1−2閑話
※リーンハルト視点
僕はかなり苛立っていた。だって、一ヶ月ぶりに帰ってきてみれば、妻は出迎えてくれるどころか、他の男に口説かれている最中で。
僕の逆鱗に触れた不届き者は後できっちり仕置するとして、問題は今腕の中で黙っている妻だ。
僕は君の口からあの言葉をまだ聞いてないんだけど。
抱き上げたまま玄関まで戻ってきた時、エミーリアが下ろして欲しいと言ってきた。このまま部屋へ行こうと思っていた僕は渋ったけれど、いつになく強く願うものだから仕方なくその場にそっと立たせた。
「リーンはそこに立っててね。」
と言いながら二、三歩下がった彼女はドレスを捌き、優雅に礼をした。
結婚してからの二年間で、こういう動作は実に公爵夫人らしく、美しく堂々とできるようになった。
僕は久しぶりに見る妻の華麗な動作に見惚れる。
「使節という重要なお仕事を無事に終えられ、お元気でお戻りになられたこと、祝着に存じます。」
正式に挨拶をしてきた彼女に僕も背筋を伸ばしてありがとう、と返す。
でも、本当にして欲しいことはこれじゃない。そのまま見つめていると上体を起こした彼女と目があった。
「これでやり損ねたお迎えの儀式は終了ね!」
彼女はそう言うなり、輝くような笑顔を浮かべると床を蹴って僕に飛びついてきた。僕は待ってましたと抱きとめる。
「おかえりなさい、リーン!」
やっと待ち望んでいた言葉がもらえた僕は嬉しくて、彼女の背に回した腕にぎゅっと力を込めた。
・・・ところで、さっきから玄関ホールの階段下や物陰など、あちこちから使用人達の視線を感じるんだけど。しかも大半がハンカチで涙を拭いてるのが見えてちょっと驚いている。
エミーリア、君、僕がいない間どんな生活をしてたの?
昼食後、二人きりになった時、彼女にずっと聞きたかったことを尋ねた。
「ねえ、僕がいない一ヶ月どうだった?手紙では友達や義姉上との話が多かったけど。」
「楽しかったわ。アレクシアは何回か遊びに来てくれたし、私も彼女の所へ行ったし、アルベルタお義姉様とは昼食や夕食をご一緒させてもらったりしたわ。」
彼女は、ニコッと笑ってそう答えた。
久しぶりに見る妻の笑顔をじっくり観察する。
「ふーん。じゃあ、あの男が言ってた僕がいなくて君が寂しがってた、というのは?」
「・・・カールさんの勘違いじゃないかしら。」
目を、逸らされた。なるほど。あの男の言うことは嘘ではなかったらしい。でも、寂しかったと彼女の口から聞きたい。僕の心に久しぶりに嗜虐心が湧き起こった。
「僕はとても寂しかったのに、エミィは僕がいなくても平気だったんだ。そっか。」
僕はそっぽを向いて意地悪を言ってみた。彼女も『私だって寂しかった』くらい言ってくれるかと思ったら、隣からは何の答えもない。
そっと横目で様子を伺えば、妻は両手でぎゅっと膝を掴んでぼろぼろ涙を零していた。
「ちょっ、ちょっと、どうしたの?!あーもう、僕が悪かったです、ごめんなさい!もう二度と言わないから泣かないで?!」
予想外の緊急事態に、僕は大慌てで彼女を抱き寄せて涙を止めようと努力するも、全くおさまる気配がない。
あー大失態だ。泣かれるのは何年ぶりだろ。
「本当に意地悪を言ってしまってごめんね。僕は君と会えなくて本当に寂しくてたまらなかったのに、君は僕がいなくても義姉上達と楽しく過ごしてたかと思うと焼き餅焼いてしまって。いや、君が楽しく過ごすのはすごくいいことなんだけど・・・」
言い訳してみるも、僕のシャツを掴んでうーっと声を漏らしながらひたすら泣く妻に、罪悪感がどんどん増していく、と同時に愛しくて愛しくてたまらない気持ちも溢れて彼女の頭に口付けた。
その気配を感じたか、エミーリアが僕の背中に腕を回してぎゅうっと抱きついてきた。
それから鼻をぐすぐす言わせながら、話し始めた。
「これからまたお仕事でリーンが居ないこともあるだろうから、留守番に慣れるいい機会だと思って一人で頑張ろうって決めてたのに。」
「うん」
「食事するのも、眠るのも、以前は一人で平気だったのに、それが思っていた以上に寂しくて寂しくて。しかも今回は船だし、無事に帰って来てくれるのか心配で。」
「うん」
やっと彼女に『寂しい』と言わせたけれど、ちっとも嬉しくない。思っていた以上に心が痛い。
これなら、全然寂しくなかったと、義姉達と楽しく過ごしていたと笑顔で言われたほうが良かった。
彼女が寂しがることと、泣くことがセットだと忘れていた自分を呪う。
腕の中で堰を切ったように気持ちを吐露する彼女を全力で受け止めることしか、僕にはできなかった。
「でも、皆が私が寂しくないように気を使ってくれてるのがわかるし、私は公爵夫人なんだから我慢しなきゃと思って、絶対泣かないようにしてたのに!リーンが!」
