第三十九話「砂上の書」
と、ヘルミナが黒義院冷に口付けをする寸前だった。
「あああ!見つけた!!!」
閉じられていた部屋の扉が勢いよく開かれ、二人組が脇目も振らずに入ってきた。
アルシャ・グレンケアとリゼス・デラクルス、『君臨少女』の二人だ。
「あっ、ちょっと君たち、…………今いいとこだったのに……」
二人の勢いを何とか制止しようとアスミルは両腕を広げるが、それ以上の幅に広がった二人はスルッと両側を抜けて、黒義院冷が寝かされるベッドの前まで来てしまっていた。
「アスミル、どうしてこの二人が入ってこられるのですか?」
ヘルミナは黒義院冷の顔から離れ、元の態勢に戻るとあからさまにイラついた声でアスミルへと声をかけた。
「だからさっき言ったじゃないか、護衛のジーナ・ユーは帰国の準備を部屋でしてるって」
「私は帰国は先送りするよう言いましたよね?」
「いや、だって、僕は今までずっとこの部屋にいたんですよ?」
「虚機友導を使ってメッセージを送ればすぐに済む話では?」
アスミルは姉から突き付けられた正論に(人生で一度起こるかどうかのイベントが目の前で起こりそうだったから)という言い訳は飲み込んだ。
姉を怒らせるのはまずいことを弟は短い人生の中で十分に理解していた。
「まあいいです。それで、あなたたちはどうしてここに?」
ベッドから立ち上がったヘルミナは、正面に立つアルシャとリゼスに堂々と顔を向けた。
「どうしてって、レイの部屋に行ったら君が連れて行ったって妹ちゃんが言うから、ボクたちは心配で来たんだよ!?」
「私は怒ってる」
そう言った二人の顔には確かに、心配に勝る怒りの感情が浮かぶ。
それを見たヘルミナはめんどくさそうな表情で義務的な弁明を始めた。
「あなた方のパーティーリーダーを勝手に借用したことは謝罪します。しかし、これは理由あってのことなのです。黒義院冷自身には了承を得ています」
「そんなこと知らないよ!っていうかそれをどうやって証明するのさ。っていうかどうしてレイは眠ったままなの?」
「ちょっと待ってアルシャ。…………その前にお前、さっきレイに何しようとした」
二人はヘルミナにぐいぐいと近づきながら疑問をぶつける。
しかし、一定の距離まで近づいたところでその圧倒的オーラともいえる壁に一歩退いた。
「はあ、面倒です。これは、ほんとうに、はあ………面倒です」
ヘルミナは顎に手を当てて考える。
今にも仲間の報復を仕掛けてきそうな二人が目の前にいるにもかかわらず、じっくりと考えた。
一国の王族として彼女が出した答え、この国の未来のために出した答えは、火力だけで問題を解決してきた今までの彼女からは想像もできないような答えだった。
「…………今からすべて話します」
その言葉を聞いたアスミルは驚愕のあまり顎が外れそうになった。
すべて話すということはこの国の上層部しか知りえない最高機密をこの二人に話すということだ。いや、それよりもこの姉が転拡者にこんなにも友好的な態度を示すことのほうがアスミルは信じられなかった。
なんなら、姉が顎に手を当て考え込む数秒の間に、アスミルは姉の命令を予想し、目の前にいる二人の始末の方法を十通りは考えてスタンバっていたのだから。
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数十分後。
「仮にそれが事実だとして…………この状態のレイを起こす方法はわからないってことだよね」
部屋に備えられたティータイム用の丸机を三人は囲みながら、王室御用達の紅茶をすする。アルシャとリゼスには味や作法などわかるはずもないのだが、二人は場の空気にのまれないよう一生懸命その姿勢を取り繕った。
