公爵夫人、疑う 後編
「あーあー。もう、泣かないで?」
バルコニーに置いてある椅子に私をそっと座らせてから、彼はタオルを取り出して私の顔にあてた。
いつの間にか涙がこぼれていたらしい。
「貴方にも皆にも酷い態度をとって、ごめんなさ、い・・・」
言葉にすれば彼の浮気を決めつけた自分が悲しくなって、後から後から涙が溢れてきた。
「大丈夫。皆、君の本心じゃないって分かってるよ。そういう気分になる時もあるよね。さっきみたいにぜーんぶ、僕にぶつけてくれていいんだよ。僕は君のことなら何でも受け止めるから。」
優しすぎる声と共に、正面から椅子ごときゅっと抱きしめられる。
もうしない、と私はタオルを顔に押し当てたまま首を大きく振った。
「本当は分かってたの。リーンは浮気してないって。でも、毎日のように貴方がどこかの誰かと嬉しそうに話してたとか、密着してたとか手紙でさも親切そうに言われ続けたら、不安になってきたの。だって、私一人ならここを追い出されてもなんとかなるけれど、赤ちゃんを一人で守ってあげられるだけの力は私にはないもの。」
泣きながら訴えれば、座っている私の前に彼が跪き、顔にあてていたタオルをとって覗き込んできた。その表情はものすごく険しい。
「・・・怒ったの?」
「君にそんな不安を少しでも抱かせた僕自身と、そんな手紙を送ってきた人達にね。エミィ、僕は君と赤ちゃんが一番大事だよ。それだけはもう二度と疑わないで欲しい。」
しっかりと頷いた私は、椅子から立ち上がってリーンの方へ腕を伸ばした。
「リーン、まだちょっとだけ不安だから、ぎゅって抱きしめて」
言い終わらぬ間にいつもより強めに抱きしめられた。
私は、すりっと顔を寄せてリーンの温かさと匂いを全身で感じる。大丈夫、私は彼に愛されてる。
彼を自分に染み込ませるようにぴったりとくっついていたら、ふっと息を吐き出す気配と共に頭を撫でられた。
「エミィがこうやって甘えてくれるようになって僕はとても幸せだよ。」
そのまま頭を撫でながらキスを降らせてくる。
それを受けつつ、ぎゅっと彼の背に腕を回してに力を込めると彼に訴えた。
「リーンが好き。リーンじゃないと嫌。私は貴方だけがいい。だから、浮気相手も第二夫人も要らないって言って。」
「まだ君に第二夫人のことをいってくる人がいるの?」
呆れたように聞いた彼に、私はつい激高した。
今夜はどうしてか感情の抑制がちっとも出来ないわ。
「妊娠中は相手が出来ないから必要でしょうって。貴方はもう子供が出来たからいいでしょって。そんなわけない!私はリーンを誰かと分け合うなんて絶対に嫌!」
叫ぶと同時にまた涙が溢れてきて、私は全開で泣いてしまった。
「エミィ、大丈夫だよ。僕は浮気もしないし第二夫人なんてもっての他。これからもずっと君だけを愛してるからね。」
「・・・絶対ないって約束してくれる?」
「うん、約束する。それから僕は君を不安にさせないように努力するけど、もしまた不安になったら直ぐに言ってね。何度でも君だけを愛してるって言うから。」
ありがとう、と伝えたかったのにあっという間に唇を塞がれてそのまま深く深く口付けられた。それから彼の腕の中であやされているうちに、いつの間にか私は眠ってしまったらしい。
次に気がついた時には高く日が昇っていて、ベッドの中だった。
昨夜、城に泊まるはずのリーンが帰ってきたというのは夢だったらいいのに。昨夜の自分の全開の駄々を思い出して私は頭を抱えた。
ベッドに潜ったまま、丸くなって一人反省会を催していたら、控えめなノックと共に誰かが入ってきた。
「おはようございます奥様、お目覚めですか?・・・ご気分はいかがです?」
「おはよう、ロッテ。頭が重いわ。」
私が潜ったまま答えれば、ロッテがくすっと笑って明るく答えた。
「随分お泣きになったそうですからね。目の方はいかがですか?昨夜、旦那様がせっせと冷やしておられましたが。」
リーンが冷やしてくれてたの?!ちっとも知らなかった。
そしてやっぱりリーンのことは夢じゃなかったらしい。
私はむくっと体を起こして目を開けた。
・・・リーンのおかげか目が開かないとまではいってないけど、視界がやや狭い。
私は両手で目を覆いながらロッテに確認した。
「まだ少し腫れているみたい。冷やした方がいいわよね。」
「ええ、冷たい水とタオルを用意してきました。」
そう言ってテキパキと準備をした彼女は、私をベッドへ再び寝かせると目の上に濡らしたタオルを乗せた。
冷たくて気持ちいい。
「・・・ねえ、ロッテ。昨夜は皆に駄々を捏ねてごめんなさいって伝えてくれる?私、感情を抑えられなくて、皆に迷惑をかけちゃった。」
「奥様、大丈夫です。あれくらいどうってことないですよ。」
寝たままの姿勢でロッテに懺悔をすれば、優しく返されて心が痛い。
