【05】 闇を追うもの 5
声を聞いたほかの騎士たちもばらばらと厨房に集まってきている。
厨房の入り口は狭い。扉は開け放たれていたものの、人ひとりが通ることが出来るほどの間口なのが幸いしていた。
フードの男は器用にも、上半身を捻じ曲げて騎士の背中を踏みつけたまま彼らに応戦している。踏みつけられている騎士はルーシェに詰め込まれた芋をなんとか吐き出して、口汚く罵りの声を上げていた。
しかし、このままでは状況はどうにもならない。
ルーシェは周りを見回すと、釜戸の近くにおいてあった鍋を手に取った。
「……」
底が浅く薄い鉄製の鍋だった。鍋底を触り感触を確かめてから柄を両手で掴む。
そのまま鍋を振り上げると、踏みつけられていた騎士の頭に思いっきり振り下ろした。
ポコンと鈍い音がする。「うぎゃ」と短い声を上げると、罵り、もがいていた騎士の口と手足が動かなくなった。
上半身を捻りながら、片腕で襲いくる騎士の首を締め上げていたフードの男が、ひゅうと口笛を吹く。
「あんた、意外とやるじゃん」
「借りは返す主義だから」
ルーシェは唇の端を親指の腹でぬぐった。
「違いないね。じゃあ……こっちも遠慮なく」
フードの男は身を翻すと、ルーシェに背中を向けて騎士たちに突っ込んでいった。
部屋の中で腰の剣を抜こうとする騎士たちの胴元に素早く入り込んでは投げ飛ばし、低くしゃがんだかと思えば足を払う。倒れたところに鳩尾に肘を落とし、切りかかってくる相手を除けては喉に手刀を決めた。
ものの数分で決着がついた。床にあっけなく転がされた騎士たちの一番上には、口ひげの騎士がだらしなく口を開けて伸びていた。
裏庭の井戸に水を汲みに行っていた馭者と傭兵風の男がもどってくると、転がされた騎士たちを呆然と眺めた。
「これ、あんたがやったのか?」
傭兵風の男は信じられないというように、フードの男と伸びている騎士たちを交互に見比べる。
軍服に付いた双頭の獅子の紋章に気がついた馭者は、とたんに青い顔になった。
「なんてことを……こいつらは帝国の騎士じゃねえか」
集まってきた司祭たちは不安な表情で遠巻きに眺めていた。
デリラはサムと幼い子どもたちを胸の中にぎゅっと抱きしめている。
司祭たちの中から白髪の司祭がおずおずと前に出た。フードの男に躊躇いがちに尋ねる。
「あの……あなたは……なにか罪を犯して……。追われているのですか?」
「いや……こいつらが勝手にしつこく追いかけてくるんだよ」
フードの男はやれやれというように、「しつこく」を強調した。
「……そうですか……大変に申し上げにくいのですが……。今晩の宿をお貸しするわけにはいかないようです……。この騎士の方々が目を覚ます前に、去られたほうがよろしいでしょう」
白髪の司祭は申し訳ないという表情で切り出した。
属国の民に対する帝国のやり方は誰でもが知っている。その上、フードの男は獣人だった。神の預言者である司祭。しかし、敢えてフードの下を確認しないことで、今回は暗に見逃してくれると言っているのだ。
「……だな」
フードの男は息も乱れた様子もなく同意した。
動き回って被りが浅くなってしまったフードをぐいっと目深に引っ張った。銀色の前髪から見えた瞳は金色ではなく、深い青色に変わっている。
傭兵風の男は騎士たちの前にしゃがみこむと、彼らの懐を漁っていた。素早く巾着を開き、また戻す。
馭者は「……なんてこったい」と呟くと、諦めたように深いため息をついた。「こちとらしばらく帝国領じゃ商売ができねえや」
「それで、誰を連れていけばいい?」
ルーシェの言葉に司祭は一瞬目を瞪り、深々と頭を下げた。馭者や傭兵風の男はなんのことだというように顔を見合わせている。
「カレン、セチア。おいで」
司祭たちの後ろからおずおずとした様子で前に進み出たのは、ルーシェよりも少しだけ幼く見える年格好の少女がふたりだった。
「時間がない。すぐに用意して」
カレンとセチアはふたり同時に、ふるふると首を振った。
「持ってゆく物はなにもありません」
「……そう」
「あの……! どうかどうか、このふたりをよろしくお願いします!」
白髪の司祭がもう一度深く頭を下げると、後方の司祭たちも、子どもたちも司祭に倣って頭を下げた。
「ちょ、ちょっと! おいおい、なにを勝手に連れていこうとしてんだよ? 俺の馬車だぞ。俺が決めることだろう?」
状況を察した馭者は慌てた様子でルーシェと司祭を見比べる。
「聞こうが聞くまいが答えは一緒でしょ。帝国のやり方はみんな知ってる」
ルーシェに一瞥された馭者はもごもごと口を動かした。
「そりゃそうかもしれんがよ……」
「もう金は貰ってんだろ?」
馭者の文句を遮るとフードの男は口元を上げた。
閥が悪そうに呻いた馭者は、「仕方ねぇな……」と舌打ちをした。
雨が止んだ夜の真っ暗な森を馬車は駆しる。
ランプに照らされる道はまだ乾いてはいない。それどころか雨が溜まった大小の土の窪みの中にも、車輪は容赦なく侵入してゆく。馭者は慎重に、それでも精一杯の速さで馬を駆る。
荷台の中にはフードの男と傭兵風の男、デリラとサムの母子、ルーシェ、それにカレンとセチアがいた。
幌の天井の骨組みに吊り下げられたランプは、馬車の揺れに合わせて、ゆらゆらとしたか細い光をあちらこちらに投げている。ランプには魔法で蓄光した石――『灯石』がひとつだけ詰められていた。
カレンとセチアは不安そうにお互いの身を寄せ合っている。
サムと故郷へと帰るために、この馬車へと乗り込んでいたデリラがふたりを預ってくれるという。デリラの実家は小さいながらも旅の宿を営んでいる。ふたりの仕事がみつかるまでは、そこに手伝いとして置いてもらうことになった。
「大丈夫よ。ギルドに登録すればすぐに仕事もみつかるわ」
胸の中で眠ってしまったサムの背中を撫でながら、デリラはカレンとセチアを安心させようと声をかけた。
黙って肯くふたりはちらりとフードの男に視線を遣ると、またお互いの肩と肩をくっつけ合う。
傭兵風の男は下を向き、腕を組んで目を瞑っている。本当に眠っているのかどうかはわからない。
ルーシェはカレンとセチアと同じように、フードの男に視線を遣った。目深に被ったフードのせいで目を閉じているのか、開いているのかさえもわからなかった。こちらも腕を組んで微動だにしない。
獣人。呪いをかけられて生み出された背神の子。
おそらくあのフードの中には、特徴的な耳が隠されている。