6−5
※リーンハルト視点
「後は晩餐会だけかー。もう帰りたいんだけど、ダメかなあ。夕食は妻と食べるのが一番美味しいのに。」
「これもお仕事ですから。」
「普通さ、晩餐会なら妻同伴じゃない?なんで僕だけ一人なのさ。」
「先方がリーンハルト様をお話相手にとご希望されたからですよ。」
「それが一番解せないんだけど?!僕と話しても面白くないと思うんだけど。」
「惚気ばかりですからねえ。ですが先方は貴方がいいと仰るのですから仕方ありません。奥様に会うのは後数時間我慢なさって下さい。」
「エミーリアに会いたいなあ・・・。」
座っているソファのクッションに突っ伏して嘆くのと同時に、扉が激しくノックされた。
その性急な気配に僕とヘンリックの間に緊張が走る。ヘンリックがさっと立ち上がって扉の向こうを誰何し、直ぐ引き開けた。
転がるように飛び込んできたのはうちの騎士の一人だった。
ハーフェルト公爵家の紋章入りの制服を着ていれば、城内は出入り自由なのでここまで止められることなく真っ直ぐ来たのであろう。
大変急いできたようで息が荒く中々言葉が出ない彼に、テーブルの上からコップをとって水差しの水を注いで渡す。
恐縮しながらもそれを一気飲みした彼はようやく声を出した。
「旦那様、前ノルトライン侯爵夫人が当家の門前で中に入れろと騒いでおります。丁重にお引き取り願ったのですが、全く言うことを聞かず奥様に会わせろと言うばかりで・・・。」
「何だって?!エミーリアは屋敷内に居る?」
ヘンリックと顔を見合わせ、慌てて時計を見る。
エミーリアは今日ヴェーザー伯爵邸へ出掛けている。間違いなく帰宅はいつもより遅れるはずだから、下手をすれば鉢合わせる可能性がある。
問われた騎士は無念そうに首を振って項垂れた。
「私が公爵邸を出た時には、お戻りになっておられませんでした。」
それを聞いた僕はぞっとした。ほぼ確実にあの二人が出会うじゃないか!
どうしよう、奇跡でも起こらない限りもう会ってる時間だよね。
手をぎゅっと握りしめたところで、また誰かが扉を激しくノックした。
無言でヘンリックが扉に走り寄り、そのまま訪ねてきた人物を迎え入れた。
入ってきた人物を見た僕は、ソファに崩れ落ちた。
「スヴェンが来たってことは・・・。」
「はい、お察しの通りです。奥様は前ノルトライン侯爵夫人と門前にて会われております。奥様から旦那様に、公爵邸へは戻って来る必要はないので、お仕事を優先されるようにと言付けを預かってきております。」
その伝言に些かムッとする。エミーリアは僕をなんだと思っているのだろう。こんな状況で彼女より仕事をとる男だと思っているのだろうか?
・・・思ってないから、わざわざスヴェンをここに寄越して釘を刺してきたんだよね。分かってるよ。
「スヴェン、エミーリアはどんな様子だった?」
「はい。最初は相手が誰か知らないまま、自分が対応すると仰って馬車から飛び降りてこられまして・・・」
そこにいた全員がああ、と天を仰ぐ。
エミーリア、どうして君はそう向こう見ずなの。
「それで相手が前ノルトライン侯爵夫人であると気がつかれた途端、さすがに動揺されて震えておられました。ですが、気丈にもご自分で追い返されたいと話をされるとのことでした。」
そこまで聞いて、僕はソファから立ち上がった。扉まで走って行って開けながら振り返る。
「直ぐにエミーリアの所に帰る。彼女の意志を尊重してあげたいと思ったけど、無理だ。震えるほど怖がっている相手と一緒にいる妻を放って仕事を優先させるだなんて、何のための夫だかわからないよ。」
その場の全員が頷いた。
「君達は現ノルトライン侯爵のルーカスを引きずってでもうちへ連れてきて。あの女を野放しにした責任はとってもらう。」
それだけ言い置いて王太子の部屋に向かって全力で走った。
■■
「王太子殿下!私を今すぐクビにしてください!」
「はあっ?!」
兄の王太子は飲んでいたお茶を盛大に膝の上にぶちまけて飛び上がった。
「リ、リーンハルト?!いきなりどうした?!俺が何かしたかっ?」
「いえ何も。私は何があろうと今すぐ帰ります。なので城の仕事である王太子補佐を辞めた方が話が早いかと。では、そういうことで!」
「待て待て待て!帰る理由を言え。」
がっと襟首を掴んで引き止められた。
・・・勢いがあり過ぎて首がしまりかけたんだけど?