「でも、皆が私に無理強い出来ないの分かってるのに嫌って思いっきり駄々捏ねてしまって・・・反省してるわ。リーンも大丈夫って言ってくれたけど、やっぱりちょっとは呆れたんじゃないかしら。」
「まさか!旦那様は今朝、上機嫌で鼻歌を歌いながらお出かけになりましたよ。」
「ええ?どうしたら上機嫌になるの?!」
「奥様がとことん甘えてくれたと仰って、それはもう嬉しそうに。それで、今日はお茶の時間までにはお帰りになられるそうです。」
朝食(兼昼食)を運んできたミアがロッテの後を引き取って続け、それを聞いた私は思わずタオルをはねのけて起き上がり、叫んだ。
「リーンも皆も、私に甘すぎる!自分がダメ人間になりそうで怖いわ!」
そんな、甘やかされた人間が母になるなんて恐ろしい、と頭を抱えていたら、また新たな声がした。
「何言ってるの。君はどれだけ甘やかしてもダメ人間になんてなってないじゃないか。だからどちらかというと、これくらいの甘やかしじゃ足りないってことでしょ。」
恐ろしい台詞を吐く、ここに居てはいけないはずの夫の登場に私は飛び上がった。
「リーン?!なんでいるの?!」
「ここは僕の屋敷だよ?居てもおかしくないでしょ。」
「いえ、そうじゃなくて、まだお仕事中じゃ・・・?」
「ああ、先週から機密情報を扱ってたから城に行ってたけど、君の方が大事だからこっちに持って来れるように交渉してきたんだ。それが思ったよりスムーズに終わったから早く帰れたんだよ。」
そう言いながら私の頰に手をあててちょっと上を向かせると目の腫れにキスをした。
「やっぱりちょっと腫れちゃったね。昨日泣き過ぎて疲れたでしょ。今日は一日ベッドにいなよ。」
「もう!直ぐにそうやって甘やかそうとするんだから!起きるわよ。」
えいっとベッドから降りた私をすかさず支えた彼が目を細めた。
「起きちゃうの?なら例の手紙を全部、僕に渡してくれる?」
「え、いや、返事は自分で書くわ。夫人同士のやりとりに男の人は入れちゃいけないって某公爵夫人が。」
「通常ならね。でも、君にこんなに影響が出るなら話は別だ。」
反論する前に彼に抱き上げられて強制的に机に連れて行かれた私は、彼の視線に観念して引き出しを開けた。
私を降ろして、束にしてあるそれを手にとった彼の気配が変わる。
「ふーん、思ったより多いね。・・・なるほど、うまく混ぜて書いてある。エミィ、後は僕に任せて君は君を大事にしてくれる人への手紙に時間を使いなよ。」
「それ、どうするの?」
「ん?それは秘密。大丈夫、君へのちょっかいを止めさせるだけだから。」
気になるけれども彼に聞いてもこれ以上は教えてくれないだろう。
私は大きくため息をついた。
「貴方は私をどれだけ甘やかす気なの。私が一人ではなんにも出来ない人間になっちゃったらどうするの?」
「そうなったら安心して僕の手の届く場所に閉じ込めておくよ。」
「・・・え?」
「おっと、冗談だよ!もしそうなっても大丈夫って言いたかっだけ!」
「もう、大丈夫じゃないでしょ。私は母になるんだから、子供のお手本にならないと。」
私が怒ればパッと笑顔になったリーンが手紙を雑に机の上に放り投げ、きゅっと抱きしめてきた。
「そうだね。じゃ、子供が生まれるまでは思いっきり甘やかされててよ。」
「そんなの、ダメに決まってるじゃない。」
「いいの、いいの。君はいつも一生懸命やってるんだからこんな時くらい僕にたっぷり甘えてよ。」
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「旦那様はお子様がお生まれになっても、習慣になっちゃったとか、次の子に備えてとか言って奥様を甘やかしまくるおつもりですよね。」
「ええ、そうでしょうね。」
気配を消して廊下へ出たミアが尋ねれば、ロッテがにこにこしながら頷いた。
そういえば、ロッテさんも結構、奥様を甘やかしているな、とミアは思い出した。
これだけ周りから甘やかされても、それに甘えきらない奥様って実は凄い人なのかもしれない。
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「先日の夜会で、リーンハルト様が、やたらとあちこちの女性に声を掛けていたものだから、浮気相手を探しているのかと皆色めき立っていたけれど、実は一人一人に釘を刺して回ってたとは・・・道理でその後真っ青になって震えていた訳ね。」
「ええ、おかげで一切そういう手紙はなくなったわ。」
「・・・リーンハルト様にとっては、エミーリアの心の平穏が一番大事よね・・・。」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
目一杯甘えられるようになったエミィと、それが嬉しいリーンです。




