にも森の屋敷に行くことを控えるように……か。
屋敷でルリハたちの話を聞いて、情報を精査する方が王国全体の安全を守れるのだけど、今日のこともあるので「はい」としか返せない。
ただ、フードの男は王国の諜報能力について、私をシロと判定した。
状況的に偶然そうなっちゃったんだけど、私ってば誘拐されてからずっと、納屋に閉じ込められて身動きも声さえも封じられていたんだし。
他の人間が探知をしていると考えるのも無理はないか。
この四人になら打ち明けてしまった方がいいのかしら。
困ったわね。秘密を守ることが、王国を守ることにもなると思う。知る人間が増えれば増えるほど、秘密が秘密でなくなってしまう。
今はまだ……ダメ。ルリハたちも守らなければいけないわ。手遅れになってしまうかもしれない不安と、板挟みだけど。
とりあえず――
自分が見聞きした……というか、耳にしたことだけを伝えよう。
私は納屋に閉じ込められている間に漏れ聞いた、フードの男とその部下の会話について話す。
彼らは自分たちを「組織」と呼んだ。
王都で暗躍している犯罪に関わる人間たちという印象で、リーダーの男は犯罪者の元締めかもしれない。最近、王都警備兵が先回りしていることに気づいている。
彼らの目的は不明だけど、裏で黒い繋がりがありそう。
リーダーの口から出たのは東方の覇権国家ヴァルディア帝国と、先日、私が王立学院で糾弾した悪徳貴族エルドリッジ伯爵の家名。
今日、行われた王立学院の舞踏会に「組織」の人間を紛れ込ませたのもエルドリッジ伯爵で、目的はエルドリッジの家名に泥を塗り、息子のカスパーの立場を無くした私に対する復讐……かも?
レイモンドは「エルドリッジ伯爵が……許せない」と、直情的になってしまった。
落ち着かせないと。
「お待ちください陛下。確かにその名は実行犯の口から出ましたけれど、伯爵の関与を裏付ける証拠はまだありませんから」
「そ、そうか……だけど……いやしかし」
大臣グラハムがあごひげを撫でた。
「獅子身中の虫に加えてヴァルディア帝国とはやっかいですな。この二つが繋がっておることは、偽占い師シェオルの件で明白。抗議はしましたが向こうは当然知らぬ存ぜぬですしのぉ。ひとまず密偵の数を増やしておきましょう。とはいえ、言葉が違うので大人数とはいきませぬが……」
言葉の壁っていうのはあるわよね。優秀な密偵で、なおかつ東方語に堪能で潜り込んでも気づかれないとなると。
けど、確かルリハの何羽かが東方の言葉を覚えてたし、情報を集めてもらえるかも。
「それなら安心……あ、ええと……なんでもありません」
グラハムがじっと私の顔をのぞき込む。
「王妃様。何か帝国について、情報にお心当たりでもおありですかな?」
「い、いいえ。グラハム大臣の集めた優秀な人材が諜報に当たってくださるのであれば、安心して任せられると」
「もちろんですとも。しかし……なにやら王妃様には一計あるかのように思いまして」
一瞬、鋭い眼光になった大臣が怖い。私がしっかりしないと。うっかり口を滑らせるより、黙っていた方がいいかもしれない。
レイモンドが「大臣。今日、キッテは大変だったんだ」とたしなめた。
「これは失礼を。お許しください陛下、王妃様」
スッと大臣は引き下がる。優秀な人だからこそ、油断は禁物ね。
ひとまず王都の闇に隠れた「組織」の摘発と、与する悪徳貴族の調査を優先するということで、臨時会議はお開きになった。
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身を清めナイトドレスに着替えてベッドに倒れ込む。
はぁ……幸せ。今日は本当に生きた心地がしなかった。
私が急にいなくなって王立学院の舞踏会はどうなったかしら。
ミアさんが、ちゃんと踊れたならいいのだけど。不正にくじけそうになった彼女だけど、正当な評価を受けて最優秀課題賞も手にしたのだし、男の子たちも注目してくれてるわよね?
ああ、考えることや心配事で頭がパンパンね。ルリハたちのおかげで助けてもらっているけど、何も知らない方が気が楽だったわ。
だけど――
責任を持たないと。自覚も必要よ。ルリハたちの力を借りて、守るべきを守る。大臣も騎士団長も、他のことで手一杯でしょうし。
「ああ! キッテ……やっと二人きりになれたね」
「きゃっ! もう……いきなりどうしたんですか?」
覆い被さるようにレイモンドに抱きつかれた。
「君を失ったと思った時、目の前が真っ暗になったんだ」
「ご安心ください。私はここにいますから」
「ありがとうキッテ。生きていてくれて……」
レイモンドには頼れる人がいない。実の父親に退位を迫り王権を手にした時から、この人は不安にもがいても、自力でどうにかしていくしかなかった。
私がいなくなったら、本当にダメになってしまうかもしれない。
「ところで陛下は、どうやって私を見つけたんです?」
「あ、ああ。ちゃんと説明していなかったね。神の声に導かれたのさ。前に聖堂で祈りを捧げた時も、声は天から降ってきた。不思議なことに僕にしか聞こえていないようでね。ギルバートを説得するのに骨が折れたよ」
「あの、気を悪くなさらないでね。どこの誰ともわからない声を、どうして信じることができたのですか?」
「王立学院から君が消えたことを、護衛兵より先に教えてくれたんだ。それに君の居場所は赤く燃えているとも」
もしかして――
廃農場の母屋が燃えたのって、誘拐犯たちが起こした火事じゃないの?
一瞬、脳裏にルリハの一羽が思い浮かんだ。
天才画家クイルを家から連れ出す方法について、過激派がいたのである。
『家燃やしたら外出る』
放火班……かもしれない。諜報活動だけじゃなく……ルリハにそんなことができるなんて。
ちょっと、ちゃんと明日にもお話ししないと。王宮も寝室もまずいわね。
今のレイモンドには秘密のサンザシが効いてしまっているのだから。
「あ、あの陛下……明日なのですけど、朝一番にその……森の屋敷に行かねばならなくて」
「な、なんだって!?」
「お願いします。大事なことなのです」
ああもう、私ってば下手。切り出し方も何もかも。疑わしくて仕方ない。
けど、他に言い方が無いじゃない。
ただ、もうじっと「信じて」という気持ちで青年の青い瞳を見つめた。
「……わかったよキッテ。ただし……」
「な、なんでしょうか」
「警備は今までの倍にする。いいね」
「は、はい」
よかった。自分も一緒に行くなんて言い出すかと思って、ハラハラしちゃった。
私は「ありがとうございます」と、彼の胸に顔を埋めた。
疲れていたのか、すぐに意識が遠のいていった。




