3−10
※カール視点
「いやー、奥様。それは災難でしたね。もう熱は下がったんですか?」
「ええ、おかげさまで。もうこの通り元気よ。」
昨日、突然ハーフェルト公爵夫人から『屋敷内でできそうな依頼とぬいぐるみ店の帳簿類を持ってきて』と連絡が来た。
そいや、ここ一週間程姿を見ないなと思っていたら、誘拐されかけて川に飛び込んで熱を出して寝込んでいたという。
・・・旦那様、よく心臓が止まらなかったな。
「でもまだ、旦那様から外出許可が下りない、と。」
「そうなの。首謀者の洗い出しにもう少しかかるみたい。」
執務机に座って、オレから書類を受け取りながら、奥様はぷっと頬を膨らませている。
この人、自分はこんな豪華な部屋に立派な机を持ってるのに、なんで相談所の所長机に座りたがってたんだろ?謎だ・・・。
それにしても、溺愛する妻が目の前で死にかけたら、あの旦那様なら部屋に監禁して二度と出さないくらいしそうだなーと思ったが、それは口には出さず彼女のつむじを眺めて黙っていた。
今日もすっきりまとめ上げた灰色の髪にドレスに合わせた濃いサファイアの髪留めを着けている。いつもながらシンプルな装いが似合っている。
オレがつらつらと視界からの情報を頭の中で流している間に、奥様はさっと書類をチェックした。
全部揃っていたらしく頷いて、オレに礼を言うと、それを机の上の箱に入れ、元気よく立ち上がった。
「よーし、それじゃあ、今度は庭でお茶をしながら依頼を見せて頂戴!」
「え、お茶?!」
「ここのとこ屋敷の人達にしか会ってないのだもの。お茶くらい付き合ってよ。」
「暇なんですね?」
「やることはたくさんあるのだけど、街に出られないと気分がねー。昔と違ってこれだけ広い屋敷内も庭も、好きに行き来できるっていうのに、一度自由を覚えちゃうと駄目ね。」
昔?と尋ね返したオレに、奥様はさらっと結婚前は実家の一室に軟禁状態だったと教えてくれた。
幼い頃から第二王子の婚約者だったと聞いていたので、大事に箱入りで育てられた侯爵令嬢だとばかり思っていたのに、違う意味で箱入りだったとは。
この人の過去はなんだか重たそう・・・。
そうか、だから旦那様は奥様が街で泥だらけになろうと、公爵夫人らしくない行動をしようと全部受け入れているのか。
それじゃあ、部屋に監禁は絶対にないな。
納得がいって一人頷いていると、黒髪の大人びた目をした男の子が、お茶の用意ができたと伝えに来た。
「フリッツ、ありがとう。カール、彼がさっき話した子なの。フリッツ、このおじさんは街でなんでも屋をしてるから、何か困ったことがあったら頼ったらいいわよ。」
奥様、おじさんはないでしょう。オレはまだ二十九だぜ・・・。
心の中でそうごねたけど、よく考えたらこれくらいの子がいてもおかしくない年だと思い直した。
紹介された少年は、にっこりと笑顔を浮かべて手を差し出してきた。
「ふーん。多分、頼らないけど、あんた奥様と仲が良さそうだからよろしくしとく。」
一瞬威嚇するようにこちらを睨んで、直ぐに笑顔に戻したその少年は、オレにだけ聞こえるように失礼な挨拶を寄越した。
「なんだそれは。挨拶くらいきちんとできないと奥様に愛想尽かされるぞ。」
むっとしたオレは、負けずに笑顔でぎゅっと手を握り返すと、奥様の威を借りて彼に反撃した。
途端、彼の作り笑顔が消え、奥様の方をそっと窺っている。
ミアに聞いてはいたけど、本当に奥様に懐いているようだ。
奥様ってば、また面倒そうなもの抱え込んだなあ。旦那様の苦労が手に取るように分かるぜ。
「フリッツ、ちゃんと挨拶できた?出来てない?じゃあ、やり直し!」
オレ達の不穏な様子に気づいたミアが、びしっと指導してフリッツは渋々やり直した。
