【07】 闇を追うもの 7
火を恐れることなく、揺れながらゆっくりと近づいてくる不死者たち。
腐った脚の肉と、そこから見てわかる皹の入った骨。それでも大地を踏みしめることを諦めないかのように、一歩また一歩と、のっそりと前へと進む。
昏い空洞になった眼窩は闇そのものだ。ルーシェとフードの男をその闇の中に引きずり込むかのように見据えていた。
「行くぞ。あんたはムリすんな」
フードの男が低く、しかし、どこか楽しげに合図を出す。ルーシェはちらりと視線を流してから肯いた。
不死者は十数体で群れていた。
フードの男は助走もなく高く跳ぶと、不死者の群に突っ込んだ。
両刃の剣は素早く左右へと薙ぎ払われる。身体と同様に朽ちて、垂れ下がる布と化したかつては衣服だったもの。それと一緒に不死者の腰を両断する。素早く剣を左へ払うと、今度はそれを右へと返す。心臓はすでに役目を果たしていない身体から、赤黒い体液が糸を引いて跳ねる。
空気が剣に斬られる高い音と、不死者を斬る鈍い音は、二重奏のように同時に聞こえた。下半身から切り離された上半身は重力に従い地面に落ちる。すると、頬骨が剥き出しとなった頭は呪いでも吐き出すように、カタカタカタカタと歯を鳴らす。そしてやがては静かになった。
ルーシェが操るのは銀のナイフ。
伸ばされた不死者の腕を掻い潜り、胴元になんなく潜る。肩の付け根を刺して素早く筋を掻き切る。右の肩を刺し、すぐに左の肩を刺す。残っていた筋が完全に断ち切られると、だらんと垂れ下がった腕。
そのままルーシェは腹部を蹴りあげる。呆気なく倒れた不死者の喉に、さらに一撃とナイフを振り下ろしてゆく。空気が詰まった布袋を潰したような鈍い音がすると、不死者は動かなくなる。
馭者は目の前で繰り広げられる悪夢を息を呑んで、ただただ見詰めていた。こんな光景を目の当たりにしなくて済む馬車の幌の中へと逃げ込みたい。それなのに、『動くな』と言われた身体は、そんなことを言われるまでもなく恐怖のために凍りついて動けない。なによりも、フードの男と少女からは目を離せなかった。
二人が群れに切り込むたびに倒れてゆく異形の不死者たち。ドロドロと赤黒く濁った体液は、少女がナイフを突き立てる度に少女の白い手元を染める。少女の白すぎる顔にも赤黒く飛び散り、肌を汚してゆく。フードが外れてしまった男の顔やローブも返り血を浴びていた。
悪夢なんてもんじゃねぇ……。
気を失ってしまえたらどんなにか楽だろう。と、馭者は痺れた頭で考える。不死者は魔物だ。もちろん恐ろしい。しかし……目の前のふたりはなんなのだ?
男はやはり獣人だった。
フードが外れた今では、頭髪と同じ銀色の毛に覆われた両耳が頭の上にピンと張っている。瞳は闇夜に爛々と光る金色。炎に照らされた唇は歪んで……笑っている?
もう片方は……妙に落ち着き払った小娘だと思っていた。教会で勝手にあのふたりの少女たちを馬車に乗せようとした時にもそう思った。今は、表情を変えることもなく、淡々と不死者の喉を掻き切ってゆく。
粘液のような黒い血にまみれた二人。魔物であるはずの不死者たちよりもなぜか、禍々しく思える……。
最後の一体がついに馭者の目の前で倒れた。
「……クセェな」
フードが外れた獣人は頭の上の耳をぴこぴこと動かしながら、鼻を捩る。
剣にねちゃりと張り付いついた黒い血を払おうとするが……。
「うわっ。落ちねえ」
粘液と化したそれは、振り払ったくらいでは簡単には離れない。
ルーシェは黒く汚れた銀のナイフを焚き火にかざした。
ナイフについた黒い血は、沸騰したように細かい泡を立てる。パリパリと乾いた音を立て、そして、剥がれて落ちてゆく。手元についた血も同じように剥がれた。
「それ、便利だな。俺もやる」
獣人は剣を炎にかざす。ルーシェの銀のナイフと同じように、ベッタリと張り付いた黒い血は見る間に細かい泡を立てて剥がれ落ちていった。
「この者たちを埋めたい」
ルーシェに声を掛けられた馭者は、はっと我に返る。
「あんたも手伝って」
馬車の幌の前で剣を構えたまま、ぼうっと立っていた傭兵風の男を、ルーシェは振り返った。
事が終わると張り詰めていた異常な緊張が解けた。鼻が曲がって、息も苦しくなるほどの悪臭が辺り一帯に漂っていることに気がつく。肉が腐敗した臭い。吐き気を催し、気を抜くと思わず嘔吐きそうだった。
水が残る湿った地面にスコップ代わりの板切れで穴を掘る。土が柔らかくなっていた分、深くまで掘ることができた。
散らばった不死者の亡骸を集めて上から土をかけるころには、東の空は白み始めていた。
傭兵風の男はなにも喋らずに黙々と板切れで土をかけている。
馬車を走らせ続けた上に、休憩もろくすっぽ取れなかった馭者は、板切れに寄りかかっていた。衝撃と恐怖が去った今は、疲れと眠気で朦朧とした頭で獣人の男を見る。フードを被ることもなく、隣で板切れを動かす男の目は深い青色だった。
恐怖で見間違えたのか? いや、確かに金色だったが……。だけど今は……。
馭者は頭を振った。
もう、思い出すのも嫌だった。
すべてを見なかったことにする。そう決めた。
「これくらいでどうだ?」
獣人が同じく土を盛っていたルーシェに声をかける。
「そうだな……まぁ……いいか」
土の盛り具合を確認し、全体を眺めてから板切れを放り出す。
「下がって」
三人を下がらせると革のポーチから透明なガラスの小瓶を取り出した。小瓶の中にはとろりとした薄い黄色の液体が入っている。コルクの栓を抜くと、盛った土の上に瓶の中身を振りかけた。
「なんだ? それ?」
獣人の言葉には答えずに、液体を振りかけた土の上に指先でなにかを描いてゆく。魔法陣のようだった。それが終わると再びポーチから取り出した小石をその上に置く。その瞬間に、魔法陣の上に置いた小石からぽっと碧い炎が上がった。
「浄化する」
まるで包み込むように、碧い炎は瞬く間に盛り土を覆っていった。