ちなみにこの間、アスミルは立ったまま、姉がカップの中身を空にするたび、無言でそのカップへと紅茶を注いでいた。
「はい。ですから、私たちも困っているというわけです。何かいい考えがあれば、どんなアイデアでも募集している状態です」
ヘルミナは上品にカップを口元に近づけると、無音でその最後の一滴を飲み干し、カップをソーサーの上に置く。
その空のカップへとアスミルが紅茶を注ぐことはない。
なぜなら、これが最後の一杯であったと無意識化で判断できるほどアスミルは訓練されてきたからだ。 プロの弟として彼は失敗は侵さない。絶対に。
「うーん、そう言われてもなあ」
アルシャはなんとか解決策をひねり出そうとするが、きれいなおでこの皺が増えるばかりで良い案は浮かばない。
「この紅茶とても美味しかった」
先ほどまでの怒りの表情はどこへやら。その表情は満たされたものへと変わっていた。どうやらリゼスはヘルミナの話を一応信じることにしたようだ。
「じゃあ、ほら、あのよくわからない団体に聞いてみるのはどう?」
満足気な表情で提案をしたのはリゼスだった。満たされた状態での彼女の頭の回転は速い。
「あー魔術結社だっけ?確かに、エッタなら何か知ってるかもね」
「エッタ、とはエッタ・リオースのことですか?あの紫色の髪をした?」
「うん。彼女なら何か知ってそうじゃない?ほら、怪しい実験とかしてそー」
これ以上機密の共有者が増えることに危機感を感じながらも、いまは黒義院冷を無事に起こすことが最重要目標であることを今一度心に刻んだヘルミナは、その提案に乗ることにした。
「それで、エッタ・リオースはどこに?」
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四人がやってきたのは学園の第三棟にある図書館。天井まで届くほどの高い本棚に埋め尽くされ、迷路のように入り組んだ棚の道を抜けた先にその部屋はあった。
「『到達不能極点』本部…………ですか?」
「うん。そうだよ。この組織の目的は…………」
「アルシャ。」
「あっ、そうだね」
うっかり組織の目的を話してしまいそうになったアルシャに、リゼスは一瞥をした。
そうして四人が部屋の中に入ると、そこにいたのは紫色の髪をした少女と彼女の組織、その幹部メンバーたちだった。
「「「げ」」」
部屋の中に入ってきたヘルミナの姿を見て、三人は困惑の表情とともに顔をアルシャとリゼスのほうへと向ける。
その視線に答えるように、アルシャが説明を始めようとするが、彼女の声はヘルミナの一声によって遮られた。
「好都合です。『声なき星明り』のリーダーに『爆滅』の……………、そして『半竜』のリーダーが集まっているとは…………アスミル」
振り返った姉の視線からその意図を汲み取った弟は、部屋にいた三人に向かって状況の説明を始めた。
「唐突にそんな話をされてもって感じだなあ。冷ちゃんには借りがあるから私も何とかしてあげたいけど、ごめんね。心当たりがないや」
そう言ったのは『声なき星明り』のリーダー、ユティ・コフィンだった。彼女はそっけない声で答えたが、その表情は真剣そのものであった。
「わ、わ、わ、私も…………その、ごめんなさい」
『爆滅』メンバーのブレイク・ミルドは身体を震わせながらつぶやいた。
「わ、わ、わ!私も…………知らないぞ!!」
『半竜』のリーダーにして、『到達不能極点』の到達不能統括者という肩書をもつエッタ・リオースも身体を震わせながら、腹の底から精一杯声を絞り出した。
「見たところあなたがこの組織のリーダーのようですが、勝手に学生団体を組織していたということですか?」
期待していたような答えが得られない中、ヘルミナはその鬱憤を晴らすかのように最奥にいるエッタ・リオースの隣まで近寄り、その目を睨む。
