4−12
※エミーリア視点
「なんだ。エミーリアの方がやり込めちゃったのか。昔は言い返すこともなく黙ってばかりだったくせに、権力を持って強くなったってわけ?」
庭から入ってきたその青年は、逆光で誰かわからないが、私のことを知っているようだった。
「まさか、リーンハルト王子の愛のおかげとか言わないよな。気持ち悪い。」
ああ、今は王子じゃないんだっけ、と言いながら近づいてくるその声に聞き覚えがあるような気がして、私は必死に記憶をかき回した。
なんだか嫌な気持ちがしてたまらない。どこで聞いたんだっけ?!
泣いていたマルゴット嬢が彼を見て、勢いづいた。
「貴方、来るのが遅いわよ!さあ、早くこの人達を連れて行って頂戴。」
「マルゴット様、こんなでかいの二人という話にはなってなかったですよね。こちらとしてはエミーリア一人のつもりだったんですけど。」
「いいじゃない。売り物は多いほうが良いでしょ。感謝しなさいよ。」
「しょうがない人だな。」
「私、貴方に言われた通りにエミーリア様をここに連れてきて足止めしといたのよ。」
「ああ、まあ、余計なものもいるけど、礼は言うよ。」
そう言いながらマルゴット嬢にキスをした青年の横顔を見て、私の口からその名前が勝手にこぼれた。
「ディ、ディルク・・・。」
濃い金の髪、緑の目。何より、私によく似たその顔。もう五年以上会っていない弟の登場に私は真っ青になった。
彼が、首謀者だったんだ。それなら納得がいく。この弟は、昔から私のことを相当嫌っていた。
「やあ、覚えててくれたんだ、お姉さま?僕や母上にあんなに蔑まれていたお前が、この国の貴族最高位のハーフェルト公爵夫人だなんて笑えるよな。」
お姉さまと呼ばれて背筋がぞっとした。彼に姉扱いされたことなどない。
いつもお前とかゴミと呼ばれていたので、極力出会わないようにして、会ってもなるべく目を合わさないようにして通り過ぎていた。
なのに、なんでこんな所で。
「ディルク・・・?お姉さまって・・・?貴方は帝国のボーヴェ商会の息子のプラチドじゃないの?」
戸惑うマルゴット嬢の台詞で、ディルクが今は違う人物になっていることを知る。
私が知っているのは、彼が十七歳で学園を中退して、東の騎士団に入ったところまでだ。私は結婚直前に実家と縁を切ったため、それ以降の消息は一切知らない。
きっとリーンが私の耳に入らないようにしてくれていたんだと思うけども、まさか、あのプライドが高く、侯爵家子息であることを鼻にかけ、人を見下してばかりのディルクが、商人になっていたなんて。
驚く私を見てディルクがにやりと嗤う。それから視線を私へ向けたままで、隣のマルゴット嬢へ説明する。
「そうさ、僕はもともとこの女と同じノルトライン侯爵家の息子だったんだ。なのに、この女が婚約者の王子を唆し、侯爵家の財産を根こそぎ取り上げて社交禁止になんてするもんだから、実家は没落、仕送りが止まって遊べなくなった。それで仕方なく、もう一人の姉を頼って帝国へ行ったんだ。」
「東の騎士団にいたなら・・・。」
あそこは衣食住支給されて困らないはずでは、と突っ込むと睨まれた。
「はあ?!お前はほんとにバカだな。なんで僕が最低限の支給品生活をしなくちゃいけないんだよ。一番規律が緩くて遊び放題だって聞いたから東の騎士団に行ったのに、金がなくちゃ意味ないだろ?!」
まくし立てられて一歩下がった私は、後ろに控えていたリーゼルに当たった。
こんな近くにいてくれたんだ。
大丈夫?というように大きな手でそっと肩を支えられてそのぬくもりに安心した。
それを見たディルクが顔を歪めて嘲笑う。
「その女の顔、噂以上に酷いな。でも、おかげでお前がマシに見えるよ。よく考えたよな、そいつ一人雇うだけで、慈善行為と自分の欲を満たせる。喋れないっていうのも考えようによっては便利だ。リーンハルトもそう考えたんだろうが、やっぱり腹黒いよな。」
