11.まさか食べるなんて思っていませんでした
ある朝のこと――
目を覚ますとベッドの隣にレイモンドの姿が無い。身体を起こす。
彼は窓の前に立って朝陽を浴びていた。開かれた窓に風がそよいでカーテンを揺らす。
私に気づいて青年は振り返る。
顔が……すごく神妙。口をすぼめて眉間にしわを寄せていた。
どうしたのかしら?
「おはようございます、あなた」
「おはようキッテ。起こしてしまったかい?」
私はふるふると首を左右に振った。彼の表情は相変わらず険しいままだ。
「どうかなさいましたの?」
「実はね、すごく恥ずかしい話なんだけど、テラスに赤い実が一つだけ、ちょこんと置いてあったんだ」
彼の表情と赤い実が頭の中で繋がった。すごく、嫌な予感しかしない。
「あ、赤い実……ですか?」
「誰が運んできたのだろうね。もしかしたら小鳥かな。まるでおとぎ話のようだけど」
「その赤い実をどうなされたのです?」
「艶やかでとても美味しそうに見えたから、食べてみたんだ」
ああああああ。そうよね、そうなるわよね。顔に描いてあるとはまさにこのことだ。
レイモンドはあんまり冒険をしない人だと思っていたけど、好奇心旺盛な少年の心を持ったままの人だった。
これは、良くないことになったかもしれない。
赤い実は秘密のサンザシで、食べれば青い小鳥――ルリハたちの声が人の言葉として聞こえてしまう。
私とルリハたちの取り決めで、報告がある日は赤い実を城の寝室のテラスに置いてもらうようにしたけれど、まさか彼が食べてしまうなんて。
遠くで羽ばたく一団の幻聴を感じた。私はベッドから飛び出すと急いで窓を閉める。
「どうしたんだい急に?」
「ちょ、ちょっと風が冷たくて」
レイモンドが振り返った背後に降りたつ、青い集団。テラスにびっしり生い茂るルリハたち。まずい。彼に見られる!?
「日差しも強いのでカーテン閉めますね」
「寒いなら日差しはいいんじゃないかな?」
私は彼が窓側に振り向く前にカーテンを閉めた。
「窓を閉じて日差しを遮って、あ、貴男の腕に抱かれる……ちょうどいいのです」
思わず口走ると。
「そうか。うれしいな」
レイモンドは私を優しく包むように抱いてくれた。
温かい。とっても。
って、これじゃあ抱き合うのを見られるのが恥ずかしくて窓もカーテンも閉じたみたいじゃない!
ごめんねルリハたち。緊急事態なの。
窓とカーテン越しに外から。
「おはよー!」
「おはようございます~!」
「おはようさん」
「めざめよ! 刮目せよ!」
「「「「「あーけーてー!」」」」」
無数の声が合唱した。
レイモンドが私を解放すると背に庇う。
「下がっているんだキッテ。外に……誰かいる」
「い、いるわけないです陛下。警備も厳重ですし、寝室は城の上層階ですから」
「油断は禁物だ。この前、変態怪盗の騒ぎがあったばかりだし」
青年はカーテンを開いた。
ああ、見られた。終わりだ……。
窓の外には――
青い小鳥がテラスの手すりに一羽だけ、ちょこんと残っていた。異変を感じてみんな逃げてくれたのかしら?
陛下は首を傾げた。
「あれ? 誰もいないな」
残ったルリハがレイモンドの後ろに立つ私を見る。
私は両手をばたつかせた。自分の口元に指を立てて「しーっ」とすると。
ルリハがぴょんと跳ねた。
「なにやってるんッスか? 新しい踊り?」
青い小鳥が喋ると、途端にレイモンドが窓を開けてテラスに出た。
国王陛下はテラスを隅々まで確認し、なんなら屋根の上も見ると。
「誰も……いない!?」
ま、まずいかも。私がジェスチャーすると小鳥は真似して踊り出す。
こ、こうなったら。
「ピヨピーヨピーヨピヨ!」
レイモンドがこちらに振り返った。
「ど、どうしたんだいキッテ? 急に……ピヨ……なんだい?」
ああもう墓穴。墓穴しか掘ってない。
「あ、あはははは。小鳥さんとお話するなら、人間の言葉じゃなくてピヨピヨで話さないといけないかなと思って。ね? 小鳥さん? ピヨピヨよね?」
ルリハは丸いお目々をぱちくりさせると。
「ピヨピヨ!」
と、喋った。
レイモンドがほっと息を吐いて目を細める。
「君にはいつも驚かされてばかりだよ。小鳥さんとお喋りか。とてもロマンチックだね」
「は、恥ずかしいです陛下。おやめくださいまし」
耳まで熱くなるのを感じる。私はたぶん、顔真っ赤になってるだろう。
残ったルリハに「さあ行くピヨ! 仲間の元に戻るピヨよ?」と告げた。
「ピヨピヨ!」
ルリハはうんと頷いて、パタパタと青空に吸い込まれていった。
ふぅ……なんとかごまかせたかも。
青年がそっと窓を閉じる。
「いつか小鳥とお話しできるようになるといいね、キッテ」
「あ、あはははは」
もうできるし、なんなら貴男もできてるのよ。
どうにかしないと。
今日は森のお屋敷で緊急会議ね。
・
・
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馬車に揺られて森の屋敷へ。
二階の自室に戻ると窓を開いた。一斉にルリハたちが飛び込んでくる。
「ピヨピヨ!」
「ピピピピ!」
「ホーホケキョ!」
「クルッポー! クルッポー!」
「ポーポースポポー! ポーポースポポー!」
やだ、どうしようみんなの言葉がわからない。
「あ、あのね、みんなの声が鳥の鳴き声に聞こえるのだけど」
テーブルの上で一羽がぴょんと前に出た。
「当然だよキッテ様! 今日は鳥のモノマネをする日なんでしょ?」
少年っぽい口ぶりは、最初の子だ。
ホッと安堵した。今朝、私がピヨピヨ言うようにお願いしたら、こうなったみたい。
「みんなに聞いてほしいことがあるのだけど」
「「「「「なーにー?」」」」」
「実はね、合図で置いてもらった秘密のサンザシを、レイモンドがうっかり食べてしまったのよ」
「「「「「えーッ!?」」」」」
「今の彼はみんなの声を理解してしまうわ。だから、彼のそばでは小鳥の振りをしてほしいの。できるかしら?」
「「「「「わかったー!」」」」」
意思統一助かる。
「だからレイモンドの秘密のサンザシの効果がなくなるまでは、気をつけましょうね」
「「「「「はーい!」」」」」
みんな揃って尾羽をフリフリ。右の翼をパッとあげた。うん、かわいい。
「ところで、いつごろ切れるのかしら?」
最初の子がぴょんぴょんと私の腕をつたって肩に乗る。
「あのねあのねキッテ様! 秘密のサンザシの効果の持ちは人によるんだ!」
「そうなのね。じゃあ、しばらく様子見かも」
あまり長引かないことを今は祈るしかなさそうね。
赤い実を「森の屋敷に集合」の符丁にしたけど、別の合図も考えないといけないわね。