「いや、その、これは、レイが…………組織した、組織で…………私は何も…………」
『到達不能極点』のボス、到達不能統括者、エッタ・リオースの意思は棒切れのように脆かった。
「はあ、骨があるのは黒義院冷だけでしたか。まあ、そこまで期待していなかったので、別にいいのですが…………」
エッタ・リオースが震え上がるまでその眼光でにらみつけたヘルミナは、機嫌悪そうに踵を返した。
すると、緊張の糸が切れたのか、エッタ・リオースは座っていた椅子からコテッと転げ落ちた。
そんな彼女の床に落ちた衝撃音ともう一つ、鈍い音が部屋の中に響いた。
その音の正体は、エッタ・リオースの制服から滑り落ちた不気味なほどの黒で塗りつぶされた表紙を張り付ける本であった。
「いててて…………」
痛めたお尻をさすりながらエッタ・リオースは顔をあげる、彼女の表情が再び恐怖の色に染まるまで一秒もかからなかった。
「あなた!!!この本をどこで手に入れたのですが!!!!」
先ほどまでの余裕のある風貌は剥がれ落ち、ものすごい剣幕でヘルミナはエッタ・リオースをまくしたてた。肩を揺らされ、心を揺らされ、エッタ・リオースは恐怖のあまり涙を流す。
「ちょっと、姉さま、落ち着いてください」
思わずアスミルは姉の肩をつかみ、エッタ・リオースから引き離した。ここまで一瞬で、余裕のない表情をさらけ出す姉を見るのは幼少期以来であった。
「う、うぐっ、その本は、この図書館で見つけたんだ。う、確認を取ったら、この図書館の所有物じゃないっていうから、私が持ってただけで…………お願い、ころさないでえええ」
エッタ・リオースは泣きながら床に落ちた光吸収率99パーセントの黒さを持つ本を拾い上げ、ヘルミナへと両手で献上した。
『「到達不能統括者」王女に忠誠を誓う』そんな絵画が描かれそうなワンシーンであった。
その本をエッタ・リオースから受け取ったヘルミナはその本の内容をぺらぺらとめくりながら高速で確認していく。
「ねえ!どういうこと?その本がいったいどうしたっていうの?」
この状況に完全に置き去りにされていたアルシャ、リゼス、ブレイク、ユティ、四人の意見をアルシャが代弁した。
本を読むことに夢中になっている姉の顔を一瞬確認し、アスミルがその問いに答えた。
「これは、一種の神器だよ」
「じんぎ?」
床にへたれこみ、情けない声でエッタ・リオースが聞き返した。
「うん。虚原素だけで形作られた、この世界に存在はするが、実体は持たない。そんな、とても曖昧なものなんだ。僕たちの理の外側にある」
「実体は持たないって、現にあなたのお姉さんが手に持って読んでるけど?」
座ったままのユティ・コフィンが怪訝な表情を浮かべる。
「うーん。ちょっと、なんて説明したらいいか…………僕も現物を見るのは初めてで、これはなんていうか………この世界にぽっと現れるものなんだよ。存在するときもあれば存在しないときもある」
「うーーん?よくわからないなあ」
なんだかまた長い話になりそうだと考えたアルシャは空いていた席に座り、頭を悩ませる。
「君、この本はどこで手に入れたんだ?」
ようやく立ち上がり、先ほど滑り落ちた椅子に戻ったエッタ・リオースにアスミルは質問をした。
「だから、この図書館の本棚で見つけたんだ。…………あ、どの棚で見つけたのかって質問をされても困るぞ!こんなに棚があるのにいちいち覚えてなんかいられないからな!」
『この世に存在はするが、実体は持たない』そんな中二心をくすぐるフレーズに心躍らせたエッタ・リオースはすっかりいつもの彼女に戻っていた。
「でも、少し違和感がないかな?こんな真っ黒い本が、本棚に収まっていたら嫌でも目に付くと思うけど、どうして君が見つけるまでその棚にずっと収まっていたのか?
