4−6
※エミーリア視点
つ、疲れた・・・。
私は笑顔を張り付けたまま、扇の陰でため息をついた。
嫌味や当てこすりはいつものことだけど、今日は特別酷い。
結婚当初ですら、ここまで酷くはなかった。
皆、私がリーンに捨てられかけていると思った瞬間、今までの鬱憤を晴らすかのようにありとあらゆる悪口を浴びせてきた。
もちろん、オブラートに包んで遠回しにだけど、それ破れてるわよ。それとも、包み方が下手くそなのかしら。
それにしても、皆さん、義兄にかけてもらった励ましの言葉などあっという間にひしゃげてしまうほど、きつい。
これまで、私がどれだけリーンに庇護されていたかが身に沁みた。帰ったら、彼にお礼を言わなくちゃ。
だけど、と私は心の中だけでふっと笑う。この後、それが勘違いだったと分かった時、この人達はどんな反応をするのだろう。
私の記憶力はいいのよ?貴方達が言ったことは忘れないわ。
リーンが、今日で本当に自分にとって大事に付き合うべき相手が分かるよ、と言っていたが、その通りだった。
大半は様子見を決め込み、いつものように仲良くしようとしてくれる人は極少数しかいなかった。
しかし、極少数でも、ハーフェルト公爵夫人の看板が剥がされそうな私と、今まで通り付き合おうとしてくれる人がいることに驚いた。
そろそろ、女性達とのお話を終わりにしても良い頃合いになってきた。
ふっと口撃が途絶えたところで、にこやかに挨拶をして、私はその輪から抜けだした。
リーンはどこかしら、と会場を見回すとなんとまだ踊っている。
ちょっと待って?何人と踊っているのよ?!そりゃ、断りきれなかったとか、色々あるでしょうけども。でも!この後、よろず相談所の依頼で、フィリップが浮気していないか見に行く予定なのに。
リーンも一緒に行くって言ってたじゃない。
うーん・・・よし、彼は大変忙しそうだから私が一人で行きましょう。
一人で会場から出ては駄目だと言われているけど、これは依頼を果たすために必要なことですからね!
私はちょっぴりのリーンへの当てつけと、何も起こらないだろうという希望的観測の元、人の間を縫って廊下へ出た。
■■
広い廊下は人けがなくて灯りが控えめで薄暗い。
でも、所々に衛兵や警護の騎士がいるので安全に思えた私は、一人でどんどん歩いて行った。
最近、フィリップと正式にお付き合いを始めたリリーは、夜会できらびやかな女性達の近くにいる彼が浮気をしないか、気になってたまらないらしい。
仕事中にそんなことに気をとられる人ではないと思うのだけど、リリーは心配している。
それで、私が夜会の時の彼の様子を確認して、彼女を安心させてあげようということになったのだ。
好きな人が、自分の知らないところで他の女性と仲良くしてるなんて、想像するだけで辛いものね。彼女の不安を軽くするためなら、お安い御用よ。
「えーっと、この時間にフィリップがいる場所は庭園だったかしら・・・。」
独り言を呟いて歩いていると、後ろから呼び止められた。
「エミーリア様。少しお話をさせていただいてもよろしいですか?」
この場で私のことを名前で呼んでいいのは、夫と王族くらいなのに。この無礼な女性は誰?
きっと振り返った私の前に立っていたのは、リーンが最初に踊ったマルゴット・オーデル伯爵令嬢だった。
「マルゴット・オーデル伯爵令嬢。私にどのようなお話があるのですか?」
私は咄嗟に扇を開いて顔を隠し、できる限り冷たく返した。
彼女は全然、怯まない。それどころかにこにこと笑っている。
・・・私、迫力足りなかった?黒いの背負ったリーンの真似をしてみたのだけど・・・。
「エミーリア様、これから私と仲良くしてくださいませね!それでですね、今度うちにお招きしたいのです。いらしてくださいますよね。」
・・・マルゴット嬢、その誘いは私が断らない前提なのね?
