番外編 公爵夫妻の祝日
「なんだか、さっきからお腹が痛いような気がするのだけど、気のせいかしら・・・?」
夕食の席で、首を傾げながらエミーリアがぽつりと呟いた。
その瞬間、僕の手からフォークが滑り落ち、給仕の盆が傾き、メイドがそれをダイビングキャッチし、ミアとウータが飛び上がり、ロッテが一喝した。
「皆さん、落ち着いて! 奥様、どれくらいの痛みですか? 食事はできますか?」
不安そうなエミーリアの手を握って穏やかに話しかけるロッテを皆が固唾を呑んで見守る。
それからもういくつか質問を重ねて、ロッテが今すぐは必要ないけれど、いつでも担当医のゾフィーを呼べるようにしておいた方がいいと言ったことで屋敷中に緊張が走った。
■■
「リーンがいると気が散るから出てって! リーンはもう寝てて!」
生まれるまで側に付き添うと申し出た僕は、陣痛に苦しむ妻にすげなく追い出されてしまった。
結婚して以来、初めて本気で拒否されたショックで僕はしばらく廊下で呆然としていた。
エミーリアは寝てろと言ったけど、愛する妻が自分の子を産むのに苦しんでいる時にそんなことができるわけがない。
僕は色々考えた結果、近くの部屋で積んである仕事をして気を紛らわせることにした。
「リーンハルト様、流石にもうやることがありません。少しお休みになったほうが・・・」
翌朝、日が高く上った頃、一晩僕に付き合ってくれていたヘンリックが疲れ切った声を出した。
「エミーリアが頑張ってるのに僕だけ休めるわけないだろ。お産って本当に時間が掛かるんだね。ちょっと様子を見てくるから、ヘンリックは休んでて・・・」
んぎゃーーー・・・
もう我慢できなくて立ち上がったその時、初めて聞く赤ちゃんの声が向かいの部屋から響いてきた。
「生まれた?!」
「そのようですね?!」
ヘンリックと一瞬顔を見合わせた後、僕は机を飛び越え声の方へ向かって走り出した。
「エミーリア!」
僕が彼女のいる部屋の扉へ手を伸ばすと同時に中から開いて、ミアが飛び出してきた。そのままどーんとぶつかってきて、二人で廊下に転がる。
「あっ、旦那様?! 生まれましたよ! 若君様ですよ! もちろん、奥様もご無事です!」
ミアは起き上がる時間も惜しいとばかりに、床に手をついたまま笑顔全開で報告してきた。
「ハーフェルト公爵家に七十年振りの男子誕生とは!」
近くから執事の叫びと共に大歓声が聞こえて、周囲を見回せば廊下いっぱいに人が集まっていた。・・・皆、目の下にクマが出来ている。
全力で喜び合う人々に感謝しつつも、エミーリアに会いたくて気が急いた僕は、ぐっと足に力を入れて床を蹴り、目の前の部屋に飛び込んだ。
■■
「奥様、きれいになった若君様ですよ。抱いて差し上げて下さい」
嬉しそうなロッテの声が聞こえて、私の腕の中に布でぐるぐる巻きになった赤ちゃんが置かれた。
お湯で洗われてほかほかした生まれたての赤ちゃん。この彼がつい先程まで私のお腹にいたのかとじっと見つめれば、向こうもこちらを見上げてきた。
瞳の色は薄青で、父親のリーンの色を受け継いだことにほっとする。髪はどうかな、とそっと指で布をめくった私は凍りついた。
どうしよう、赤ちゃんの髪が私と同じ灰色に見える! この髪色のせいで受けてきた数々の辛い思い出が蘇ってきた私の頭はパニックに陥った。
私がこの髪色に産んだせいで、この子も同じ目に遭うかもしれない。
きらきら透き通った目で私を見ている赤ちゃんに涙がこぼれそうになった。
「エミィ! お疲れ様、本当にありがとう! 僕は全く役立たずで・・・エミィ?!」
勢いよく飛び込んできたリーンが、私を見て血相を変えた。
「リーン・・・赤ちゃんの髪の色が私と同じなの、どうしよう」
遂に泣き出してしまった私の側まできた彼は、いつものようにどこからともなくタオルを取り出して涙を拭いてくれた。それから赤ちゃんごとぎゅっと抱きしめてきた。
「君と赤ちゃんが無事なのが一番! それに君の髪は僕の一番好きな色なんだよ。・・・ねえ、エミーリア。髪色に関係なく、この世に生まれたからには嫌なことはあるよ。特に彼は久々のハーフェルト公爵家の男子だし、大変だと思う。でもね、彼には愛情を注いでくれる人がたくさんいるから大丈夫。もちろん、僕も君と赤ちゃんを全力で愛して守るから安心して」
リーンがそう言うなら、と私は頷いた。でも私の中にまだちょっぴり不安が残っていることを察した彼は眉を下げた。
「君に不安が残るのは僕の力不足だね。うーん、今直ぐには無理かもしれないけれど、これから彼と一緒に過ごしながら君の不安をなくせるようにするよ」
「いいえ、私も母になったのだし、残りの不安は自分でなくすようにするわ」
そうよ、私はこの子の母になったのだから髪の色で怖がっちゃいけないのよ!
