なぜかよっぽど落ち込んで月曜礼拝に行きました
土日、部屋に閉じこもって過ごした。
父が「あんな男と婚約させて申し訳なかった」という文面の手紙をドアの下から差し入れてくれたけれど、別にお父様のせいでもない。
実をいうと、プロムのことを思い出してももう心の痛みはなかったのだ。
気になっているのは、金曜の夜、バルコニーに現れた謎の男のこと。
彼との出会いを何度も思い返していた。
「お月様」の化身だったのかな?
落ち着いた声音が心地よかった。ぐずぐずに泣いていた私を慰めてくれたのだろうと思う。
でも、「悲しい」「フラれた」って言ってた。
振ったのは私?
銀髪にコバルトブルーの瞳、浅黒い肌、そんな人今まで見かけたことない。
「初対面じゃない」って言ったけど、あの姿では絶対初対面。
話の途中でご機嫌を損ねてしまわなかったら、お月様の世界に連れて行ってくれたのかな?
急に怒り出した気がしたんだ。私が間違ってるって。
形が変わる月が好きか、満月が好きか、聞かれたような気がする。
そして私が満ち欠けするほうが好きって言った。
だって、そのほうが趣があると感じるんだもの。
満月も好きだけど、三日月も新月だって好きだよ?
日曜日の月は少し欠け始めていて、眠たくもならないからベッドの上で膝を抱えて眺めていた。
カーテンを開け放して。
お月様はもう二度と、あの男の人に変化してはくれないんだと思うと、また涙が出た。
少しうとうとしたら朝が来て、部屋のドアの向こうに母の声がした。
「今日は月曜、いつも通り教会に行きますから用意しなさい」
この国は土日が週末で、月曜の朝に国教教会の礼拝に行ってからその週が始まる。
他の宗派を信じる人もいるけれど、私は生まれてこの方そういう習慣だから、教会に行かないほうが心の座りが悪い。
礼拝に出てその足で学園に行くために、服もいつも軽装にしていた。
でも、卒業してしまった今となっては何を着ていいか迷ってしまう。
案の定、教会は花園のように華やかだった。
同級生だった令嬢たちが皆、気合を入れて晴れ着に身を包んでいたから。
騎士団や役所に勤める貴族令息たちにとっては、月曜朝のこの束の間の時は格好の出会いの場なのだ。
わが国で既婚者に馴れ初めを聞いても、「許嫁だった」以外には「教会で見初めた」がダントツ。
私が着てきた薄い朱鷺色のすとんとしたシルエットのドレスは、私のストロベリーブロンドには合うけれど、「婚約破棄された私は男などもうこりごりです」と言っているかのようにみすぼらしく見えていることだろう。
正面のステンドグラス下に、教会のシンボルが掲げられている。
十字架の一種で「♀」という形。
このマークが他国では女性という意味になることを知って驚いたことがあったっけ。
そんな益体もないことを思い巡らせていると、いつも通り、白銀のマントに身を包んだシェパード様が壇上に現れた。
外に出しているのは瞳だけ。その瞳も俯き加減の深いフードに隠れて、目線が合うことはない。
シェパード様は俗世間にその身をさらしてはいけないのだろう。
前に立ち祈祷書の一部を高音のメロディに乗せてファルセットで朗読される。
特にお説教など垂れるわけではない。
歌の内容から自分が何を掴み取るかが大事だよ、と父にも言われている。
私は歌詞の中の「いつもそこにあること」という言葉に惹かれた。
不変なこと、信じていいこと、頼ってもいい人、そんなもの、両親以外にはどこにも何もない。
学園での勉強が終わって何をしたらいいかわからないなんて、自分の中に芯となるものがないせいだろうと愕然とする。
結婚相手を見つけること。結婚してもらえるように女を磨くこと。どちらも薄っぺらい。
礼拝が終わって、「お友達と街を歩いて帰るから」と両親には馬車で帰ってもらい、私は告解室に入った。
扉がかすかに軋む音がして、細かい格子の向こうにシェパード様が入って来られたのがわかった。
いつものことで何も言ってはくださらないけれど、私は一方的に自分の心のわだかまりをしゃべらせてもらう。
「悩みは口に出すことが大事だ」とこの教会の教えにもあるから。
「学園を卒業して私はどうしたらいいかわかりません。婚約破棄されて、自分が結婚したかったのかどうかも謎で。会いたい人がいるのにどうすれば会えるのか、もう二度と会えないのかもわからなくて……」
やはりお言葉はもらえないのかと立ち上がると、低い声がぼそっと聞こえた。
「いつもそこにある愛に気付け」
びくりとして格子に手をかけ、「もう一度言ってください」と頼んだが、向こう側の気配はかき消えていた。
母が残してくれていた従者一人に付き添われて、歩いて帰った。
こんなとき、母親には自分の考えなど全てお見通しなのではないかと勘繰りたくなる。
「愛されている。母の愛はいつもしっかり私を守ってくれている」
それはわかるのだけれど。
他にはどこにあるのかな。
「いつもそこにある愛」で私を見ていてくれる男性なんて、どこにいるんだろう?