ああ、断りたい。扇をへし折って投げつけて、名前で呼ばないで、行くわけないでしょっ、と叫んで立ち去りたい。
でも、このために私達は今夜わざわざ別行動をしたのよね。
「お招きありがとう。明日にでも手紙で私の予定を伝えるわ。用件はそれだけかしら?」
ぐぐっと荒れ狂う感情を抑えて、公爵夫人の威厳を崩さないように微笑む。
「ええ。お越しいただける日を楽しみにしております。」
彼女も負けじと美しい笑みを返してきた。
彼女と別れて歩き出したものの、私の胸には不安と嫉妬が渦巻いていた。
マルゴット嬢は背丈が小さめで、目が大きくて可愛らしかった。リーンの横に並んだら、私よりお似合いなのでは・・・。もし、あの人とリーンを取り合うことになったら勝てるのかしら?
いえ、大丈夫。これは、お芝居なのだからそんなことにはならないのよ、エミーリア。
そう自分に言い聞かせはするものの、なんだか無性にリーンに会って話したくなった。
彼からも大丈夫、そんなことにはならないから、と言って欲しい。
やっぱり会場に一度戻ろう、そう決めてくるりと踵を返したら、
とんっ
誰かにぶつかってしまった。
慌てて謝罪しながら相手を見れば、何度か見かけたことはあるが、話したことのない年上の男性だった。
えーっと誰だったっけ。ナントカ子爵の次男か三男だったような・・・?
「ごめんなさい。お怪我はないかしら?」
そう相手を気遣ったものの、実際は怪我など何もないだろうから直ぐに別れるつもりだった。
なのに、相手は私を見て急に蹲った。
「これは、ハーフェルト公爵夫人。・・・申し訳ありません、ぶつかったところが大変痛むので肩を貸していただいても?」
「えっ?!どこが痛いの?大変、急いで誰か呼ぶわね!」
私がぶつかったことで彼に怪我をさせてしまったらしい。
おかしいな?私はいつからそんなに強くなったのかしら??
とにかく怪我人がここにいるわけだから、なんとかしなくては、とその辺りを警備している騎士か衛兵を呼ぼうと彼に背を向ける。
「公爵夫人、それには及びません。貴方の肩にこうちょっと、腕を置かせていただけたら。」
そう言いながら彼が私の肩に手を廻してきた。全身がぞわっと震える。
何これ、嫌だ!
「そこの部屋で少し休めば治りますから、そこまで肩を貸してくださればいいんですよ。」
何そのよくわからない怪我!絶対嘘だ、この人は怪我なんてしてない。
私は身の危険を悟って、私を引きずって行く男の腕から逃げ出そうと身体を捩った。
でも、肩に回された腕はびくともしなかった。
「離して!怪我なんて嘘でしょ。」
誰か気づいてくれないかと声を張り上げたら、反対の手で口を塞がれ壁に押しつけられた。
「大人しくしろよ。お前、ハーフェルト公爵から飽きられたんだろ?だから、俺が拾ってやろうかって言ってるわけ。」
言ってない、この人そんなこと一言も言ってなかった!それに、私はリーンに飽きられてなんかいない!貴方なんかに拾って貰わなくて結構よ!
私は全力で彼を蹴った。こういう時に使うよう義姉に習った通りに、力いっぱい足を振り上げた。
「痛いっ!」
予定と違い彼の足に当たったが、拘束は緩んだ。
私は彼と壁の間から急いで抜け出し、逃げようとした。
「痛いな!何するんだよ。俺から逃げられると思うなよ。」
がっと手首を掴まれる。しまった、また逃げられなくなった。
蹴ろうにも、今度は向こうも警戒して間があきすぎて届かない。
掴まれた腕を振っても、もちろん無駄だった。
「離しなさい!無礼よ!私を誰だと思ってるの。」
「貴族トップの夫人の座から見事に落とされた惨めな女だろ?じきに公爵家から追い出されるんだろーが。見た目は良いから、お情けで飾りとして横に置いてやってもいいって親切に言ってやってるわけ。」
すごい、この短い間でそこまで噂が進んじゃってるの?!
えー、私はリーンに飽きられて公爵家から追い出されて、路頭に迷うってことになってるんだ。
「残念ね。私はたとえ公爵家を追い出されても、行くところはあるし、読み書き計算ができるからどこかに雇ってもらったり、ぬいぐるみの行商でもして生きていくわよ。貴方なんて必要ないわ。」
とっさに口から出た言葉だけど、それもいいかもしれないと一人で頷く。
窮屈なことが多い公爵夫人を続けるより、意外と楽しそうな気がするわ。
ここまでお読み下さりありがとうございます。
エミーリア、公爵夫人以外の道を思いついてしまった・・・。