【04】 闇を追うもの 4
ひと晩中降り続いた雨は、朝になっても止む気配がなかった。
昼の時点で馭者は司祭たちと話し合い、もうひと晩、教会に世話になることをルーシェたちに伝えた。
「この雨じゃあ馬車は出せない。あんたたちも災難だが俺も災難だ。だが、天候には逆らえねぇから仕方がない。そこでものは相談だが、少しばかり教会に寄付はだせないかね。さすがに二晩も世話になるからには知らん素振りはできないだろう?」
フードの男は黙って懐の巾着から大型銀貨を五枚取り出してテーブルに置いた。
馭者は「太っ腹だね」と、ひゅうと口笛を鳴らした。
傭兵風の男はじろりとフードの男を睨んでから、大型銀貨をいち枚取り出しテーブルに置く。ルーシェは小型銀貨を五枚、デリラは戸惑った様子で「わたしはこれしか……」と五枚の銅貨をテーブルに置こうとした。その手をフードの男が止める。
「あんたたち親子のは俺の分に入れている」
意外と若い声だった。
「それでいいだろ?」
馭者に確認をとると、馭者は「もちろんだ」と上機嫌に返答してからテーブルの上の金を集めた。
意気揚々と集めた金を司祭に渡すために食堂を出る馭者を見送りながら、「あいつ、懐に入れちまう気じゃねえだろうな」と、傭兵風の男が苦々しく呟いた。
「あの、ありがとうございました」
デリラがフードの男に礼を言い、頭を下げた。じっとフードの男を見上げていたサムも、母親の真似をして頭を下げる。フードの男はなにも言わずにサムの頭をくしゃっと撫でた。
宿の種類にもよるが、旅の者が好んで使うような宿であれば、一泊ならパンとスープの朝食付きで小型銀貨いち枚と銅貨五枚が相場だった。フードの男はかなり、傭兵風の男とルーシェはそこそこに寄付をはずんだということになる。
ルーシェが自分をじっと観察するように眺めているのに気がついたフードの男は、「なにか用か」とフードをさらに目深に引っ張りながら訊いた。
「いや、別に」
興味が失せたというように、ふいっと顔をそらすルーシェ。フードの男もそれきりなにも訊かなかった。
夕方には外の雨は霧のような小降りに変わっていた。
子どもたちと一緒に食事の準備を手伝っていると、荒々しく教会の門戸が叩かれた。
白髪の司祭が何事かと扉を開けると、帝国の双頭の獅子の紋章を軍服に付けた者たちが雪崩れ込んできた。
「な、なにかご用でしょうか? いったい……?」
困惑する司祭の前に、軍服の者の中から口髭をはやしたひとりが進み出る。
「我々はラキーダ帝国の騎士である。理由があって人を探している。門前に幌馬車が停まっていたが、ここに馬車の者たちはいるのであろうか?」
口髭の騎士の声は大きく、よく通った。
厨房の椅子に座り芋の皮を剥いていたルーシェは、その手を止めて顔を上げた。しゃがみこんでルーシェの手元を眺めていた教会の幼子も、どうしたのかと不思議そうにルーシェを見上げた。
「はい……。この雨では森を抜けられないので、宿をお貸ししておりますが……」
司祭が不安そうに答える。
「そうか。では少し協力を願おう」
口髭の騎士は後ろに控えていたほかの騎士たちに、右手を上げて合図を送った。
騎士たちは濡れた靴と身体のままで、づかづかと奥の部屋へと進んでゆく。
「あの、騎士様……!」
「心配するな。我々が用があるのは獣人の男だけだ」
口髭の騎士は傲慢に告げると、戸惑う司祭を残して自らも奥へと進んだ。
厨房にも入り込んできた騎士はルーシェたちの前に立った。
「おい、獣人の男がいたはずだが……どこにいる?」
突然に現れた乱暴な物言いの騎士に、女性司祭たちは固まって身を寄せ合った。怯えながら首を左右にふる。
幼子はさっとルーシェの背に隠れた。
ルーシェだけは椅子に座ったままで、平然と騎士を見上げていた。
騎士は司祭たちをぐるりと見回すと、ルーシェに目を留める。
「隠すと後悔することになるぞ?」
「……知らない」
「そうか」
その瞬間にルーシェの頬がかっと熱くなり、椅子から転げ落ちた。騎士が頬を張ったのだ。
がたがたっと派手な音を立てながら、ルーシェも椅子も厨房の床に倒れた。驚いた幼子は顔をくしゃっとさせて、まるで火がついたように泣きだした。司祭がさっと子どもを抱き上げる。
「お前もあの獣人の仲間なのか?」
騎士は床にうつ伏せに倒れたルーシェの前に膝をつくと、顔を覗き込んだ。無抵抗の少女の頬を平手で殴ったのにもかかわらず、その目はいたって平然としていた。騎士にとっては目障りな虫を払い除けるのと同じことなのだろう。
口の中に血の味がする……。
唇の端も切れていた。滲んだ赤い血をペロっと舌で舐めとる。
あちこちから子どもたちの泣き声と悲鳴が聞こえ始める。
騎士をじっと睨み付けるルーシェの髪を掴もうと手を伸ばした騎士が、そのまま前のめりに床に沈みこむ。
ルーシェの顔に影がかかった。
影を見上げたその先にはフードの男が立っていた。騎士の背中を片足で踏みつけて。
「……大丈夫か?」
ぶっきらぼうだが、ルーシェを心配している声だった。男を見上げたルーシェには、目深に被られたフードの中の瞳が金色に光っているのが見えた。
「なんともない」
そう答えたルーシェは立ち上がり、汚れた服の裾を払う。
「いたぞぉ! ここだ!」
フードの男に足の下に敷かれた騎士は、倒れたまま声をあげた。
「お前、うるさいよ」
ルーシェは皮を剥く前の芋をひとつ掴むと、騎士の口にねじ込んだ。
「……うもぉ!」
「……お尋ね者なの?」
うごうごと呻く騎士を無視してルーシェが訊く。
「知らん。勝手に追ってくるんだ」フードの男はそう答えた。
ルーシェの世界の貨幣を少しだけ。
★大型金貨 15万円
★小型金貨 5万円
☆大型銀貨 5千円
☆小型銀貨 1千円
★銅貨 100円 ほどになります。