【09】 闇を追うもの 9
「じゃあな! 元気でなあ!」
アルジェントは街道を駆り去っていく馬車に大きく腕を振った。
「アルー! またねー!」
荷台から入り口の幌を上げてサムも大きく手を振り返す。小さな手を懸命に動かしているその様子は、幼いながらも別れの寂しさを感じて、ありったけの思いを込めているようにみえた。サムの後ろではデリラがルーシェに手を振り、デリラの隣ではカレンとセチアの二人も感謝の礼で頭を下げた。
並んで馬車を見送るルーシェとアルジェント。弛い曲線を描く道に沿って伸びる樹々の枝葉に、馬車がすっかりと隠れてしまうまで、アルジェントは手を振り続けた。
「さてと、じゃあ俺らも行くか!」
馬車が見えなくなると、腕を伸ばして大きく伸びをしたアルジェントは陽気な声を上げた。
ルーシェはフードに隠れている青い瞳をちらりと見上げる。
「……じゃあね」
軽く手をあげると、そのままアルジェントに背を向けるルーシェ。街道を外れるために、自身の膝よりも高くに積み上げられた石垣に足をかけると、ひょいと身軽にその石垣を越える。そのまま細い木々がまばらに伸びている林の中へと、躊躇も見せずに足を踏み入れていく。
「ちょっ、ちょっと待てよ! どこに行くんだよ?!」
アルジェントは片足で軽々と石垣に飛び乗ると、慌ててルーシェを追いかけた。
「待てって! ユーザリーまで行くんじゃないのかよ?」
「行く場所は決めていない」
振り返りもせずにルーシェは答える。
「そうなのか? これからどうするんだ?」
「峠道を抜けて帝国領を出る」
ルーシェは足を止めない。背の低い青草の繁った林の中を迷う素振りもなく進んでゆく。きれいに均された道はないが、林の中で村人が薪にする枯れ枝を集めるためや、野生の果物やきのこを収穫したり獣を追うための跡なら、うっすらとした小路となって残っていた。
「峠って……けっこう険しい道だろ? 女の足じゃ何日かかるかわかんねぇよ。それに山ん中に女がひとりなんて……いくらあんたの腕が立つっていっても野盗や狼の餌食だぞ」
「心配はない」
「いやいやいや、心配だろ」
「問題はない」
「いやいやいや、あるだろ。あのさ、俺に提案があるんだよ。絶対にあんたにも損はないから!」
「得があるとも思えない」
「話くらい聴けよ。ちょっとくらいは得かもしれないだろ?」
ルーシェはそれでも振り返りもせず、足も止めずに小立の中を進む。
「あーっ、もう! すみません! お願いです! 俺の話を聴いてください!」
根負けしたとばかりにアルジェントはルーシェの前方に回り込むと、深く頭を下げた。
心底めんどくさそうなため息を吐き、不承不承といった様子でルーシェは足を止める。そこで意気揚々とアルジェントが提案をしたこととは──。
「つまり、わたしを主にしたいということ?」
「早い話はそうだ。まあ、表向きだけどな」
「……」
「あんたの腕が立つのは昨夜のことでよく解った。だけど、やっぱり女のひとり旅っていうのはいろいろと危険だよな。あんたが細心の注意を払っていても、厄介ごとは向こうからやってくるぜ。それに相手が大人数だったら……あんたがいくら魔法を使えても太刀打ちできないかもしれない」
暗にルーシェが魔法を使えることを知っていると伝える。
「……」
ルーシェの表情を確認すると、アルジェントはニヤリと口角を上げた。
「俺も普段はフードを外せないから行動に制限がかかる。その点、あんたが一緒なら交渉は任せられるし、あんたが訳ありのお嬢様で、俺を護衛兼従者ってことにしておけばお互いに余計なことを勘ぐられなくて済む。なにより俺とあんたなら相棒にもなれるし、いざという時にも安心だろ? だから持ちつ持たれつってことでさ。どうだ? 得なことばっかりだろ?」
「……交渉と相棒というのは?」
「路銀だよ。稼がなくちゃ食えない。自慢じゃないが俺はもう金はない」
きっぱりと言いきるアルジェント。
「まさかとは思うけど……教会に有り金をおいてきたの?」
「まあ、ああいうのは成り行きだからな」
人差し指で鼻の下を擦り、得意そうに頷く。
ルーシェはやれやれとため息を吐いた。
「お前、呆れたヤツだな……」
「そんなに褒めるなよ」
「褒めてはいない……」
アルジェントの青い瞳を見つめながら、ルーシェは思案をする様子をみせた。
ラキーダ帝国によって獣人は「呪いの子」と喧伝され続けた結果、帝国領内では獣人の姿を見ることはほぼない。発見された場合には帝国の騎士団によって捕縛され、どこかへと連れて行かれる。今回に限らずアルジェントが帝国の手に堕ちずにいることは、ただの幸運が続いているにすぎない。
「……まあ、そういうのは嫌いじゃないけど」
そう言うと、ルーシェの口角がゆっくりと上がる。
「あんた……笑えるんだな」
アルジェントは驚いたように呟いた。
少しむっとしたようにルーシェは答える。
「あんたじゃない。ウェルだ」
「俺もお前じゃないぜ。アルジェントだ。そうと決まればこれからよろしくな!」
勢いよく右手を差し出すアルジェントをルーシェは一瞥した。
「言っておくけど、従者なら従者らしくできるんだろうね? かえって怪しまれるのはご免だよ?」
「お、おう。もちろんだ。まかせとけ」
ルーシェの圧に押されるように、アルジェントは出した腕を引っ込めた。
「ところで……アルジェントの行き先は?」
「あー……。特には決めてない。取りあえず帝国領は抜けたい。だからしばらくはウェルについて行く」
「そう。……だったら陽が落ちる前に夜営の場所は確保したい。行くよ」
「はい。かしこまりました。お嬢様」
片方の腕を胸に充て、もう片方を後ろ手にして、深く腰を折るアルジェント。
「へえ……。案外とさまになってるね」
ルーシェは意外だというように感心する。
「だろ?」
そう言ってアルジェントは得意そうに笑った。
季節は夏のはじめ。
人の手が入った林の中を進むのは、奇遇な縁で旅の道連れとなったふたりの影。林はだんだんと深い緑に覆われた薄暗い森となり、やがて山へと至る道は、道ともいえない道に変わってゆく。
ルーシェとアルジェント。
訳ありなふたりの旅は、まだ始まったばかり──。
【第一章 闇を追うもの】 完
読んでくださってありがとうございます。
【第一章 闇を追うもの】は【完】となります。
第二章からはルーシェとアルジェントのふたりの旅が始まります。彼らの過去も絡ませていく予定です。
相変わらずにかたつむり更新となるか、描きためてから投稿を始めるか……。
ルーシェとアルジェントの冒険? に、のんびりとお付き合いくださると嬉しく思います<(_ _)>