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※カール視点
「猫ちゃーん。エリザベスちゃーん。」
「奥様、そこは危ないと思いますがね。」
「カール、奥様じゃなくて所長よ!猫は、こういう狭くて暗い湿ったとこにいるんでしょ?」
そう言いながら、奥様は家と家の隙間に積まれた木箱の間に中腰で潜り込んで行く。
奥様、猫をナメクジかなんかと間違えてない?
「奥様ぁ、せめて裾持って地面に擦らずにしてくださいってば!あああ、四つん這いはヤバイですって!」
後ろで侍女のミアが手を振り回して叫んでいる。
■■
オレがこのエルベの街の『よろず相談所』の副所長(実質所長)になってから一ヶ月半。
最初はハーフェルト公爵家が後ろにいるというのは秘密でと言われたので、まず、周知のために庁舎前に張り紙を出したり、宣伝ビラを配ったりしてみたが反応は無し。
そりゃね、他国人の男がいきなり貴方の悩み解決しますなんて言っても、誰が言うかってね。
でも、住むところはあっても稼げないと一文なしのオレはすぐに食うに困るわけで、仕方なくスヴェンに泣きついた。
彼は公爵にいい含められていたとみえ、すぐに事務所隣のぬいぐるみ屋に連れて行ってくれた。そこの店主はヴォルフといい、元騎士団員とかでデニス並みの立派な体格で、驚いたことにぬいぐるみ制作も彼の担当だった。
「母も店を手伝ってくれているんだけど、もう高齢で無理がきかないんだ。手の空いてるときでいいから、店番と掃除をしてくれたら助かる。」
という、たいへんありがたい言葉をもらい、その店で働くことにした。しかも、昼夜食事付き。
このオレの容姿はぬいぐるみ店を利用する女性達に大変好評で、自分で言うのもなんだが、客が増えた。もちろん手は出してない、誘いにも乗らない。愛想だけ大盤振る舞いしている。
おかげで、バイト代が上がり、夕食にたまに酒がつくようになった。
お互い独身で年齢が近いこともあり、ヴォルフともすぐ仲良くなった。
最近、店を閉めた後、二人で酒を飲みながらこの街のことやお互いの話なんかをするようになった。
そんなある日、からんっとドアベルが鳴って店に入ってきたのは奥様だった。
町で流行りの装いで、緑の丈の長いワンピースに、これも最近流行っている長いリボン付きの髪飾りをつけていた。
彼女は入ってくるなり、会計台にいるオレに目を留めぱっと笑顔になった。
「あ、カールさん、お久しぶり。本当にうちで働いてくれているのね。ありがとう。」
「奥様、旦那様に色々言われそうなので、カールと呼び捨てで呼んでください。・・・え、うち?」
身の安全のために呼び方を訂正して、先程の奥様の発言を確認する。
奥様は後ろにミアが付いてきていることを確認してから、オレの前までやってきた。
「・・・じゃあ、カールって呼ぶわ。このお店は、私がリーンから引き継いでオーナーをしているの。相談所共々これからよろしくね。」
「そうなんですか?!こちらこそ、よろしくお願いします。ハーフェルト公爵閣下とぬいぐるみ・・・。合うような合わないような。」
見た目には似合うが、あの中身には全く似合わない。
「いえ・・・その、ぬいぐるみが好きなのは、私なの・・・。似合わないとか、その年でって言われるんだけど。」
そう小さな声で告白した奥様は、恥ずかしそうに俯いてしまった。
その様子がなんとも言えず可愛らしい。奥様がオレの中でどんどん若返っていく。本当にいくつなの?
視線を感じてハッとそちらをみると、ミアが半眼でこちらを見ていた。
旦那様に告げ口されるとマズイ。慌てて視線を逸らせて答えを返す。
「奥様がぬいぐるみがお好きなら、それでいいじゃないですか。似合う似合わないも年齢も関係ないでしょう。いやーお店までとか、奥様は愛されてますね。」
「ありがとう。」
奥様はオレの台詞に嬉しそうに微笑んで礼を言ってくれた。
うーん、旦那様に溺愛されているだけあって、反応が素直で可愛い。
オレが相手をしてきたご夫人方は金はあったけど、性格は結構歪んでたからなあ。愛情って大事だな。
「そうだ、今日は店長と打ち合わせに来たんだけど、彼はいるかしら?」
ここに来た理由を思い出した奥様にヴォルフの居場所を尋ねられた。
そうだよな、当然オレに会いに来たわけじゃないよな。
「ヴォルフなら今制作室にいますよ。」
「それならちょうどいいわ。部屋に入るわね。」
そういいながらオレのすぐ後ろの扉をノックして奥様とミアは入っていった。
そういや、奥様の護衛のデニスとスヴェンはどこだ、と探してみると、店外に一見しては騎士とはわからない普通の格好をして立っていた。さすが奥様、お忍びでもガッチリ守られてますね。
しばらくしてまた若い女性の客が来た。いつもの客とは違い、ぬいぐるみには目をくれず、おずおずとオレの前に来て紙を差し出してきた。
「あのう、ここで困り事をなんでも解決してくれるってこのチラシにあったんですけど・・・。」
なんと、『よろず相談所』の客だった!
