公爵夫人、疑う 前編
※エミーリア視点
毎日、公爵夫人宛に大量の手紙が届く。
リーンが仕事に行った後、私はそれらをせっせと開封し選別し、必要なものに返事を書く。
今はお茶会や夜会には出席していないから、数が減りそうなものだけど、逆に増えてない・・・?
心の中で大きくため息をついて手の中の手紙の束を眺め、側に控えている侍女に声を掛けた。
「・・・ねえ、ロッテ。」
「なんでしょう?奥様。」
「正直に答えて欲しいのだけど、いいかしら?」
「はい。なんなりと。」
普段、私はこういう念押しをしないので、尋ねられたロッテの声が固くなる。
私も重々しい声で続けた。
「妻の妊娠中に男の人は浮気をするって本当?」
「はい?」
「最近、そういう浮気の噂を手紙で書いてくる人が多くて。ちょっとだけ、不安になっちゃった。」
「「旦那様に限って絶対有り得ません!」」
隣で聞いていたミアまで一緒になってロッテとハモる。
「私もそう思っているんだけどね。何度も繰り返されて、有り得ないと思っている人ほど浮気してるのよって言われちゃうと、リーンもしてるのかしらって・・・」
「奥様ー、そんなこと思ったら旦那様がお可哀そうですよ。あんなに奥様のことを愛して大事になさっているのに。」
「うう・・・分かってるの、分かってるんだけど、こう心の隅っこにそのことが引っかかっちゃうともう気になって。だって今週はずっとお城に行ってるじゃない?」
「そうですね・・・。」
「それに、最近あんまり抱きしめてくれなくなったし!以前はやり過ぎなぐらいだったのに。・・・やっぱり浮気してるんだわ!」
自分でも訳がわからないくらい頭がリーンの浮気でいっぱいになって、椅子から立ち上がった途端、扉がノックされて執事が恐る恐る顔を覗かせた。
私が叫んだ勢いのまま、何?と尋ねると、彼は逡巡の後、重たそうに口を開いた。
「あの、お取り込み中、申し訳ありません。今、旦那様から『今夜は城に泊まる』と言付けが・・・」
その場の空気が凍りついた。
■■
「奥様、旦那様が仰っていたように、今夜は一階の客間でお休みください!」
「嫌」
「奥様、階段は危ないですから!お願いですから、登らないでください!」
「嫌」
「奥様ー!なんで急に駄々っ子になっちゃったんですか?!旦那様は浮気なんてしてませんから!」
「してるの。きっと明日には浮気相手がこの屋敷に来て私は追い出されるんだわ。」
「展開はやっ!・・・では奥様、旦那様に直接伺ってみてはどうですか?丁度お戻りになったようですし。」
「ただいま。なんでこんなになっちゃってるの?僕が浮気とか何の話?」
就寝前に二階のいつものベッドで寝るからと階段を上がろうとする私と、引き止める屋敷の人達が玄関の大階段前で攻防戦を繰り広げていたら何故かリーンが帰ってきた。
「今夜は泊まりだって言ってたのに、なんで帰ってきてるのよ。嘘つき!」
本当は会えて嬉しいのに思いっきり逆を叫んだ私を見て、リーンはぽかんと口を開けた。
「え。お酒は呑んでないよね?エミィ、君が情緒不安定になってるって聞いて帰ってきたんだけど、これは大変だ。」
「私が大変だから、捨てるのね。浮気相手はどこの誰よ?何人いるのよ?」
とんでもない追及をした私に、彼は大きく目を見開き、周りの皆は震え上がった。
彼は黙って深呼吸をして、真顔になった。
「やれやれ、とんでもない冤罪だ。後は僕が引き受けるから皆休んでいいよ。エミィ?ちょっと話し合おうか。僕は君に浮気を疑われるのは心外だよ。」
「嫌」
一言で拒否したら、彼は一瞬固まった後、にっこりと笑って問答無用で私を抱き上げた。
