【01】 闇を追うもの 1
青白い雷光は空一面に湧き立つ。
黒灰色の雲の隙間を縫うようにして光る稲妻は、枯れ枝のような模様を描きながら空を切り裂いて走る。それと同時に、思わず耳を塞ぎたくなるような豪音が降りそそいだ。
少し前から降り出した雨は篠つくようなどしゃ降りにかわる。いっこうに弱まる気配はない。
まだ夕暮れには早いというのに、雷雲と雨のせいで外は灰暗い。
乗り合い馬車の幌はひっきりなしの雨に打たれて、重く、くぐもった音を間断なく荷台に響かせている。
もともとは白かったであろう、今は薄汚れて茶色に染まった幌には防水魔法がかけられている。
とはいえ雨の勢いは強い。
こんな安普請の乗合馬車に高位の防水魔法がかけられているとも思えない。この雨ではいつ魔法が解けてしまってもおかしくはない。
馬車の中は外よりもよけいに薄暗く、隣に座る者の顔もろくに見えない。おまけに夏の始まりだというのに、雨のせいでうすら寒い。
この激しい雷雨のせいで、馬車は森に入る手前で雨宿りを余儀なくされていた。
森に入ってしまえば、繁る木の枝葉で雨は少しは凌げる。しかし、ぬかるんだ泥道に車輪を盗られてしまっては立ち往生して動けなくなる。
万が一、傍の樹に雷が落ちれば馬車も危険だ。
馭者は森の入り口が臨める場所に建つ教会の馬小屋を借りて、馬と雨をやり過ごしている。
乗り合い馬車の乗客たちは、教会の門の脇に停めた馬車の荷台の中で雷雨が去るのを待っている。
ルーシェはもぞもぞと身体を動かした。
いい加減、お尻と背中が痛くなってきていた。
丸太を並べただけの座席は、座席とも呼べないものかもしれない。
リベールから乗車して以降、もう二時間以上も硬い木の丸太に座りっぱなしだった。
馬車の中にはルーシェのほかに、三組の客がいた。
隣に座るのはフードを目深に被った者。骨格から、たぶん男だと思われる。
向かい合わせの目の前には、片目に刀傷のある、いかにも傭兵風な屈強な男。
その隣には若い母親と幼い子ども。
子どもは雷に怯えて母親の膝に乗り、ローブの胸元に顔を押し付けている。母親は子どもをしっかりと抱きしめて、大丈夫よと囁いていた。
いつまでこうしていればいいのだろうか。
急ぐ旅路ではない。しかし、ルーシェは心の中でため息をついた。
幌の外に目をやる。
雨で白く煙った視界には、なにも映らない。
ほかの乗客とおしゃべりを楽しむ、そんな雰囲気でもない。
隣に座るフードの者はなにか得体がしれない。
傭兵風の男とは話が合いそうにない。
若い母親は子どもをあやすのに手一杯だ。
雨はいつ振り止むかもわからない。
ルーシェは心のなかで、何度目かわからないため息をつく。
そして、瞼を閉じた。
△▽△▽△
ルーシェの故郷は山間の小さな集落だった。
雪融け水が流れてくる谷間から水を引き、山の斜面に田畑を作っていた。
川の下流で魚を獲り、山の動植物の恵みを受けた。
貧しくもなければ裕福でもない集落だったが、先祖代々ここで暮らしている者たちにとっては、大切な土地だった。
この土地で産まれ、子を成し、土に還る。
集落の住人はほとんどが血縁関係にあった。
血が濃くなることを危惧した代々の長たちは、「稀人」と呼ばれる者たちを喜んで受け入れた。
「稀人」。
つまり、集落の外からの訪問者だ。
異変は、ひとりの稀人が流れついたことから始まった。
「お兄ちゃん、人が倒れてるよ!」
幼かったルーシェが見つけたのは、谷川の縁にうつ伏せで倒れている男だった。
旅装束のマントは所々生地が破れている上に、倒れた拍子に全身も土にまみれて汚れている。
髪も髭も伸び放題。無造作に後頭部でひとつにまとめられた黒髪も、泥と油で汚れきっていた。
「生きてるか?」
ルーシェの兄、リヒトが男の顔をのぞき込む。
「……喉が動いてる。息をしてるみたいだ。……ルーシェ、ここで見張ってて。俺は長老を呼んでくる」
リヒトの頼みにルーシェはこくりと肯く。
ぱっと身をひるがえしたリヒトは、集落まで続く谷間の林道を駆け登っていった。
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