4−19 閑話1
※エミーリア視点
(4−9と4−10の間の話になります。)
「わあ、リーンが女性にしか見えない。」
目の前の夫は、自分の頭から生えている茶色の長いまっすぐな髪を珍しげに摘んでいる。
それから侍女のお仕着せである、深緑のワンピースの足首まであるスカートを蹴って揺らしている。
「これ、歩きにくいね。」
確認するようにそう呟いて、私の着ているドレスをしみじみと眺めている。
彼は念の入ったことに目の色まで茶色に変えている。帝国にぽんと目に入れると色が変えられる道具があるらしい。
いつの間に買ったのかしら?
「旦那様、大股で歩いてはいけませんよ。」
ロッテが化粧品を片付けながら、スカートを蹴ってぐるぐると部屋を歩き回っている彼に注意した。
それに頷いた彼は、歩き方を女らしく変えて私の前まで歩いてくると、にっこり笑ってスカートを摘んで礼をした。
「初めまして。今日から奥様の侍女になりました、・・・えーっと、リー、リーゼルです。よろしくお願いいたします。」
低い声で可愛らしく小首を傾げて挨拶をしてきた彼に、私は笑顔のまま固まる。
休日の朝からいきなり何をし始めたかと思えば、まさかの女装で私の新しい侍女?!
道理で新しい侍女となら、街へ行ってもいいというわけだわ。自分じゃないの!
「旦那様、喋ったら男ってバレますよ?」
隣で面白そうに見ていたフリッツが冷静に突っ込んできた。
横の髪をぱさっと後ろに払いながら、リーンが頷く。
「そうだね。流石に僕も女性の声でずっと話すのは難しいから、もういっそ話せないってことにしよう。」
「じゃあさ、旦那様。顔にほくろとかつけたら?変装の常套手段だよ。」
「なるほど、じゃあ顔に大きなあざでも入れるかな。ロッテ、できる?」
「ええ、出来ますよ。何色にいたします?」
「赤が目立つよ!おれ、昔見たことあるんだ。その人のあざは目の上に少しだったけど、印象に残ってる。」
「じゃ、そうしよう。」
三人だけでするすると決まっていき、私の新しい侍女、リーゼルが誕生した。
茶色のまっすぐな長髪を一つに結び、大きな茶色の目、顔の上半分を覆う赤いあざ。
もはや、リーンの面影がない。
私は素直に感心して眺めていた。
彼は慣れるため今日一日、この姿で私の侍女をするらしいけど、大丈夫かしらね?
■■
いつもの休日ならリーンと一緒に過ごすのだけど、今日は彼がいるけどいないという謎の状況であるため、戸惑いが大きい。
午前中はロッテ指導の元、侍女の仕事や動きを練習する彼に付き合っていた。
彼が侍女でいるのは私が外出する時だけなので、後ろをついて歩いたり、訪問先で控えていることが主な仕事になる。
だから、歩く時の適当な間隔や、ミアと使っている様々な合図を彼に教えて実際にやってみたりした。
話せない設定なのでいつもより身振り手振りが多くなり、それにつれて表情もくるくる変わるリーゼルは面白かった。
昼食後、『僕は仕事に行っていると思って、いつも通りに過ごして』と言われ、とりあえず、図書室に本を取りに来た私はピンチに陥っていた。
「ねえ、リーゼル?貴方は私の侍女なのよね?」
こくりと頷いた目の前の彼女?に私は思わず怒った。
「それなら、こういうことをしては駄目でしょ?!」
眉を下げて悲しそうな顔になったリーゼルはそれでもやめない。
図書室の壁際に追い詰められ、倒錯的な状況で息が止まりそうな口付けを繰り返された私はついに叫んだ。
「リーンなのリーゼルなの、どっちなの!」
「あー、ごめんね?一生懸命に僕を侍女と思い込もうと、頑張っている君を見ていたらたまらなくなっちゃって。本当、今の僕はどっちだろうね。」
パニックになった私を見て彼はくっくっと笑いながら、謝ってきた。
笑いごとじゃなーい!
