月の化身?手下?牧師様?あなたっていったい誰なの?
2人をお辞儀で見送った後、月の化身さんがくるりと私に振り返る。
「アニーミア、君の表情が冴えなくて、オレは心配なんだが?」
「あなたは、誰?」
「今朝会っただろ、教会の牧師。そして金曜の夜、君の部屋のバルコニーに現れた不埒な侵入者」
「ウソ」
「ウソと言われても仕方ない、オレはオレだ」
「お月様の化身じゃないの?」
「いや、化身とまではいかんだろ。月の使徒だからお月様の手下、神様である月にお伺いをたてたりお願い事を伝言したりする役」
「国教会の神様ってお月様?」
「そこからかよ」
月の手下さんは、右目を細めて訝し気に見つめるという、金曜日に見せたのとピッタリ同じ表情をした。
「シェパード様なの?」
「そうだ。祭礼は裏声だろ? これが地声。だからと言って全く気が付かんのも遺憾だな」
「だから初対面じゃないって言ったんだ」
「お前は告解が好きでしょっちゅういろいろくっちゃべってたじゃないか。大抵のことなら知ってるぞ?」
私はぼっと赤くなった。数年前、胸が大きくならないとか、ウェストがくびれないとかまで愚痴った気がする。
「あ、またお前って言った!」
「いいだろ、もう婚約者だ」
「私まだ同意してない! 説得するって言ったくせに。それにあなたが持ってきたのは黄色い薔薇よ。花言葉知ってるの?」
「知らないよ。うちの教会のシンボルフラワーが黄色い薔薇なんだ。お月様色だろ? で、裏庭にたくさん植えてある。お前が帰ってから、ご両親に会って正面突破で交際を申し込んでみようと思った。玉砕覚悟でね。綺麗に咲いている12本を自分で選んで棘を取ったんだぜ?」
「そんなこと言われたって、花言葉が『友情』『思いやり』『嫉妬』だよ?」
「オレは黄色い薔薇の香りが好きだがな。友情や思いやりだっていくらでも持ってるし、ギャニミードにはさんざん嫉妬したんだから当たってるだろう?」
シェパード様は急に自信を失ったみたいにうなだれた。
「なんだ、気に入って受け取ってくれたわけじゃないのか。今朝、告解室でオレに会いたいって言ってくれた気がしたんだが。今度フラれたらいくらオレでも立ち直れないぜ?」
「フラれたフラれたって、私がいつあなたを振ったのよ」
「オレはお月様の手下としてずうっとお前を見守ってるのに、気付こうともわかろうともしないじゃないか……」
「それはあなたの仕事でしょ? シェパード様だから」
「違うよ」
私たちの会話は、いつもとっても食い違う気がする。届けたい気持ちが少しも響いていかない。
あなたがどんな気持ちを抱えているのか、私は欠片も知らない。
金曜日の夜みたいに、もういいや、ってこの人に諦められてしまったら、わかり合えないうちにお互いが振られた気持ちになってしまったら?