家に着いてからは気も晴れず、母のお裁縫の手伝いをして昼の時間を過ごした。
アフタヌーンティと夕食との間に自室に籠って本などを読んでいたら、階下が急にざわざわと浮足立つ気配がする。
「あらあらあらあらぁ~」
と母の声が風にのって窓越しに届いた。
来客があったらしい。
母か父へのお客だろうと高をくくっていると、メイドのケリーが飛び込んできて私の髪にブラシをかけ始めた。
「じっとしていてください。超スピードでバッチリ決めますので」
「え、何? 私、お客様にご挨拶する気分じゃないんだけど?」
「あれは絶対婚約のお申し込みです。チラ見しましたが、ギャニミード様なんて目じゃないほどの神秘的イケメン。姿勢というか、立ち居振る舞いが紳士そのもの!」
「そんな気分じゃないってば。私当分どなたとも婚約なんてしたくないわ」
「そうおっしゃらずに。あ、でも何か違和感。持って来られた花束が、ヘン?」
「変って?」
私は色恋沙汰ではありませんようにと、一縷の望みをかける。
「黄色かった。結婚なら赤、婚約ならピンクですよねぇ~」
「薔薇だった?」
頷くケリーをみてホッとした。
黄色い薔薇は友情の証、もしくは「嫉妬」の意味にもなってしまう。
プロムでの婚約破棄騒ぎの前にクイックステップで私の足を踏んづけた、幼馴染のチャーリー子爵か誰かじゃない?
髪の支度が終わると、ケリーはワードローブから2番めの晴れ着を持ち出して私に着せた。
「応接間で旦那様、奥様、そしてお客様がお待ちですからそちらへ」
と言われて、私はしゃなりしゃなりとドレスの裾をさばきながら、1階の応接間に辿り着いたのだった。
「アニーミア、こちらがどなたかわかるね?」
私の入室と同時に父と訪問客はエチケット通りに立ち上がった。
お客様は細身でスラリと背が高い。
父は私の着席を待たず、自分も座ろうともせずに尋ねる。
私は声を出せなかった。
カーテシーをとろうとお客様と目を合わせたら、紛れもないあの人だったから。
会いたいけどもう二度と会えそうにないと思っていた、お月様の化身さん。
「これをあなたに」
匂いたつ黄薔薇十二本の花束をくれた。
友情でも嫉妬でも何でもいい。
私は花束を胸に抱いて、鼻を突っ込むようにして香りを楽しんだ。
指も掌も痛くないから、律儀にも、棘はちゃんととってあるということ。
「ありがとう……ございます」
なぜか泣きそうになって顔を上げられない。
花で隠すようにしてソファに着席しようとしたら、母がドレスの裾を整えてくれた。
レディが座らないと男性は着席を許されない、学園で習ったそんな細かな決まり事を、大人の紳士である月の化身さんは、何の衒いもなく体得している。
「今朝会いに来てもらえなかったら、完全に諦めるところでした。実家の爵位は侯爵だとはいえ私は次男で神に仕える身。ギャニミード次期伯爵の婚約者様に横恋慕するだけでも恥ずべき事」
「何を仰います、ササラエ・ソーシ様。こちらこそ身分違いも甚だしい。そしてわたくしども男爵家は月の使徒国教会の敬虔なる信者。そのシェパード様に娘を見初めていただけるとは……」
「思い上がった伯爵家との婚約が流れて誠にようございました」
父も母も何を話しているんだろうと、私は観劇でもしているかのように3人を眺めていた。
「牧師の妻になることを厭われるご令嬢もおられますので、これからのことはお嬢様と追々お話しさせていただくということで、今日のところは、結婚を前提のお付き合いを始めさせてくださいとお願いにあがったのですが……」
「ええ、もう、こちらこそ願ってもないことですわ」
母が笑顔で答えている。
父も、「至らぬところもありましょうが、手塩にかけて育てた娘、是非とも前向きにご検討いただきたく……」などともごもご言っていた。
「お嬢様はまだ仔細呑み込めていないご様子、ご同意いただけるか説得してみますので、2人きりにしていただけますでしょうか?」
月の化身さんがそう言って、両親はにやけながら「誠にごもっとも」と言いながら応接間を出て行ってしまった。