ほかの誰かが見つけて、その物珍しさに、持って行ってもおかしくはない。この図書館に一日やってくる生徒の数はざっと500人だからね」
「ふん!それは、その本が、私に見つけてもらうのを待っていたからだ!!だから、私以外の人間には見つけることができない!!!」
椅子にどさっと座り込み、彼女は腕と脚を組む。平常運転だ。
「その通りだよ」
「っえ?…………え?」
「「「うん?」」」
そんな彼女の平常運転にツッコミ待ちをしていた一同と、そして彼女自身、アスミルのその肯定に一瞬思考が停止する。
「つまり、この本は望まれたときに現れるってことなんだ。望まれないときは現れない。だから、まさにこの本を望んだ君のことをこの本が待っていたといても過言じゃないよ。そういうものなんだ」
一同は口を開けたまま、一番驚きを見せるのはエッタ・リオース、彼女自身だった。
「ありましたよ。黒義院冷を起こす方法が、この本に書いてありました」
しばらくすると、ページをパラパラとめくり、内容を把握したヘルミナが本をポンと閉じ、エッタ・リオースに返した。
「え?でも、そんなこと、この本には書いてなかったはずだが?」
不思議に思ったエッタ・リオースは本をペラペラとめくり、その内容を確認する。
「さっきも言っただろ。その本は望まれたときに現れる。その本に書いてある内容も、つまりその本を手にした者が望む情報が書き込まれているんだ」
「そんな夢みたいなことがあるわけないよ!」
夢のような万能本に苦言を呈したのはアルシャであった。彼女の意見にヘルミナが反応する。
「はい。この本に書いてあることは、あくまでも答えが決まっているものだけです。
例えば、明日の天気などは書かれることはありません。それはこの世界に存在するどんな人間も知りえない情報だからです。
しかし、例えば、ある天才調合士の解毒剤の作り方、古の勇者のみが知る財宝の場所、そして、眠り姫を起こす方法など、この世界にかつて存在した人間がその記憶に刻んだ情報ならばこの本に記載されます」
「いや、それでも十分夢のような本じゃない。それなら、例えば、城を攻めてくる軍師の作戦も筒抜けにできるってことでしょ?」
ユティ・コフィンが言った。
「そ、それに、気になる人の、その、好きなものとか、秘密、とかも、わかっちゃうってことですよね?」
ブレイク・ミルドもモジモジしながら目線をヘルミナに合わせることなく質問した。
「ただし、この本にもデメリットがあります。
確かに、戦場で攻めてくる敵軍師の作戦を盗み見るのも、気になる殿方の頭をのぞき見するのも魅力的ではありますが、この本にひとたびその脳内情報が記載されてしまえば、その人間の記憶からその情報はすっぽり抜け落ちてしまうといわれています。
そして、その記憶を埋めるようにして、別の考えがその穴を埋めるのです。
ですから、今、この世界に生きる人間に対して使うのは効果的ではありません。むしろ、余計ややこしくなってしまうだけです。
それと、この本はとても気まぐれです。いつどこに出現するのか、そしていつ消失してしまうのかは不明。
現代で、しかもこんなに近くにいる人間が所有していたのは奇跡です。【砂上の書】と呼ばれるこの本はまさに、世界中の砂浜に広がる砂の中から目当ての砂一粒を見つけるような確率でしか手に入れられないのです」
ヘルミナはエッタ・リオースの顔を見つめながらそう言った。
「感謝します」
「え?あ、はい。」
ヘルミナからの感謝の言葉に戸惑いながらもエッタ・リオースはぎこちなく答えた。
「それでは、早速、黒義院冷を起こしに――」
とヘルミナが部屋の出口に向かって歩み始めるのと同時、ものすごい地響きが学園を…………いや、この街全体を揺らした。
その揺れの数秒後、城壁に設置された非常事態を知らせる鐘が鳴り響き、その鐘の音が反響しながら部屋の中へと響いてきた。
「え?この鐘の音って…………」
魔術学園都市ユミナは円形都市である。その城壁の各方面には非常事態を知らせる鐘の棟それぞれ八つ設置され、その鐘の音でどの方角が危険にさらされているのかを住人に知らせる仕組みになっている。
「姉さま、でもこれは……………………」
「ええ、出現位置も出現時間もまったくの予見外れだったようですね」
しばらく鐘が鳴り響いた後、その鐘の音は不協和音とともにその音を止めた。その意味に気が付いた一同を焦りと恐怖が包み込み、部屋は静寂に包まれる。
「私とアスミルは黒義院冷を起こしに行きます!あなた方は、できる限りの戦力を集めて東門へと向かってください!!」
その静寂をすぐに振り切ったのはヘルミナだった。彼女は全力疾走で部屋を後にする。そのあとを追いかけるようにアスミルも部屋をあとにした。
「えっと、とりあえずボクとリゼスも彼女たちについていくよ!レイが心配だし、みんなは?」
「私は到達不能極点の全戦力を集結させる」
本を制服の中にしまったエッタ・リオースは低い声でそう発した。
「私は孤児院が心配だから…………とにかく、各々できることを!」
「は、はいっ!」
ユティの掛け声に、声を裏返し目をつむりながらブレイクが答えた。彼女の頬にはすでに涙がしたり落ちていた。
「それでは、『到達不能極点』最初の任務といこうか!!解散!!!」
そして五人は、エッタ・リオースの声に反応するようにそれぞれの目的地へと走り出した。