「あー、僕が全面的に悪かった!本当に申し訳ないです。お詫びになんでもするから、泣き止んで?」
「無理・・・一ヶ月分だもの。無理よ。」
「分かった。じゃあ、僕が責任持って君の涙を止めるから。」
そっと顎に手をかけてこちらを向かせる。あーあー、もう涙でぐっちゃぐちゃ。それでも、どこの誰より可愛いと思ってしまう。
ハンカチで顔を拭いてもまだまだ涙が零れてくる。
目尻に唇をつけてそれをすくう。反対の目も。それから、涙で湿った彼女の唇にもキスを。
「エミィ、目を開けて、僕を見て?」
泣いて少し赤くなった綺麗な灰色の瞳がゆっくりと僕に視線を向ける。お互いの視線を絡めて僕は彼女の頬にそっと手を添えた。
「君の言うように、これからも僕は君をここに残していくことがあると思う。でも、その度に君に寂しい気持ちを我慢させるなんてしたくないんだ。」
エミーリアの目が瞬く。口が動いて声にならない言葉が聞こえた。
でも、それは私の我儘だから・・・。
「僕のいない間に感じた君の気持ちを聞かせて欲しい。それは我儘じゃないんだ、何が辛いか教えてもらえれば、僕にしてあげられることがあるかもしれないし、どうすればいいか君と話し合って探すこともできる。」
それでも、と思い悩む彼女の背中を撫でながらささやく。
「大丈夫、婚約の時に約束したよね。僕は君が何を言っても嫌いになんかならない。」
彼女の目からまた涙が溢れる。そして、ようやく、彼女の声が聞こえた。
「リーンと会えない日が続くと、いつも通りやろう、帰ってくるまで頑張ろうと言い聞かせても心が沈んでしまうの。それから食事の時に一人で食べることが一番辛かったわ。どうしても結婚前に屋敷で一人だったことを思い出すの。料理長が一生懸命作ってくれるのだけど、私、どんどん食べられなくなってしまって。申し訳なくて・・・。」
ああ、それで使用人一同が泣くほどに僕の帰りを待ちわびていたわけか。
・・・あれ?食べられなくなっていたということは。
妻をひょいと持ち上げて膝に乗せてみる。
さっきはそれどころじゃなくて気がつかなかったけれど、随分軽くなってるね!
僕の意図を悟った彼女が顔を両手で覆って詫びてきた。
「ごめんなさい!」
「うーん、減り過ぎだよ・・・。」
僕は頭を抱えた。エミーリアは成長期に母親による虐待でちゃんとした食事がとれておらず、痩せ過ぎでしかも食が細い。結婚してから使用人達と健康的な身体作りに励んできたのだが、随分と後退してしまったようだ。
「食事は君にとって一番大事なんだよ。そうだ、僕がいない時は侍女のミアやロッテと一緒に食べたら?それでも寂しければ、手の空いた皆で食べたらいいよ。」
「それは、楽しそうね。でも、いいの?」
「外にバレなきゃ何も言われないよ。とにかく、君が食べることが優先だ。」
彼女は僕の提案に喜びつつも、世間体を考えて問い返して来たので、そう返しておいた。
頭の中ではバレた時の揉み消し方を十通り程考えていたが。
「ねえ、エミィ。僕も君と離れて寂しいけど頑張って仕事してきたから、ご褒美に君からのキスを頂戴?」
膝の上の妻に甘えたら、直ぐに一瞬だけ唇を柔らかいものが掠めていった。
いつもなら恥ずかしがって、なかなか自分からはしてくれないからその早さに驚いたが、それだけ僕の帰りを喜んでくれているんだと思うと嬉しくなる。
君のいない場所でこの感触をどれだけ望んだか。こんな短い一回だけなんて足りるわけがない。今度はこちらから何度も優しく唇に触れるのを繰り返す。
あれ、止まらなくなってきたかも。
だって、一ヶ月ぶりに愛する妻の声を聞いて、彼女の匂いに包まれて、柔らかい肌に触れてしまったわけで。
どんなに頭に思い描いても、抱きしめることができなかった愛しい女性が目の前にいて、もう阻むものは何もないわけで。
直ぐに僕の頭の中は目の前の彼女のことだけでいっぱいになった。
そのまま深く口付け始めたら、さすがにエミーリアからストップがかかった。
「も、もうお終いで!」
両手を力いっぱい突っ張って、僕から離れようとしてきたけれど、もう遅い。
彼女の両手を掴んでそのままソファに押し倒す。
「今度は僕が止まらなくなっちゃった。だって一ヶ月も我慢したんだもの。」
その宣告を聞いて全身真っ赤になった可愛い可愛い妻と目があった途端、僕の頭の何かが吹っ飛んだ。
そのまま抱きしめてキスを続行して、久しぶりの妻を全身で確認する。やり過ぎたか、くったりした彼女を寝室に運ぶことになったけど。
一ヶ月分だもの、僕にだって止めるのは無理だよ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。明日から一話ずつの投稿になります。