ディルクは私とマルゴット嬢の会話を盗み聞きしていたらしい。
リーンを悪く言われて、私に火がついた。
「ディルク、軽々しく私の夫を呼び捨てにしないで。それに彼は腹黒くないし、人を顔のあざなんかで判断しないわ!」
「ふざけんな!誰のせいでこうなったと思ってるんだよ。お前のせいだろーが!知ってるか?父上は爵位をルーカスのやつに譲って、母上と領地で隠遁生活だ。そのショックで母上は寝込んで毎日お前を呪っているよ。」
いつの間にか実家は長兄に代替わりしていたらしい。続けて叩きつけられた両親の話に私は動揺した。
その様子を見てディルクが嬉しそうに嗤う。
「多少は罪悪感が湧いたか?お前は親をそんな目に合わせた罪滅ぼしをしなきゃならないんだよ。帝国の向こうの国に、お前を高く買ってれる人がいるんだ。なんでも灰色の髪と目の女に昔々恋をして、こっぴどく振られたんだってさ。お前をその代わりにしたいらしいぜ。」
ディルクの話す内容に戦慄した。この男、私を誰かに売るつもりなの?!
実家から持参金名目で受け取った慰謝料は、まるっとそのまま手つかずで置いてある。
世の中には灰色の髪と目だと言うだけで、あの金額で私を買いたい人がいるらしい。お金の無駄遣いだとしか思えない。
「本当なら子供の頃に買って好みに育てたかったらしいが、一足違いで第二王子の婚約者になんてなっちまったから、父上が王家に気兼ねしてお前を売ることを承諾しなかったんだと。母上はお前の買値に目がくらんで必死で婚約を破棄させようとしていたけど、お前も王子も言う事聞かなかったなあ。」
母が私達に婚約破棄させたがっていた裏にはこんな理由もあったのか。
私は、リーンと婚約したことでこれほどまでに自分が守られていたことを初めて知った。
ディルクは滔々と話を続ける。
「最初はリーンハルトのやつにこの話をして、金を取ろうかと思ったんだが、あいつはそんな優しい男じゃないからな。いつもすました顔してむかつくし、うちを酷い目にあわせた仕返しに、あいつにも痛い目見せてやんなきゃ気が済まないと思って、お前を売ることにしたってわけ。」
「なにそれ。まるっきり個人的な恨みじゃないの。それに私、エミーリア様を売るなんて聞いてない。ちょっと遠くへ捨ててくるだけだって言ってたじゃない。」
突然、今まで大人しく横で話を聞いていたマルゴット嬢が口を挟んできた。
マルゴット様、ちょっと捨ててくるって私をなんだと思ってたんですか?
ディルクはうるさそうに、袖を掴んで抗議するマルゴット嬢を乱暴に振り払った。
きゃっと床に尻もちをついた彼女へ、反射的に駆け寄って手を差し伸べる。
それは同時にディルクの近くへ行くことになった。
それを見逃すはずもなく、ディルクがすかさず私に向かって手を伸ばしてきた。
しまった、捕まってしまう。
子供の頃ディルクの機嫌が悪い時に出会うと、こうやって手が伸びてきて、叩かれるか、髪を掴んで引き倒されていた。
その蘇った恐怖にぎゅっと身を縮めた私へ、今度の手は届かなかった。
「侍女風情が何をするんだ、離せよ!」
ディルクの苛立った声に金縛りが解けて目を開けると、私の前にはリーゼルの背中があった。
「リーゼル!」
どうなっているのかと見れば、リーゼルがディルクの手首を掴んで止めてくれていた。
ディルクは東の騎士団にいたはずなのに、リーゼルの手を振り解けず、真っ赤な顔になっている。
私と目が合うとわめき散らした。
「なんだよ、バカにした目で見るな!この侍女、なんでこんなに怪力なんだよ、女としておかしいだろ?!」
ああ、それは、まあ。
ここまでお読み下さり、ありがとうございました。
弟、初登場です。前作で思ってたのと全然違う性格になりました。
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