4−10
※エミーリア視点
あの夜会から数週間後、社交界に新たな噂が高速で流れた。
「ハーフェルト公爵夫人のお話、聞きまして?」
「ええ。異国の男と孤児をお拾いになったと思ったら、今度は出自のよくわからない女を侍女にしたのですってね。」
「しかも、その侍女は顔に大きな痣があって、口もきけないらしいわ。」
「まあ。それで侍女が務まるのかしら?」
「見た方が仰るにはとても背が高いそうで、あの顔で見下ろされると不愉快だと。」
「それでついにハーフェルト公爵閣下も、完全にお気持ちが離れたそうよ!最近お二人が一緒におられるところを見た方はいないとか。」
「まあ!それはそれは、夫人はお気の毒ね。うふふ。」
噂の主が有名であり、内容がその人を貶めたり不幸になるものほど、広まるのが速いと思う。
そういう点でこの噂はこの年最速で拡散したようだった。
おかげで私はどこへ行っても、いつも以上に注目を浴びた。
後ろに控える新しい侍女は平然としているので、私もそうしていたが、心の中では憤っていた。
好き勝手に話を拡げないで!名誉毀損で訴えるわよ!
■■
「前回の方は首謀者じゃなかったのよね。じゃあ、今日のマルゴット嬢かしら。あの方とのお茶会はものすごく・・・疲れそう。」
オーデル伯爵家へ向かう馬車の中で、夜会でマルゴット嬢と話した時のことを思い出し、自然とため息がこぼれた。
隣に座る新しい侍女のリーゼルが、私の手をそっと握って励ましてくれる。
濃い茶の髪をすっきりと纏めてハーフェルト公爵家のお仕着せを着たリーゼルは、優しい光を湛えた焦げ茶の目で大丈夫、と伝えてくれていた。
「ありがとう。私、頑張るわ。」
そうよ、リーゼルがいてくれるのだから、怖いものなんてないわ。
■■
「エミーリア様、ようこそいらしてくださいましたわ。」
オーデル伯爵の屋敷の玄関で馬車から降りれば、マルゴット嬢が出迎えてくれた。
私はロッテとリーゼルが、完璧に仕上げてくれた公爵夫人の装いに恥じぬよう、精一杯胸を張って彼女の前に立ち、挨拶を交わした。
「本日はお招きありがとう。マルゴット様。」
「おいでいただけて嬉しいですわ。」
にこりと笑う彼女は大変可愛らしくて、私は思わず後ろを振り返りそうになる。
その時、目の端に映った自分が着ているドレスの色に思いとどまる。
そうだ、今日ここにリーンはいない。後ろにいるのはリーゼルだ。
だから、彼の瞳に一番近い色の大好きなドレスを纏ってきたのだった。装飾品も全部青い。私の戦闘服だ。
その私の姿を見たマルゴット嬢の顔に、一瞬だけ嘲るような笑みが浮かんだのを見た。
彼女のドレスは薄黄色と青。間違いなくリーンの髪と瞳の色を意識している。私はいつも彼の瞳の色だけしか纏っていないので、勝ったとでも思ったのだろう。
そういうことで勝ち負けは決まらないと思うのだけど、彼女はそうは思っていないらしい。
ああ、やっぱり今日は、楽しくないお茶会になりそう。
めげずにしっかりやろう、と心の中で気合を入れ直していたら、おもむろにオーデル伯爵家の執事に頼まれた。
「ハーフェルト公爵夫人、申し訳ないのですが、当家には公爵家の馬車やお供の方にいて頂く場所がございません。一度お戻りいただき、時間になったらお迎えに来て頂いてもよろしいでしょうか?」
私は手に持っていた扇を開いて振り返り、首を傾げる。
確かにうちほど広くはないけれど、門からこの玄関まで広々とした地面が見えている。
・・・充分なスペースがあるように見えるのは、私の目が悪いのかしらね?