最近、ここにいることが多いので、ヴォルフと相談してここを窓口にさせてもらうことにしたのだ。
お客様第一号に粗相があってはいけない。オレはささっと髪を整え、最高の笑顔で挨拶をした。
「初めまして。私が『よろず相談所』のカールです。ご相談はどのようなことでしょう。お急ぎならそこの小部屋で伺ってもいいですし、込み入った内容や、余人に聞かれたくないことでしたら隣の事務所で伺いますが。」
「貴方と二人きりで、ですか・・・。」
「あ、もちろん扉は開けたままにしておきます。」
慌てて付け加えたオレに、その女性はぽっと顔を赤らめて慌てて首を振った。
これよこれ、普通はね、こういう反応してくれるのよ。奥様が旦那様の美貌に慣れ過ぎて普通じゃなかっただけで。
「あの、それはまたにします。今日は、急いでいるので、ここで聞いてください。」
え、またにするって何を?この子、他にも悩みがあるってことかな。いいお客さんになりそうな予感。
「あの、私の猫を、エリザベスを探してください!完全室内飼いなのに、昨日家から逃げちゃって。まだ帰ってこなくって。もう心配で心配で。」
おー、定番の行方不明のペット探しいただきました。自警団時代も何度かやったことがある。
オレは大喜びで引き受け、逃げた時間や場所、特徴や好きなものを聞いてその子を帰した。
「ヴォルフ、すまねえが、依頼が来たんで店番できなくなっちまった。」
断りを入れるために、後ろの制作室の扉を開けると、目をキラキラさせた奥様と、オレに同情の眼差しを向けるヴォルフとミアの姿があった。
・・・嫌な予感しかしない。
「奥様・・・だめ」
先手必勝と先に断ろうとしたが、それよりも早く奥様が叫んだ。
「私もエリザベスちゃんを探すわ!これは所長命令です!」
・・・旦那様、奥様を危険な目に合わせたくなければ、今すぐ所長職を彼女から取り上げてください。権限をふりかざされたら、オレは逆らえません。
■■
そして、冒頭に戻る。
「だめだ、間違いなく汚れて出てくる。奥様は本当になんでもやりたがるんだから。本来、公爵夫人ってこうじゃないわよね?」
ぶつぶつ呟きながらミアが奥様が消えた隙間に入るべきか悩んでいる。
侍女なら行くべきでは?
護衛の二人はとっくにいなくなったぞ。
「あ、あの猫、エリザベスじゃない?」
突然、悩んでいたはずのミアが通りの向こうを指差した。
「いや、エリザベスはシャム猫だ。あれはただの白黒のぶち猫。」
「なんだー。猫ってなかなかいないわね。」
その時、奥様が入って行った隙間から、わーわー騒ぐ声がして、すぐにパタッと止んだ。
そして、ガタンゴトンと両脇に積み上げられている木箱を除けつつ、悲痛な顔をしたスヴェンが出てきた。
・・・すげえ、汚れている。どんなとこに行ってきたんだ?
「じゃーん、カール、ミア見て見て!エリザベスちゃんです!」
スヴェンの表情とは対照的に、奥様は素晴らしい笑顔で抱いている猫をオレの前に突き出した。
シャム猫、赤い首輪に金の鈴、メス。
「確かにエリザベスっぽいな。奥様すごいっすね。」
「私の髪飾りにじゃれついてきたの。」
感嘆の声をあげて奥様から泥まみれの猫を受け取り、飼い主から預かったキャリーバッグに入れているオレの横で、ミアが叫んだ。
「お、奥様、汚れすぎです!ああっその手の傷は?!」
き、ず・・・?
恐る恐る奥様の手を見れば、右手の甲に赤い線が三本・・・!
スヴェンが心底辛そうな声で一言、
「捕まえるときに猫にやられた。」
と吐き出した。
奥様の後ろから出てきたデニスも無念そうな表情を浮かべて首を振っている。
旦那様は奥様が怪我しないようにって言ってたな?
「もしや、奥様に怪我させたら、クビとか・・・?」
「いいや。それはないが・・・。」
「奥様が旦那様にとってどれだけ大事かを教えるという名目で、こってりと惚気を聞かされる。」
酷く辛そうに護衛の二人が教えてくれた。
あの人の惚気かぁ・・・。