なるほど、ミアの弟弟子みたいな位置づけか。
奥様はそれらのやり取りをにこにこして見ている。あの笑顔で見守られ続けたら、こいつの捻じくれた性格も治るかもな・・・。
「ねえ、おじさんは、奥様の何なの?愛人てやつ?」
庭に移動する最中にフリッツの口から出た言葉を聞いたオレは、飛び上がってその口を塞いだ。
「な、なんてことを言うんだ!絶対に!それはないからな!旦那様に聞かれたら事実無根でも始末されそうなこと言わんでくれよ・・・。」
「なんだ、そうなのか。おれはてっきりそうだと思ってた。だって貴族は愛人がいるもんだって聞いてたから。」
「ここの夫妻に限ってそれはない。というか、お前その貴族への偏った知識は捨てた方がいいぞ。」
「おれもそう思ってたとこだよ。」
「そうか、そりゃよかった・・・。」
どこまでも口が減らない子供だな。
以前ここで世話になっていた時は、騎士団宿舎にしか滞在しなかったので、こうやってお屋敷の方を見るのは初めてだ。
外見はとにかく古くてでかいのだが、中は温かい雰囲気で最新設備が整った暮らしやすい状態になっている。
聞けば旦那様が結婚前に設備を一気に替えたとか。奥様のためなら何でもするね、あの人。
庭も広くて見渡す限り敷地なので、ここがあの賑わう街に接しているとは思えないほど静かだ。
お茶のテーブルは屋敷から出て直ぐの、日当たりの良い芝生に用意されていた。
「え、椅子が4つ?」
「私と貴方、ミア、フリッツで4人でしょ?」
「その面子でお茶ですか?!」
驚くオレを余所にフリッツが椅子を引いて奥様を座らせ、ミアがテキパキとお茶を入れている。
オレも自分で椅子を引いて奥様の向かいに腰掛けた。
「やっぱり驚くのね。リーンがいない時はこうやって屋敷の人達とお茶をしたり、食事をしてもいいことになっているの。」
自分の前に置かれた紅茶のカップを持ち上げて、嬉しそうな顔をした奥様が説明してくれた。
・・・いやまあ、かなり型破りだけど、当人達が良いってならいいよ?
けどさ、旦那様。あんたどこまで奥様に甘いの。
慣れた様子でお茶とお菓子を配り終えたミアとフリッツも席につき、不思議なお茶会が始まった。
街の様子やぬいぐるみ店の状況をひとしきり聞いた後、奥様が両手を差し出してきた。
「それで、依頼はどんなのを持って来てくれたの?」
尋ねられたオレは、両手をぶらぶらと振って返事に代えた。
奥様は少し眉を寄せたが、直ぐにまた頬を膨らませた。
「無しなの?!」
「そりゃそうですよ。公爵家から出ないで済む依頼なんてあるわけないじゃないですか。」
しかも、安心安全だなんて。
実は依頼自体はそこそこある。
中には奥様の手助けがあればな、と思うようなものもあるにはある。だが、屋敷から出ずに済むかどうかは微妙で、彼女なら迷わず飛び出してしまいそうなものばかりだ。
現在奥様が危険に晒されているというのに、誰がそんなことをさせたいと思うのか。
この人はしばらくこうやって、お屋敷に籠もっている方が安全だろう。それが旦那様の心の平穏にも繋がるに違いない。
オレは心を鬼にして奥様の非難を耐えきった。
なんだかんだ言いながらも優しい奥様は、『私にできそうな依頼があったら絶対に回してね!』でその話を終わらせて、お菓子を勧めてくれた。
「これは、美味しいですね。」
「そうでしょう?!うちの料理長のお菓子はとっても美味しいの。」
心からその菓子を褒め称えたら、奥様が自分の手柄のように胸を張って自慢してきた。
自分の主にこうも喜ばれたら、作った人はさぞ嬉しかろう。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
やっとチーズの出番です。