先日行った同じくらいの規模の伯爵家では、そんなことを言われなかったのだけど、それぞれ事情があるわけだし、比べるのは良くないわよね。
私はちらりとリーゼルを見て執事へ向き直った。
「分かりました。護衛と馬車は帰します。ですが、不便ですので侍女は連れていきます。」
侍女まで帰せというなら、私も帰る。という雰囲気を隠すことなく前面に押し出す。
それを察した執事はおろおろとマルゴット嬢の方を見る。彼女は、リーゼルの顔を見て嫌そうな顔をしたが、仕方ないといった体で頷いた。
・・・ああ、もう帰りたくなってきた。
玄関での小競り合いが決着し、使用人の案内でマルゴット嬢と共に屋敷内を移動する。
今日は晴れていいお天気だったので、てっきり庭でお茶会をするのだと思っていたら、一階端っこの小部屋に通された。
庭へ出られる大きなガラスの扉があるので、室内は明るくて暖かい。
春を待つような明るいピンクのクロスが掛かったテーブルの上には、美味しそうなお菓子とお茶がセットされていた。
このクロスの色、私には似合わないわねえ。嫌がらせかと正面に座ったマルゴット嬢を見れば、彼女の薄黄色と青のドレスにもいまいち合ってなかったので、そうではないらしいと判断する。
多分、彼女は普段、ピンクや赤系のドレスが多いのだろう。今日は、無理矢理リーンの色を纏おうとして外してしまったのか。
無難にクロスの色は白にすれば良かったのに。
オーデル伯爵家の使用人は誰もつかず、扉の側に私の侍女のリーデルが控えるのみの室内で、お茶会が始まった。
「エミーリア様、うちの自慢のケーキですの。どうぞ召し上がってくださいませ。」
「ありがとう。」
お茶とケーキを勧められて礼を言った私は、後方に控えているリーゼルに視線を向けた。
さっとやってきたその侍女は、当然のようにお茶とケーキの毒味をして大丈夫と頷いた。
呆気にとられた顔をしているマルゴット嬢へ、私はちょっとすまなさそうな表情を作って見せた。
「気を悪くしないで頂戴ね。疑っているわけではないのよ。決まってて・・・。」
「まあ!そうなんですね!さすが、ハーフェルト公爵家ですね。」
毒味の件は、実は公爵家の慣習とかではなく、『君は、気が付かずに食べちゃいそうだから親しくない人の屋敷で出された物は必ずするように』、というリーン個人のお達しなんだけどそれは言わなくてもいいか。
「・・・オーデル伯爵家ご自慢なだけあって、このケーキ美味しいわね。」
「ええ、これを作ったのは元は帝国の人気菓子職人なのです。わざわざうちが引き抜いてきたのですよ!」
「まあ、すごい。」
ケーキを一口食べて微笑み返せば、彼女も嬉しそうに説明してくれた。
それから、マルゴット嬢とのお茶会は何事もなく進んだ。
思っていたより普通に会話ができていることで私は警戒を緩めた。
私に敵対心は持っているようだけど、そんなに酷くないし、あんな誘拐事件を企むようには思えない。
彼女もこないだの令嬢と同じで、事件とは関係ないみたい・・・。
ちょっと早いけどそろそろ帰ろうかな、と思い始めた時、正面のマルゴット嬢が今までで一番可愛らしい笑顔を見せた。
彼女が笑うと周りがぱっと華やかになるわねー。羨ましい・・・。
そんなことを考えながら眺めていたら、彼女が口を開いた。
「ねえ、エミーリア様?私は貴方のように顔の半分も赤いアザに覆われた醜い顔の女を側に置いて、自分の美しさを引き立てる必要はないんですよね。ですから、その侍女も貴方と一緒に追い出していいですよね。」
それを聞いた瞬間、帰る準備をすべくお茶を飲み干していた私は、カップとソーサーを持ったまま動きを止めた。
ん?今、マルゴット嬢はなんて言ったの?
「えっと、マルゴット様?私と侍女を追い出すと聞こえましたけれど・・・?言われなくとも、私達はもう帰りますよ?」
聞き間違いかと、ちょっとどきどきしながら声を掛ければ、今までは何だったのかと思うほどにきつい目で睨んできた。
私、何かした?!
「帰さないわよ?何の為にうちに呼んだと思っているのよ。ハーフェルト公爵家に戻らせたりしないわ。貴方達はこのまま居なくなるの。」
そんなの、初耳ですが?!
ここまでお読み下さりありがとうございます。
エミーリア、ピンチ・・・なのか?!