「本当に急いでいるんです。こうやって言いに来ただけマシだと思って下さいよ。」
「城中の衛兵達を相手しながら出ていくより、今俺に理由を言って走って出ていくほうが早いと思うぞ。」
「・・・仕方ないですね。前ノルトライン侯爵夫人がうちの門前でエミーリアと会っているんですよ。」
「なんだと?どういうことだ?二度と会わないんじゃなかったのか。」
「そうです。見事な契約違反ですよ。それより何より妻の心境を思えば、僕はなにがなんでも側に行かないといけないんです。」
兄が黙って僕から手を離した。
「仕方ないな。申し訳ありません、海の向こうの国の姫君。そういう事情で今夜の晩餐会のお相手は他の者にさせていただいてもよろしいでしょうか?」
え、いたの?驚いて兄の視線を辿れば、確かにそこにふわりとした美女が座って微笑を湛えてこちらを見ていた。
「さすが、『溺愛公爵』の異名を持つお方ですね。ええ、王太子殿下、わたくしの相手はリーンハルト様でなくて構いませんわ。ただし、同じくらい身持ちの堅い方がいいですわ。」
姫の出してきた条件に皆が首を傾げる。
彼女は薄っすらと笑って小首を傾けて僕を見上げてきた。
「わたくし、国に大好きな人がおりますの。ですから、その方に誤解されぬよう、決してわたくしの婚約者候補にならない方がいいのです。」
・・・それで僕を相手に指名していたのか。確かに僕なら妻以外に見向きしないから適役だったな。
でも、何があろうと妻が優先だ。
ふと姫の隣でお菓子を食べている甥に気がつく。おや、いつの間に彼は姫と仲良くなっていたのだろう。
「では、隣のクラウス王子はいかがですか?彼は姫より随分と年下ですから婚約者候補には難しいですし、年の割には落ち着いていて話し相手にはいいと思いますよ。」
「あら、クラウス様と?いいですわね。クラウス様、わたくしと晩餐会に出ていただけます?」
クラウスはキョトンとしたが、直ぐににっこり笑って姫に手を差し伸べた。
「僕はあなたとお話するの楽しいから、いいですよ!」
これで一件落着した。
「あ、そうそう、王太子殿下。ここにサインをください。」
横で僕が抜けた後のことを考えている兄に紙とペンを渡す。促されるままに兄はペンを走らせ、僕に返しながら尋ねた。
「これは何の書類だ?」
「ノルトライン侯爵家の処遇を私に一任する、というものです。」
「え?!ちょっと待て!」
「やだな、書類にサインする時は内容をよく確認してっていつも私に言ってますよね。それではありがたく頂いていきます。侯爵家には今度こそ責任を取ってもらいますよ。」
そう言い残して部屋を出た僕は馬の所まで全力疾走した。
残った王太子殿下が呟く。
「あの勢いなら今度こそノルトライン侯爵家はなくなってしまうな・・・まあ、いいか。」
この後、城内を王太子補佐が全力で走り抜けたことにより、すわ国の一大事と大騒ぎになったらしい。
そりゃ、僕にとっては国より大事な人の一大事だったんだから、全力で走るでしょ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
リーンがついに兄から権限をもぎ取りました。