私は赤ちゃんに笑顔を向けた。
「動揺してごめんなさい。貴方のことは母の私が守るわ!」
意気込む私に、赤ちゃんは黙って目を瞬いていた。
「ふはっ、さすがエミィ。あの、ところでそろそろ僕も赤ちゃんを抱いてみたいのだけどいいかな?」
リーンが嬉しそうに笑った後、恐る恐る尋ねてきた。それを聞いて端に控えていたロッテが飛んできて、赤ちゃんを彼の腕に移動させた。
ロッテに抱き方を教わりながら、こわごわと慣れない手付きで赤ちゃんを抱いたリーンの顔は幸せに満ちていた。
「うわあ、ちっちゃいな。初めまして、僕が父だよ・・・っ?!エミィ、ちょっと赤ちゃんお願い!」
うっとりと赤ちゃんと見つめ合っていた彼が突如として赤ちゃんを私の腕に戻し、慌てて顔にタオルを当てた。白いタオルはみるみるうちに赤くなっていく。
・・・この光景、何年振りかしら。
「君と赤ちゃん、僕の宝物が増えたんだな、と思ったらこんなことに。もう、泣きそう」
タオルを通してくぐもった彼の声を聞いた途端、私の口から笑いがこぼれた。
「ふふっ! 赤ちゃん、お父様にこんなに愛されてよかったわね!」
リーンの愛情がこんなに溢れるほどあるなら、私もこの子もきっと大丈夫。
■■
オマケ~君の名は〜
その夜、親子三人で寛いでいるところに両親である国王と王妃が飛び込んできた。
「来たわよ! おめでとう、エミーリア!」
「やあ、疲れているところに申し訳ないね。妃が一瞬でいいから会いたいと言うので押しかけてしまったよ」
「母上、本当に迷惑なのだけど? 父上はなんで母上の暴走を止められないの?」
「では、リーンはエミーリアの頼みを断れるのかい?」
「うっ。それは、無理、だけど・・・」
「そういうことだよ。済まないが、名前を披露したら直ぐ帰るから勘弁しておくれ」
「名前もう決まったの?!」
「君達に頼まれてからずっと考えていたからね。候補の内から最終的に顔を見て決めようと思っていたんだ。」
「この顔は、テオドールね!」
父が赤ちゃんと対面する前に母が高らかに宣言した。
「もう決まったか。さすが我が妻は即断即決だな」
「テオドール?」
「そうよ、いい名前でしょ。愛称はテオね」
「テオドール。テオ」
エミーリアが母に抱かれた息子に向かってそっと呼びかけた。
さっきお腹がいっぱいになって満ち足りた顔でうとうとしていた息子は、エミーリアに呼ばれた途端、目を開けてそちらへ手を伸ばした。
「お義父様お義母様、ありがとうございます。テオも名前を気に入ったみたいです」
礼を言うエミーリアの指をしっかり掴んだテオドールもにこっと笑った、ように見えた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
ついにテオ君誕生です。
で、誕生したばかりでなんですが、成人後の彼のお話が連載開始しましたので、
ここでちょっとご案内させていただきます。
『落とし物を拾った綿ぼこり姫は、次期公爵閣下にすくわれる。』←彼が結婚するまで全4話+おまけ
『次期公爵閣下は若奥様を猫可愛がりしたい!』←新婚生活 連載開始 一章読み切り 不定期投稿中
タイトル上の青いシリーズ名から行けると思います。よかったら一気に未来へ飛んでみてください。