5−11
※リーンハルト視点
城下の街から帰って三日後の朝、いつものように自室で妻の着替えを待つ間、テーブルに並んだ瓶に口をつける。
「うぇっ、苦い・・・ゾフィーはわざとしてるんじゃないかな?」
僕が、エミーリアより先に試飲するって言ったのが気に入らなかったのでは。
あまりの苦さにそんな考えが湧き起こる。
「ああ、うん。何も加工しない状態がこれね。・・・やっぱり僕にだけ飲ませるつもりじゃないか。」
説明文と瓶を見比べながら、口の中を洗うように水を含んだ。
昨日ゾフィーに瓶と共に渡された試作の健康補助剤リストに大きくバツ印を付けて、次の瓶を手に取り覚悟を決めて呷る。
「あ、これは、爽やかで美味しい。」
これには大きく丸を付ける。次は警戒せずに飲んで顔をしかめた。
「甘い・・・。まあ、エミーリアは好きかな?」
丸っと書いたところで、妻の部屋の扉が開く音が聞こえた。
直ぐには動かず、時計の針を睨んで待つ。
三分・・・さらに三十秒。
深呼吸してから廊下に通じる扉を開ければ、散歩の準備を終えた妻が壁の絵を眺めながら待っていた。
「エミィ、お待たせ。」
「リーン、今きたところだから大丈夫よ!」
ふふっと楽しそうに笑う彼女にたまらなくなって口付けた。
結局、一番安全な場所ということで、毎朝散歩前に屋敷の廊下で待ち合わせることにした。
初日の一昨日は彼女と同時に部屋から出て、悲しそうな顔をされ、昨日は我慢しきれず三十秒で『本当に今きたとこ!』と怖い顔で言われた。
どうやら今日は成功したらしい。
彼女の方が妥協してくれたということかもしれないけれど。僕の本音を言えば、たとえ三分半でも彼女にわざと会わない時間を作り出すのは辛い・・・。
でも、彼女が喜んでくれて先程のような笑顔を見せてくれるなら、もう少しだけ待ち合わせを続けてもいいかな、とも思う。
「おはようございます!」
フリッツの声にはっと我に返る。しまった、せっかくのエミーリアとの時間なのに、ぼーっとしていた。
頭を一振りして気がつけば、彼女が側から消えてフリッツの隣に移動していた。
今の彼女は、先日から飼い始めたひよこに夢中だ。世話係をかってでたフリッツと一緒に時間を作っては構っている。
ひよこを飼いたそうな彼女のために、持ち主から買い取って連れて帰ってきたのは僕だけど、こんなに彼女をとられるとは思わなかった。
鶏を飼うことに庭師や料理人達が両手を挙げて賛成していたから、数も増えそうだし、このままだと僕は鶏に負けてしまうかも。
ひよこに餌をやっている彼女の背中を眺めながらふっと考えた。
・・・子供が出来たら、こんな感じになるのだろうか?
ふと心に浮かんだその疑問に、僕は動揺した。
とても自然に彼女が子供といる光景を自分の脳裏に描けたことに驚いたんだ。
今まで子供のことを考えても、どこか現実感がなかったのに。
もうすぐ兄のところに二人目の子供が産まれる。
僕達のところにも早く来てくれたらいいのに。
ひよこを手に乗せて慈しむ彼女を見て、心からそう願う。
彼女が悪く言われるからだけじゃなくて、僕も自分の子供に会ってみたい、そんな風にも思った自分の変化に気分が少し高揚した。
「旦那様、奥様。おはようございます。今日もお早いですね。」
調理場に通じる裏口の扉が開いて、野菜屑を持った料理長と庭師が肩を並べてやってきた。
ひよこに与えるつもりらしいが、多すぎやしないか?
鶏を増やせという、無言の圧力を感じるのは気のせいか?
この二人は、奥様の健康のためにと庭師がせっせと自家製の野菜を作り、それを料理長が調理するという繋がりで話す機会が増え、以前より随分と仲が良くなったらしい。
おかげでエミーリアが嫁いで来てから作られた裏庭の畑は拡大していく一方だ。
それに反対する気は全くない。だって痩せ過ぎていた彼女がふっくらしてきて、抱き心地がどんどんよくなっているんだもの。
男として止める理由が見当たらないよね。
という訳で、鶏も追加で何羽か飼おうと思っている。
そうだ、昨夜彼女が『新鮮な卵でアイスクリームを作ったら、とっても美味しいらしいわ!』と楽しみにしていた。
それだと新鮮な牛乳もあった方がよくない?
「牛も飼おうか?」
頭の中で考えていたことをうっかり声に出してしまい、慌てて口を押さえる。
「旦那様・・・流石に牛は難しいかと思います。このままだと公爵邸が牧場になってしまいますよ?」
「奥様のアイスクリームの為なら、近くの牧場から新鮮な牛乳を届けてもらいますから。」
しっかり聞こえていたらしい庭師が半分笑いながら答えて、理由まで悟った料理長が被せてきて僕は両手を挙げて降参した。
「そうだよね。牛は止めておこう。料理長、アイスクリームは僕の分もよろしくね。」
料理長が笑顔で了承したところに、空気を読まないフリッツがおれも!と手を挙げる。
「じゃ、全員分だね。量が多くなっても作れる?」
「なんとかなります。」
今度はアイスクリームを食べる会でもするかな、と考えたところでまたフリッツが手を挙げる。
目線だけで促せば、ひよこを指して一言。
「ねえ、このひよこに名前は付けないんですか?」
全員の視線が、ひよこの飼い主であるエミーリアに集まった。
彼女は自分を指差して、付けていいのかと僕の方を見る。
にこっと笑って肯定すれば、彼女の顔が明るくなってせっせと地面の餌を食べるひよこに向いた。
「えーっと、そうね。じゃあ、黄色いから黄色ちゃん?」
「奥様、こいつは大きくなったら白い鶏になるんですよ?」
「あ、そうね。じゃあ、シロちゃん?」
「色以外はないのですか?」
「ええっ?うーん、じゃあ、美味しそうに食べているからキャベツちゃん!」
フリッツと掛け合いながら彼女はどんどん名前の案を出しているが、周りの大人達は微妙な空気を醸し出し、何かを飲み込んだような顔付きになっていく。
遂にたまりかねたのか、料理長が僕の側にやってきてそっとささやいた。
「旦那様。差し出がましいことではありますが、お子様がお出来になった場合の名付けは旦那様がされるのが宜しいのではないかと・・・。」
「赤ちゃんだから、『赤ちゃん』だとか、ミルクが好きだから『ミルクちゃん』となりかねませんよ・・・。」
横から庭師も突っ込んできた。
「いや、まあ、僕達の子供の名前はきっと父上達が候補を出して来るんじゃないかと思うけど、エミーリアが一から付けることはないようにするよ・・・。」
フリッツとわーわー言いながらまだ名前を決めかねている彼女を眺める。意外にも彼女は名付けに向いてなかったらしい。
心なしか、当のひよこがはらはらしながら飼い主を見上げているようにも思えてきた。
ごめんね、君の名前は彼女が決めるよ。どうなっても我慢して受け入れてくれ。
「もう、丸っこいし好物だし、キャベツちゃんでいいじゃない!」
あ、キャベツに決まったらしいよ。
ひよこの顔が引きつったように見えた。
ここまでお読み下さり、ありがとうございました。
これで五章の本編は終わりです。あと閑話が三話続きます。