「もう、これじゃあ、侍女の練習にならないじゃない!」
涙目で抗議すれば、口元に手をやった彼がふっと上を見た。
私も釣られて天井を見上げる。
その瞬間にちゅ、と首筋にキスをされ、ついに私の腰が砕けた。
ずるずると床に座り込んで、リーンだかリーゼルだかわからない人のスカートをきゅっと引っ張って抗議の声を上げる。
「何するのよ!」
引っ張られるままに同じ目線にしゃがみこんだリーンは笑顔だ。
「いやもう、本当にごめんね。侍女って主人のちょっと後ろを歩くじゃない?そうしたら君の綺麗なうなじが目に入ってきて。普段は横に並ぶことが多いから、それが刺激的過ぎて我慢出来なくなっちゃった。」
「そこは我慢してよ!」
咄嗟に自分の首を両手で隠す。ショールを持って来ればよかった。
「休みだしさ、普段と違う方向から君を見てるとこう衝動が身体の奥から・・・」
言いながらいつの間にか彼の顔が間近に迫っている。またキスされる!
ぎゅっと目を瞑ったところで、扉がノックされた。
「奥様ー、あと旦那様?リーゼルさん?どっちでもいいけど、お茶の用意ができましたよ・・・って何してるんですか?旦那様、めっちゃ男になってるよ?侍女になるんじゃなかったの?」
現れたフリッツが呆れたようにリーンに言えば、リーンが残念そうに服をはたきながら立ち上がった。
「侍女になるって難しいね。エミィが可愛すぎて自分を抑えられないよ。」
リーンは続けて私を引っ張り起こすと、そのまま抱きしめてきた。
それに対して、フリッツにとんでもないところを見られて恥ずかしくて堪らない私は冷たく言い放った。
「貴方が侍女になるのを止めるか、煩悩を捨て去らないとこの作戦は実行不可能よ。」
彼が悄気た。
■■
雨が降り出しそうな空模様なので、今日は部屋でのお茶となった。
リーゼルの格好のまま、向かいで優雅にお茶を飲むリーンに違和感しか感じない。
彼は窓の外を眺めて、物思いに耽っている。それをいいことに、なるべくそちらを見ないようにしながらお菓子を食べていたら唸り声があがった。
「うーん、他にいい方法も思いつかないから、僕が侍女でいる間は、君に邪な気持ちを抱かないように努力するしかないね。」
彼が難しそうな顔で話してきた内容に、私は頬を緩めた。
ああ、そのことについて考えてたのね。
「じゃあ、私が貴方の名前を呼ぶまでリーゼルでいるとか、合図を決めて切り替えるというのはどう?」
「それはいいかもね。」
「うっかりリーンと呼んでしまわないように私も気をつけなくちゃね。よし、夕食までの時間、慣れるようもう一回練習しましょ。」
お菓子を食べて元気になった私はやる気満々で勢いよく席を立つ。
「庭の散策はどうかしら?・・・ああ、雨が降ってきちゃったみたい。残念だわ。」
先程までリーンが見ていた窓から庭を見下ろせば細かい雨が降ってきていた。
雨の日の定番である図書室はさっき行ったし。庭以外で彼に迫られずに済む所ってどこかしらね?・・・と目を庭に向けたまま考えていたら、後ろから抱きすくめられた。
「リーン?!今はリーゼルでしょ?!」
「練習も大事だけど、その前に僕の煩悩を無くしといた方がよくない?」
耳元で囁かれた内容に動転した。
「ひっ昼間です!練習を先に!」
「夜ならいいんだ?じゃあ、我慢しようかな。」
夜ならいいとは言ってない!・・・いえ、今よりはいいけど。
それより耳のすぐ横で笑われるとくすぐったいんだけど?!
彼の腕から抜け出そうと、身をよじる。
「・・・エミィ。囮にしてごめんね。危ない目に遭わないように僕が全力で守るからね。」
急に真剣な声が聞こえてきて私は抜け出すのを止め、くるりと彼の方へ身体を向けた。
案の定、彼の目は不安を滲ませている。
両手でその顔をふわりと包んでキスをする。
「リーンがここまでして側にいてくれるから全然怖くないわ。二人でさっさと片付けてまた街でデートしましょ?」
「うん。ありがとう、エミィ。」
「私こそいつも守ってくれてありがとう、リーン。」
ここまでお読み下さり、ありがとうございました。
実はこんな感じでリーゼルができていました。