「離してよ。浮気してきたんでしょ?!」
「まさか、この僕がそんなことするわけないでしょ。妊娠期の症状の一つとはいえ、ここまで情緒不安定になってるとは思わなかったよ。大いに拗ねてぐずって駄々をこねてくれて構わないんだけど、僕の浮気疑惑だけは今すぐ誤解を解かないとね。」
言いながらどんどん階段を上って、寝室へ入ろうとする彼の服を握って首を振り、私は拒否を示した。
「まだ寝たくない?分かった、君の好きなバルコニーに行こうか。」
街の景色が見えるその場所は私のお気に入りで、二人でよくお茶をしたり夜景を眺めたりするのに使っていた。
確かにあの場所に行けば、私のこのぐちゃぐちゃの気持ちも落ち着くかもしれない。
こくりと頷けば彼がほっとして笑みを浮かべた。
「やっと肯定してくれた。エミィ、本当は僕が浮気してるなんて信じてないでしょ?」
「・・・信じたくない。」
「信じたくないって言うと語弊があるなぁ。僕は一切、浮気なんてしてないからね。愛する君との大事な子供が出来たところなのに、他の女性に気を回す余裕なんて全く無いよ。」
穏やかに無罪を主張するリーン。
「でもあちこちから目撃情報があるのに?」
「え、何それ、ちょっと待って?!そんなのデタラメだよ!君以外の女性なんて皆一緒で全く興味がないんだから。」
「じゃあ某伯爵令嬢と抱き合ってたというのは?」
「ええ?!あれかな、先週の夜会で目の前で彼女が派手にコケたから咄嗟に支えたんだけど・・・片手で一瞬触れただけで直ぐに離れたよ。」
「じゃあ、某男爵令嬢に愛を囁いていたっていうのは?」
「そんなことしてないって!それは多分、彼女に君のことを聞かれてつい、どれだけ僕が君を愛してるか力説しちゃった時じゃないかと・・・」
「貴方、外で何を喋ってるの?!」
「君のことを聞かれたら、君がどれだけ可愛くて素敵で完璧な妻か自慢したくなるんだよ。」
「私はそんな完璧じゃないでしょ。人はそれを惚気と言うらしいわ。」
「知ってる。僕は、君のことで思いっきり惚気るのが好きなんだ。」
「それは恥ずかしいから、止めて。」
「君がそう願うなら努力はするよ。でも、話し出したら止まらないんだ。だって君がこんなに愛しくて堪らないから。」
言いながらリーンが頬にキスをしてくる。顔が熱くなるのを感じながら私は自分を叱咤した。
流されちゃダメよ、エミーリア!まだ聞くことがあるでしょ!
私はきゅっと顔に力を入れてリーンを見ないようにしながら小さな声で責めた。
「でも最近ぎゅっとしてくれる回数が減ってるわ。」
「それは!だって、お腹の赤ちゃんを潰してしまいそうで・・・ものすごく、我慢してるんだよ!僕を信じてよ。」
必死に言い募る彼の最後の一言で私の身体から力が抜けた。そうだ、私はまず彼を信じなきゃ。あんな根も葉もない告げ口なんて気にしちゃいけなかった。
「貴方は浮気してないって信じる。」
同時に彼の首に顔を伏せて、ぎゅっとしがみつけば、安堵のため息が聞こえた。
「よかった。信じてくれてありがとう。エミィ、君が『嫌』と一言で駄々をこねているところなんて初めて見たよ。身体が辛くてしんどいの?」
その言葉で先程までの自分の態度が急に恥ずかしくなった。
リーンがそのことで怒ったり、気分を害したりしなくて、ひたすら私を心配して受け入れてくれたことに申し訳なさが募った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
エミーリアも疑心暗鬼になることがあるかと。リーンの心境を思うとアレですが、どんと疑わせてみたかったんです。でもやっぱり、この二人だと怒鳴り合いにはならない。