私は急激に恐くなる。素直にならなきゃだめだ。虚勢を張っちゃダメ、花言葉なんてどうでもいい、この人が手ずから摘んで作ってくれた花束が嬉しくないはずがない。
「ごめんなさい。お花とっても嬉しかった。二度と会えないって昨夜泣いてたの。あなたのことを知りたい。だから、お願い、ちゃんと教えて……」
「もちろんだよ、オレの可愛い人。ここまできて諦めるわけないだろ? ゆっくり話すから聞いててくれ」
シェパード様の口元に微笑みが浮かんで私はホッと胸をなでおろす。
「聖職者として学園のプロムには毎年呼ばれるんだがいつもは行かない。今年はアニーミアの卒業だからわざわざ出かけた。そしたらギャニミードの芝居がかった婚約破棄に遭遇」
緊張をほぐすように肩を回しながら応接間を行き来して、言葉を繋ぐ。
あなたの言葉が聞きたい。
本当に好きで私を求めてくれているのか知りたい。
私があなたに抱きつきたいのと同じだけ、あなたも私を想っていてほしい。
「君の部屋のバルコニーまで心配で様子を見に来た。ホールで倒れただろう? お父上からも貧血気味だって聞いてたし」
俯いて窓の外に顔を向けて、また振り向いて。
「身体大丈夫そうならオレの気持ち伝えたいなって下心ももちろんあった」
「でも……あなたいなくなっちゃった。悲しいってフラれたって。私、振ってなんかない……」
そう呟いたら涙が出てきた。
「泣き虫だなあ。オレの前だけにしてくれよ? 泣く時はオレの胸で泣け」
近づいてきて両腕を開いたけれど、私が抱きつくのを待つだけで、自分から引き寄せようとはしなかった。
その代わりに私の髪に手を伸ばす。
「ずうっとずうっと好きだった。
着任早々、毎週月曜日に元気に教会に来て両親や友達と笑っている9歳ごろの君を見るのが楽しかった。貴族も民も、分け隔てなく仲良くしてた。
そのくせ告解室では、おっぱいが大きくならないとか相談されてドキドキだ。オレも若かったからな、そのギャップにオレは、早くからメロメロだった。
11歳も歳が離れてるんだ、聖職者としてずうっと見守ろうと誓っていた。でももう、黙っていられない。実家から結婚を勧められる高位貴族の令嬢たちとはかけ離れてる、素直で真摯なアニーミアが好きだ」
泣き笑いの後、私の涙腺は決壊した。
シェパード様はやっとやっと抱きしめてくれて、キスしてくれた。
ソファに抱き下ろされて、膝にのって首元に顔を埋める。
「あなたの名前は?」
「ササラエ・ソーシ・カプレーティ伯爵、月の使徒国教教会牧師長。ソーシと呼んでくれ」
「ソ、ソ、ソーシさま?」
ソーシはミドルネームでなくて、下の名前なの?
そう思ったらどっと緊張して噛んでしまった。
「さまは要らない。ソーシでいい」
鋭いと思っていたコバルトブルーの瞳の眦を下げて、喜びに浸るように微笑んでいる。
私は満月の眩しさに目がくらんだみたいに、ソーシの首元にまた顔を隠した。
「カプレーティ侯爵家の次男って言った?」
「そうだ。牧師長には伯爵の位階が与えられる」
「身分違いっぽい?」
「バカ」
あ、ソーシ、調子が戻ったみたい。
「シェパードはみんなのためにいる。身分など関係ない。お前もオレのとこに嫁に来たら、民どころか浮浪者とも関わらなきゃならなくなるぞ?」
「私が気にするとでも?」
ハハッと喉ぼとけが笑った。
「それで、月の形については理解できたのか?」
「わかんない。ジュリエットと私は間違ってるのよね? でも実際お月様は満ち欠けするもん」
「見かけだけな」
「え?」
「満ち欠けするのはただの外見、見かけだけ。月はいつだって真ん丸。太陽の光がこっちから当たったり、向こうから来たりするから光る部分が変わるだけだろ?」
「あ、そうか……」
「オレの愛は不変。いつも真ん丸、精一杯にお前を愛してる。そして律儀に一生懸命、お前の周りをグルグル回ってお前を守ってる。オレのどこに光が当たろうが、表舞台に出ようが裏方に回ろうが全く関係ない」
「ソーシ……あなた……」
「いつもここにある愛を二度と見失うな」
ソーシは両腕に力を込めて、私は腕の温かさに閉じ込められて、小さな声で「はい……」と答えた。
ー了ー
* ササラエ・ソーシ という名前は、細愛壮子 (ささらえをとこ)からいただきました。万葉集に出てくる月の別名です。細身のいい男!という意味だそうで。(小さくて愛らしいという意味もあるそうですが、こちらはキャラに合わないので無視です)