決着
夜の帳が下りた街の中、俺はカスミさんと約束した場所へと足を運んでいた。
頭上には街灯がぼんやりとした光を投げかけ、周囲の景色を淡く照らし出している。
「……大丈夫、かな」
不安とも期待ともつかない感情が混ざった独り言が、冷えた空気の中に溶けていく。
そんな時、街灯の下からスラリとした影が近づいてきた。
「ごめんね、神島くん。いきなり呼び出して……」
柔らかい声と共に、カスミさんが俺の前に立つ。
「いえ、俺はほぼ毎日暇ですから。それより……体調、大丈夫ですか?」
そう問いかけると、カスミさんはふわりと微笑んだ。
「大丈夫よ。あの日、神島くんとスミレちゃんに話してスッキリしたから」
彼女の瞳はどこか穏やかで、以前のような迷いが感じられない。
「神島くん、私は前へ進むことに決めたの。過去を振り返っても、それは変わらないものだから——だから私は、自分の未来に希望を見出すことにしたの」
その瞳には、確かに迷いがない。
でも、その後の言葉が俺の思考を一瞬で停止させた。
「……神島くん、もし私がまた過去に囚われそうになったら、止めてくれる?」
そして、一拍の間を置き——
「わ、私……神島くんのことが好きだから」
「——へ?」
まさかの告白に、俺は固まる。
まるで頭の中が真っ白になったかのように、言葉が出てこない。
そんな俺の戸惑いを見透かしたように、カスミさんは優しい顔でそっと近づき——
俺の頬に、柔らかい唇が触れた。
「私、前に向かって進むから!」
弾けるような笑顔。
いつもは人前では緊張し、言葉を詰まらせる彼女が、この瞬間だけはまるで別人のように見えた——。
※
次の日、文化祭当日。
俺はクラスの裏方として、こき使われていた。
「おい、神島! そこの道具、もっと端に寄せろ!」
「はいはい、今やりますよ……っと」
俺のクラスの出し物はダンスパフォーマンス。
体育館をダンスホールに仕立て上げ、宝条や穂状を筆頭に、クラスメイトたちが華やかに舞う予定だ。
……とはいえ、俺はダンスに参加するわけでもなく、完全に裏方要員。
照明の調整、音響の確認、備品の運搬——地味に忙しい。
「はぁ……文化祭、ってこんなに働くもんだったっけ?」
俺は額の汗を拭いながら、体育館のステージを見上げた。
そこでは、ダンサーたちが軽やかにステップを踏み、リズムを刻んでいる。
……俺にとっては「ただの仕事」かもしれない。
だけど、この一日が誰かにとっての「特別な思い出」になるのなら、それも悪くない。
「よし、もうひと踏ん張りするか……」
そんなことを思いながら、俺は再び動き出した——。
※
文化祭はクライマックスに向かい、体育館のステージでは宝条と穂状がセンターで踊る。
華やかな照明の中、二人は息の合ったパフォーマンスを見せ、観客を圧倒していた。
「神島ー! そっち、ちゃんと調整してる?」
ステージ袖から穂状が駆け寄ってきた。汗をかきながらも、どこか楽しそうに見える。
「問題ねぇよ。照明も音響もバッチリだ」
「よし! 神島のサポートのおかげで最高のステージになったね!」
「お前が踊ってるわけじゃねぇだろ」
「細かいことは気にしなーい!」
呑気に笑う穂状を横目に、俺はふとステージ中央に目を向けた。
宝条が、圧倒的な存在感を放ちながら踊っている。
まるで彼女のために作られた舞台のようだった。
カスミさんがネットから離れた今、宝条が仮面アイドルの顔として前に立っている。
……あいつは、強いな。
カスミさんのために何かしなきゃと考える俺とは違い、宝条は自分のやるべきことを迷わずやっている。
その違いに、俺は少しだけ自分を情けなく思った。
※
文化祭が終わり、校舎の片付けが進む中、俺たちは公園へ向かっていた。
以前、真吾と対峙した夜と同じ場所——。
「神島、本当にここに来ると思う?」
穂状が不安そうに尋ねる。
「……来るさ。アイツが仕掛けたデマでどれだけの影響が出たと思ってんだ。もう引き下がるわけにはいかねぇんだよ」
すると、横を歩く宝条が口を開いた。
「翠星、私たちが来た意味、分かってるの?」
「……」
「カスミちゃんのために、でしょ?」
俺は小さく溜息をついた。
「お前ら、本当に面倒くせぇな」
「何それ、ひどくない?」
「……ありがとな」
穂状と宝条が目を丸くする。
「神島が素直にお礼言うなんて、珍しい!」
「うるせぇよ」
そんな会話を交わした直後——
「……よぉ、待たせたな」
公園の暗がりから、真吾が姿を現した。
真吾は以前よりやつれたように見えるが、目だけはギラついていた。
「またお前らか。文化祭は楽しめたか?」
「おかげさまでな」
俺は真吾を睨みながら言った。
「……お前、まだやってんのか」
「そりゃな。だって、お前らみたいな“成功者”が苦しむのを見るの、楽しいんだよ」
「お前……マジで腐ってんな」
俺が吐き捨てると、真吾はニヤリと笑った。
「腐ってる? そりゃそうだろ。俺には何もねぇんだからよ」
「何もないからって、他人を引きずり下ろしていい理由にはなんねぇ」
「綺麗事だな、神島」
真吾はポケットからスマホを取り出し、俺の目の前で見せつけるように振った。
「これ一つで、お前らみたいな奴を簡単に終わらせられるんだぜ? 面白くねぇか?」
「くだらねぇ」
俺は静かに言った。
「お前は、自分が何も持ってねぇのを社会のせいにして、努力もしねぇで人を妬んでるだけだ」
真吾の目が細められる。
「……」
「お前がやってることは、ただの負け惜しみだ」
「……ッ!」
真吾がスマホを強く握りしめる。
俺はスマホを取り出し、画面を彼に見せた。
「これ、お前の書き込みな」
真吾が顔をこわばらせる。
「……なんだよ、これ」
「カスミさんの事務所が動いた。お前のデマ、全部記録されてる」
「っ……」
「逃げられねぇぞ」
静かな夜に、俺の声が響く。
真吾はスマホを見つめたまま、言葉を失っていた。
「終わりだな」
俺は最後にそう言い放った。
真吾は震える手でスマホを握りしめ——
「……チッ」
舌打ちをして、目を伏せた。
「お前、覚えてろよ……」
「もう遅ぇよ」
俺はそれだけ言い残し、踵を返した。
これで、一つの決着はついた。
だけど、まだこの先には仮面アイドルの武道館ライブがある。
俺はそれを心の奥に置き、立っていた。




